爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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仮の包装(11)

2017年02月01日 | 仮の包装
仮の包装(11)

 ももこの就職が決まった。近くの信用金庫らしい。
「高卒でも入れるんだ」ひとは不用意なひとことの連続をする運命なのだ。
「あ、バカにしている」そう言いながらも笑っている。
「違うよ、常識として。固定観念、一般論。先入観の奴隷として」
「気にしてないよ」彼女はもっと笑う。「親のコネみたいなもんだし。あそこの宴会、いつもお父さんの弟のところでしているし、わたしも手伝いしたことあるから」
「ああ、そうなんだ」

「なにか、言い忘れてない?」
「あ、おめでとう」ぼくはすこし困惑している。縁故で良い就職先なんて、まだある世界なんだと。「じゃあ、ケーキ屋さんも、もうすぐ卒業だ」
「そう、太る前にね」
「まだ気をつける年代じゃないよ。イタリアのマンマじゃあるまいし。お母さんも太ってないじゃん」
「気になる年代なんだよ」
「じゃあ、なんか祝おうか。あまり予算はないけど」
「ありがとう」

 社会人同士の交際は世間が認めてくれる。その世間というのはぼくの周りでは十人ぐらいのようにも思える。ぼくはその計画をあれこれ考えながら、また魚をさばいている。なんとか合格点をもらい、漁師はおいしそうに食べる。

「これなら、お客さんにも出せるよ。一流の料亭の見栄えを求めているわけでもないんだから」
「そうよね」ももこの母は言う。しかし、食べ終わってから追加された皿のうえの出来栄えをみると、雲泥の差があることははっきりとしている。ひとは一位になれないのだ。一位になる努力だけが美しいのだ。

「次は船の操縦でも覚えるか」
「お婿さんになるみたいね」と妻は言う。ひとは不用意なことを言い、どこかで願望を空中に飛散させてしまう。

「わたしにも選ぶ権利があるよ」ももこは紅い顔をしている。ぼくは金目鯛を思い浮かべるが、本日分の不用意な発言は出し尽くしている。
「そんなつもりじゃないけど、ここで生きていくからには、それぐらいできて当然だろう」漁師は酔いはじめていた。下戸の漁師というものを想像する。読書家の漁師。もし漁師がドラッカーのマネジメントを学んだら。

「この前、海で酔ってたよ」ひとは告げ口をする生き物でもある。
「あれは、二日酔いだったからだよ」ひとは言い訳を無数に考えだし、最善のチョイスができない生き物でもあった。
「なんでも、なれるよ」妻が言う。その通りだとも思う。ぼくは見知らぬ地で知り合いができ、ここちよい気持ちでいる。それがすべてだった。
「わたしも、はやく稼ぎたいな、自分の仕事で」ももこは野心的な面を見せる。ぼくは、あそこにいた方が、金銭的には潤っていたはずだが、こころのこりももうなかった。

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