竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

谷間谷間に万作が咲く荒凡夫  兜太

2018-07-07 | 金子兜太鑑賞
谷間谷間に万作が咲く荒凡夫  兜太



昭和56年、「遊牧集」より。

兜太さんは49年に日銀を退職され、その後熊谷に居を構えておられます。
そして、もっとも秩父の山深いところに山荘を持っておられます。
長年海程の俳句練成は、
その山荘の近くにある民宿を借りて行われてきました。
初めて俳句練成句会に(海程では俳句道場と言っています)行きまして、
兜太さんの山荘を見た時、私は大変感銘しました。
山道を歩いていてその前を通っていたのに
山荘があると分ららず後で人に聞き見上げたら山荘があった。
山の斜面に寄り添うように、溶け込むように、
その小さな山荘は秩父の山に渾然と建っていました
土着性を大切にされる兜太さんらしい山荘でした。

さて、掲句ですが、秩父はまことに山深い。
山と山の襞、谷間谷間に村落がある。
そして、山の春は満作の咲くことから始まるのである。
飯田蛇笏さんの住まわれた甲斐の国も熱さ寒さの厳しい所であるが、
秩父も甲斐に負け天候の厳しい所である。
「荒凡夫」は「あらぼんぷ」と読む。
凡夫とは字の如く普通の人間という意味。
親に「与太」って言われている自分でも、
俳句のこととなると血気があがる、荒々しいと自認するのであろう、
よく自分は荒凡夫だと、兜太さんは言われる。
掲句は早春の万作の咲くのを眺めながら、
まこと自分は荒凡夫だなあと思う、というものだろう。
「万作」に作者のどんな思いが込められているのであろうか。
万作は梅や桜のように香しく華やかな花ではない。
べろべろと噴出したような黄色い花らしくない花である
しかし、その万作が咲くと春がやってくる、
春を告げる花なのである。
そして「豊年満作」という言葉があるように、
豊かな実りへの祈りのような、そんな万作の、
荒凡夫でありたいと作者は思っているのではなかろうか。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm