遠い日向を妻が横切りわれ眠る 兜太
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
昭和36年、「金子兜太句集」より

作者が目覚めた時は日がすでに高く上って、
妻が明るい日差しの中で立ち働いているのが
襖の少し開いた隙間から見えたのではないだろうか、
そんな景がまず浮かんでくる。
その景を描いた上に、もう一度この句を読んでみると、
「遠い」「横切る」という言葉が
どういう心象で使われたのか考えてしまう。
そこには、作者の妻に対するものや、家庭、家族というものに、
対する視線というか関係が伺えるように思う。
昭和36年と言えば作者が俳句結社「海程」を創刊した年である。
そして、現代俳句協会が分列して俳人協会が発足したのもこの頃である。
前衛俳句の旗幟として、
多くの俳人と俳句論を夜を徹して話し合うことも度々であったことだろう。
日中に眠っている、頭の中は俳句のことでいっぱいなのである。
「遠い日向を妻が横切り」からして、
作者の頭には、妻や家庭はいま遠いのかもしれない、
でも、全く離れて断絶しているのではない関係が
「横切る」から伺うことができる。
どんなに俳句にのめり込んでも、作者にとって、
妻のいる家庭は「日向」なのである。
その日向を懐に抱いて作者は眠り、俳句にのめりこむのである。

作者が目覚めた時は日がすでに高く上って、
妻が明るい日差しの中で立ち働いているのが
襖の少し開いた隙間から見えたのではないだろうか、
そんな景がまず浮かんでくる。
その景を描いた上に、もう一度この句を読んでみると、
「遠い」「横切る」という言葉が
どういう心象で使われたのか考えてしまう。
そこには、作者の妻に対するものや、家庭、家族というものに、
対する視線というか関係が伺えるように思う。
昭和36年と言えば作者が俳句結社「海程」を創刊した年である。
そして、現代俳句協会が分列して俳人協会が発足したのもこの頃である。
前衛俳句の旗幟として、
多くの俳人と俳句論を夜を徹して話し合うことも度々であったことだろう。
日中に眠っている、頭の中は俳句のことでいっぱいなのである。
「遠い日向を妻が横切り」からして、
作者の頭には、妻や家庭はいま遠いのかもしれない、
でも、全く離れて断絶しているのではない関係が
「横切る」から伺うことができる。
どんなに俳句にのめり込んでも、作者にとって、
妻のいる家庭は「日向」なのである。
その日向を懐に抱いて作者は眠り、俳句にのめりこむのである。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm