土手に横一線の径ことばの野 兜太

昭和47年、「暗緑地誌」より
「土手に横一線の径」が「ことばの野」だ、
という作りになっているのではないか。
寅さんの映画にもよく荒川の土手が出てくる。
川は平坦で、土手は堤防になっているから少し小高い、
駆け上がると、一本の径が遠くまで見渡せる。
その見渡せる一本の径が「ことばの野」だという
以前は私も夫と、
時折多摩川の土手をジョッキングしたが、
川風がとても気持ちが良い。
兜太さんは、俳句に、俳句専念して人生を掛けている作者が、
俳句のもつ魔力というか、
17文字で表現できる世界の広さを思うとき、
「土手に横一線の径」だというのは、
誇示のない率直な感慨ではないだろうか。
そして、その土手に上がった時の爽やかさ
川風の清々しさ、川面のきらめき、
その中にある一本の径の、
ことばの野を耕していきたいという
その清々しさがよく伝わってくるように思います。

昭和47年、「暗緑地誌」より
「土手に横一線の径」が「ことばの野」だ、
という作りになっているのではないか。
寅さんの映画にもよく荒川の土手が出てくる。
川は平坦で、土手は堤防になっているから少し小高い、
駆け上がると、一本の径が遠くまで見渡せる。
その見渡せる一本の径が「ことばの野」だという
以前は私も夫と、
時折多摩川の土手をジョッキングしたが、
川風がとても気持ちが良い。
兜太さんは、俳句に、俳句専念して人生を掛けている作者が、
俳句のもつ魔力というか、
17文字で表現できる世界の広さを思うとき、
「土手に横一線の径」だというのは、
誇示のない率直な感慨ではないだろうか。
そして、その土手に上がった時の爽やかさ
川風の清々しさ、川面のきらめき、
その中にある一本の径の、
ことばの野を耕していきたいという
その清々しさがよく伝わってくるように思います。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm