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快気分析

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仕組みとアプローチ -   本能寺の変 イエズス会に関係する3人が信長と共に当時宿泊していながらいずれも無傷

2019-03-17 18:41:47 | 明智光秀
 以前にも記事にしましたが、本能寺に宿泊していたのは信長の家臣らと将棋指し以外では茶人であり商人であった島井宗室と神屋宗湛でした。
 二人共に博多の豪商だったのですが当時博多を含む領域を支配したいたのは大友宗麟、そしてその大友宗麟はキリシタン武将の代表格でした。
 これだけでもこの二人の豪商、茶人がイエズス会の恩恵を受けて事業をしているのは明らかなのですが、仮に大友宗麟と関連がそれ程深く無くても当時の状況では貿易などは特にイエズス会と上手くやっていかなければ成り立つわけは無いはずだったと見ています。
 つまり本能寺の変の当日、本能寺に宿泊していたのはイエズス会の利権に背かない二人の豪商だった事になります。
 大友氏がいくら信長に接近していたからと言っても当時の信長が自身についてキリストを超える存在として神格化し始めていた状況では大友氏、博多商人共に腹の底から信長を支援しようとしていたとは思えません。
 そしてもう一人、信長の小姓として仕えていたアフリカ系の弥助も元々イエズス会が連れて来た人物でした。
 信長の昔からの家臣と将棋指し以外ではこの3人が該当するわけで、本物の信長が本能寺に宿泊しているのを知っていたのは前日の茶会に主席していた公家衆ら以外ではイエズス会関係者となります。
 そしてこの3人は本能寺の変では無傷でした。
 いくら何でも討たれた家臣らでイエズス会に関係の深い者はおらず、逆に上記の3人共に無傷と言うのは通常では有り得ない。
 襲撃部隊にイエズス会のコントロールがかけられていたとしか思えません。


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