竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

穴あらば落ちて遊ばん冬日向  中尾寿美子

2020-01-09 | 今日の季語


穴あらば落ちて遊ばん冬日向  中尾寿美子

冬日を浴びていると異次元の世界を浮遊する
老いさらばえればなおさら恍惚感さへもある
我を失うという心地よさ
いっそこのまま終生でありたいような
身体ごと大きな穴へ吸い込まれていくそんな気分なのだ
(小林たけし)

穴に落ちたことで、世界的に有名になったのは「不思議の国のアリス」だ。日本で知られているのは、昔話「おむすびころりん」に出てくるおじいさん。穴に落ちたことでは同じだけれど、両者の心持ちにはかなりの違いがあるようだ。アリスの場合には「不本意」という思いが濃く、おじいさんの「不本意」性は薄い。アリスは不本意なので、なにかと落ちたところと現世とを比べるから、そこが「不思議の国」と見えてしまう。一方、おじいさんはさして現世を気にするふしもなく、暢気にご馳走を食べたりしている。この句を読んで、そんなことに思いが至った。作者もまた、現世のあれこれを気にかけていない。一言でいえば、年齢の差なのだ。このときに、作者は七十代。「穴掘れば穴にあつまる冬の暮」という句も別にあって、「穴」への注目は、ごく自然に「墓穴」へのそれに通じていると読める。ひるがえって私自身は、どうだろうか。まだ、とてもこの心境には到達していないが、わかる気はしてきている。そういう年齢ということだろう。遺句集『新座』(1991)所収。(清水哲男)

【冬の日】 ふゆのひ
◇「冬日」 ◇「冬日向」 ◇「冬日影」
冬の太陽。日照時間の少ない、よわよわしく、うすうすとした太陽を指す。しかし、真昼の晴天時には思いがけぬ強さを感じることもあるが、午後にはすぐに薄暗い感じになる。どことなく懐かしい気配もまた漂う。

例句 作者

たつぷりの冬日が父と新聞に 神田綾美
一濤のあと慄然と冬日あり 小澤克己
大仏の冬日は山に移りけり 星野立子
山門をつき抜けてゐる冬日かな 高浜年尾
行在所跡や冬日の須臾に逃ぐ 小路智壽子
冬日影耳にとまりて暖かし 前田普羅
冬の日の海に没る音をきかんとす 森 澄雄
物乞ひに大聖堂の冬日影 後藤杜見子
塩手掴み冬の入日を妻見居り 大野林火
遊ぶごと冬日の今の在りどころ 殿村莵絲子

正論はどれも生煮えおでん酒 たけし

2020-01-08 | 入選句


正論はどれも生煮えおでん酒 たけし



今年から新聞俳壇への投稿を減らすことにした

全国紙5紙とA紙の地方版への投句をつづけていたのだが

未発表句を各紙の選者を想念して投句することに疑問を持ったのが理由だ



二重投句は厳禁なので他の選者だったらどう評価されるのかが気になる

駄句はどの選者でも没だとは思うものの未練も残る



全部の投稿を止めると張り合いも消失して意欲も減退しそうだ



全国紙は選者指定の無いA紙のみ

地方版は句会でご指導いただいているNI先生が選者のA紙

この2件にしようと思っている



あとは全国の俳句大会への投稿を心がけることにした



そんな気分でいるとっころ掲句が
朝日新聞栃木俳壇 石倉夏生先生の選を得た

今年最初の入選となった



やはり嬉しいし意欲を増幅させることは疑問の余地はない

風紋は神の庭めき寒に入る 河野多希女

2020-01-06 | 今日の季語


風紋は神の庭めき寒に入る 河野多希女

今日からは寒の入り
24節季の小寒にあたる
例句をたどっていたらこの句に遭遇した
風紋は私の好む句材でいくつかの作があるがまだ納得するものがない

風紋はたしかに人工ではない神々しさを秘めている
そして小寒の季語の取り合わせ
文句なしに脱帽だ
(小林たけし)

【小寒】 しょうかん(セウ・・)
二十四節気の一つ。冬至の15日後とされ、1月5、6日頃からの15日間が該当する。寒さが厳しい。しかし、まだ寒さは小さいとして小寒とされる。
例句 作者
小寒や枯草に舞ふうすほこり 長谷川春草
小寒のひかり浸して刷毛目雲 火村卓造
小寒のさゞなみ立てて木場の川 山田土偶
小寒の楠匂はせて彫師なる 坪野文子
小寒や石段下りて小笹原 波多野爽波
風紋は神の庭めき寒に入る 河野多希女

留守を訪ひ留守を訪はれし二日かな 五十嵐播水

2020-01-03 | 今日の季語


strong>留守を訪ひ留守を訪はれし二日かな 五十嵐播水


年始回りという習慣がいまだにあるとは
にわかに信じられないが
句意はよく理解できる
元旦はちょっと遠慮したが遅れれば礼を失する
そんな気持ちで訪ねれば不在であった
家に戻ると留守の間に訪ねてきてくれた人がいる
二昔前ほど何度か経験したシーンである
おそらく現今ではこんなことはありえないのだろう
(小林たけし)

俳句で「二日」は、正月二日の意。以下「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」と、すべて季語である。最近では「二日」も「三日」もたいして変わりはしないが、昔はこれらの日々が、それぞれに特別の表情を持っていたというわけだ。「二日」には初荷、初湯、書き初めなどがあり、明らかに「三日」や「四日」とは違っていた。年始回りに出かけるのも、この日からという人が多かった。私が子供だったころにも「二日」は嬉しい日だった。大晦日と元日は他家に遊びに行くのは禁じられていたから、この日は朝から浮き浮きした気分であった。掲句は、賀詞を述べようと出かけてみたらあいにく相手が留守で、やむなく帰宅したところ、留守中に当の相手が訪ねてきていたというのである。どこで、どうすれ違ったのか。いまならあらかじめ電話連絡をして出かけるところだけれど、昔は電話のない家が大半だったので、えてしてこういう行き違いが起きたものだ。ヤレヤレ……という感興。作者の五十嵐播水は1899年(明治32年)生まれ。虚子門。百歳を越えて、なお現役の俳人として活躍しておられる。あやかりたい。(清水哲男)


くれかかる二日の壁があるばかり 桂信子
さわぐ笹二日の日射し入りみだれ 桂信子
二日はや雀色時人恋し 志摩芳次郎
二日三日と太陽にとびつくか 松澤昭
天皇の右手が上がる二日かな 髙野公一
庭隅の幹に日のある二日かな 桂信子
立てなほす背筋二日の風の中 中山皓雪