食べ残された西瓜の赤さ蜻蛉の谷 兜太
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/7e/c9852098cdbc0468820b2eec2e1617a2.jpg)
昭和57年、「猪羊集」より。
「食べ残された西瓜の赤さ」から
人はどんなことを思うのだろうか?
わたしは、すぐに贅沢な食べ方って思う。
真ん中の甘いところだけ食べるのだから。
西瓜は中心ほど甘く、周りに行くほど水っぽくなる。
そのことと「蜻蛉の谷」の配合である。
子どもが小さい頃は
毎年のように8月は尾瀬に出かけていた。
尾瀬にも蜻蛉を見かけるが、
尾瀬を出て片品村の渓谷に見る蜻蛉の群れは
まことに美しく今でも鮮明に思い出す。
特に、日の出後のまだ日が高く上がらない頃の、
朝日に、羽根を透かせる蜻蛉の群れは
きらきらとまことに美しい。
句の景は、食べ残されたまだ赤いところのある西瓜を
脇に蜻蛉の群れる渓谷の村に作者は座しているのであろう。
眼前の美しい、渓谷の蜻蛉の群れを作者は贅沢に思ったのではないだろうか。
その贅沢感も「食べ残しの西瓜の赤さ」というのが
兜太さんらしい、生活感にあふれた言葉である。
晩夏の、濃い緑と赤のコントラストが、くっきりとこころに残る、
色彩の効いた句である。
ちなみに私は西瓜は赤い所がなくなるまできれいに食べます。
甘いところから、
だんだん水っぽくなってさっぱりと食べ終われるので、
甘いところだけ
ですと口に甘さが残る感じで好きではない。
さっぱり食べ終わりたいので、最後まで食べます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/7e/c9852098cdbc0468820b2eec2e1617a2.jpg)
昭和57年、「猪羊集」より。
「食べ残された西瓜の赤さ」から
人はどんなことを思うのだろうか?
わたしは、すぐに贅沢な食べ方って思う。
真ん中の甘いところだけ食べるのだから。
西瓜は中心ほど甘く、周りに行くほど水っぽくなる。
そのことと「蜻蛉の谷」の配合である。
子どもが小さい頃は
毎年のように8月は尾瀬に出かけていた。
尾瀬にも蜻蛉を見かけるが、
尾瀬を出て片品村の渓谷に見る蜻蛉の群れは
まことに美しく今でも鮮明に思い出す。
特に、日の出後のまだ日が高く上がらない頃の、
朝日に、羽根を透かせる蜻蛉の群れは
きらきらとまことに美しい。
句の景は、食べ残されたまだ赤いところのある西瓜を
脇に蜻蛉の群れる渓谷の村に作者は座しているのであろう。
眼前の美しい、渓谷の蜻蛉の群れを作者は贅沢に思ったのではないだろうか。
その贅沢感も「食べ残しの西瓜の赤さ」というのが
兜太さんらしい、生活感にあふれた言葉である。
晩夏の、濃い緑と赤のコントラストが、くっきりとこころに残る、
色彩の効いた句である。
ちなみに私は西瓜は赤い所がなくなるまできれいに食べます。
甘いところから、
だんだん水っぽくなってさっぱりと食べ終われるので、
甘いところだけ
ですと口に甘さが残る感じで好きではない。
さっぱり食べ終わりたいので、最後まで食べます。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm