海くる祖の風砂山を生み金雀枝を打つぞ 兜太

昭和52年、旅次抄録より。
因幡、先日の「尿ほどの雨」の句の後にある句である。
「海くる祖の風」というのが窮屈な感じがするけれど、
意味は海を渡ってくる中国大陸からの風ということであろう。
われわれ日本人は中国大陸から渡ってきた
帰化人であるというのが一般的なのではないだろうか。
兜太さんはたしか戦時中、
軍医であった父に付いて
中国に暮らしていた時期があったと思う。
戦後、幾回か中国へ旅行され、
昭和60年には「詩経国風」という句集も出しておられる。
中国はわが心の祖という思いが強いのだとおもう。
日本海の海の向うは中国だなあと思うと、
その海を渡ってくる風は「祖の風」と思えるのであろう。
季語は「金雀枝」、4,5月の花である。
いま、金雀枝を打つ風は、
その少し前の3,4月には黄砂となって渡ってきて、
砂山を作ったのであろうと、
作者は、海からの、祖の風に吹かれながら思っているのである。

昭和52年、旅次抄録より。
因幡、先日の「尿ほどの雨」の句の後にある句である。
「海くる祖の風」というのが窮屈な感じがするけれど、
意味は海を渡ってくる中国大陸からの風ということであろう。
われわれ日本人は中国大陸から渡ってきた
帰化人であるというのが一般的なのではないだろうか。
兜太さんはたしか戦時中、
軍医であった父に付いて
中国に暮らしていた時期があったと思う。
戦後、幾回か中国へ旅行され、
昭和60年には「詩経国風」という句集も出しておられる。
中国はわが心の祖という思いが強いのだとおもう。
日本海の海の向うは中国だなあと思うと、
その海を渡ってくる風は「祖の風」と思えるのであろう。
季語は「金雀枝」、4,5月の花である。
いま、金雀枝を打つ風は、
その少し前の3,4月には黄砂となって渡ってきて、
砂山を作ったのであろうと、
作者は、海からの、祖の風に吹かれながら思っているのである。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm