快気分析

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仕組みとアプローチ -  長篠の戦いでは前田利家でも危なかった

2020-12-12 08:20:20 | 明智光秀
 秀吉の五大老として家康に匹敵する力が有った前田利家ですが、長篠の戦いでは危機一髪だったようです。

引用開始(一部抜粋)

前田利家
(中略)
長篠の合戦では撤退する武田軍を追撃している際に、弓削左衛門なる者に右足を深く切り込まれる重傷を負い、危うく命を獲られそうになった所を家臣の村井長頼に助けられ一命を得た。

引用終了

 結構、危なかったのですね。
 前田利家が生きていた間は家康が思うように動けなかった位に力が有ったようなので、仮に長篠の戦いで戦死していたらその後の日本の歴史もかなり変わっていたかも知れません。
 それから家臣の村井長頼なる人物は特に有名な武人として知られているわけではないのですが、次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E9%95%B7%E9%A0%BC

村井長頼
(中略)
永禄2年(1559年)から永禄4年(1561年)にかけて利久の弟の前田利家が織田家から追放されていた時に長頼も従い、永禄12年(1569年)に織田信長の命により利久に代わって弟の利家が前田家を継ぐと、それに従って利家の家臣となった。
以後、常に戦場でも共にあり幾度もその盾となって救っており、利家からは通称である又左衛門から「又」の字を拝領するほど信頼され、石山本願寺攻め、金ヶ森城攻め、長篠の戦いなどで数多くの軍功をあげる。

引用終了

 もしかすると実践向きの戦闘技術においては前田利家よりも能力が高かったのかも知れません。
 名将の影に主君を超える能力を持った家臣有り、と言うケースも少なくなかったと思われます。
 幸運にも有能な部下を持てた人はその能力を活用さえできれば大成功するケースは多い、と言うのは古今を問はず同じなのでしょう。



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