拒絶の歴史(121)
ぼくは、雪代のことについて考えるのをわざと忘れようとしているのかもしれない。だが、ぼくらの残された関係は終わりに近づいている。それを思い出すことは、まだ楽しいということよりも、哀しさがつきまとうのも事実だった。しかし、哀しみがあったとしても、先延ばしにはできなかった。
ぼくは、途中に時間が空いたとしても、雪代とここ数年ずっといっしょにいた。ぼくのこころのなかの大切な箱のなかには彼女がいて、またそれ以外はいらなかったし必要なかった。愛しているのは間違いのないことだったが、ぼくらの関係はコンクリートに亀裂が見られるように、目を防ごうとしてもありありと感じられた。どちらもその関係を維持しようと努力しなかったわけでもないし、壊れることなど望んでもいなかった。修復できるならば、どんなことがあろうと修復したかった。しかし、これもまた人生に訪れる別れのひとつなのかと、ふと考えてしまうこともあった。
それでも、お互いには日常のさまざまな雑事があり、仕事にも追われた。ぼくは短い出張を繰り返し、彼女も買い付けやらで家を空けてしまうこともあった。彼女の店はすこし離れた場所に二つ目の店をオープンさせた。それは、彼女の能力や自分の意思の手の届く範囲を超えてしまったのかもしれない。しかし、始めてしまった以上、時間が奪われるのは仕方のないことだった。
その分、ぼくらがゆったり過ごす時間は減り、また同様に会話をする機会も減った。分かり合えていたはずだと思っていたが、ぼくらは互いのことを理解し得ない領域を増やしていった。ぼくは、何を彼女が求めているのか、もう分からなかったし、その追求も避けていた。多分、彼女も同じような気持ちだっただろう。
それで仕事がうまくいかなかったり手がつかないということはまったくなく、ぼくも順調に成果を延ばし、彼女の店も売り上げを上げていった。それゆえに、楽しいことのほうに時間を多く割いた。ぼくも先輩や後輩たちとたまには社長と仕事が終わったあとも過ごす時間が増えた。
そうしながらも、休日が合えばぼくらはいっしょに外出し、ドライブにも行った。会話が少なくなったとしても、ぼくらは表面的には安定したふたりに見えたことだろう。ぼくらは互いのことを優先しあい、それは衝突を避ける意味合いもあったのかもしれないが、それゆえにいたわりあうふたりだった。
夜になって、ぼくらはリビングで、またはベッドのなかで存在を感じた。彼女はときに、
「ひろし君は、以前のようにわたしを愛してくれてるのかな?」と言った。
彼女にとって、それは最重要な問題らしかった。ぼくは笑顔でそうだと答えることもあったし、ふてくされた態度で「何度もきくなよ」と言ったりもした。ぼくは、当然そうだと考えていたが、訊かれれば訊かれるほど自分自身に疑心をもち、自信をうしない、やぶれかぶれな気持ちにさせた。
だが、勘がいい彼女がそう思うならば、それもまた事実なのだろうと考えた。ぼくは疑いをもったオセロのように彼女の言葉を何パーセントかは真に受けていった。
でも、それで彼女の美点が消えるわけでもなかった。相変わらず美しかったし、ぼくが望んでいたものをすべてもっていた女性でもあったし、彼女の移り行くなかにぼく自身の成長もとどめていた。彼女を失えば、ぼくのここ何年間かも無駄に消滅してしまうようにも思えた。利己的な考え方なのは分かっていたが、ぼくはそれを失いたくなかった。ある日の自分をもっとも知っているのは、当然のこと雪代なのであった。その人以外は、ぼくの一部分しか知っておらず、それは象のしっぽだけを握って全体像を判断するようないびつなものだったかもしれない。
また逆にいえば、彼女のあるべき理想を知っているのも自分だった。若いモデル時代にすでに自分の目標を掲げ、彼女は邁進していった。それでも、一瞬たりとも優しさを失わず、店のバイトの子たちの心配をいつでもしていた。自然なぐらいに世話を焼き、暖かさのベールのようなものが彼女を包んでいた。
だが、やはりぼくらは夢の国に住んでいけるはずもなく、ある日、社長から東京に支店をつくるということを聞かされる。ぼくは、そのことを自分の人生とは関係ないものとして聞き、ある日、それが自分に降りかかってくるものとは思ってもみなかった。雪代は、もう少し、ぼくを人間として高めたいようだった。それだったら、犠牲を問わないという潔さも兼ね備えていた。ぼくらの気持ちは平行線をたどり、ぼくの愛は目減りしていると誤解され、仕事は次の場所への移動を求めていた。
ぼくはもっと愛情だけのことを考えるべきだったのかもしれない。この移動中には彼女の素晴らしさだけを考えるべきだったのかもしれない。だが、瑣末なことだけに人生の真実があるならば、ぼくはその瑣末なことも愛していた。
ぼくは、雪代のことについて考えるのをわざと忘れようとしているのかもしれない。だが、ぼくらの残された関係は終わりに近づいている。それを思い出すことは、まだ楽しいということよりも、哀しさがつきまとうのも事実だった。しかし、哀しみがあったとしても、先延ばしにはできなかった。
ぼくは、途中に時間が空いたとしても、雪代とここ数年ずっといっしょにいた。ぼくのこころのなかの大切な箱のなかには彼女がいて、またそれ以外はいらなかったし必要なかった。愛しているのは間違いのないことだったが、ぼくらの関係はコンクリートに亀裂が見られるように、目を防ごうとしてもありありと感じられた。どちらもその関係を維持しようと努力しなかったわけでもないし、壊れることなど望んでもいなかった。修復できるならば、どんなことがあろうと修復したかった。しかし、これもまた人生に訪れる別れのひとつなのかと、ふと考えてしまうこともあった。
それでも、お互いには日常のさまざまな雑事があり、仕事にも追われた。ぼくは短い出張を繰り返し、彼女も買い付けやらで家を空けてしまうこともあった。彼女の店はすこし離れた場所に二つ目の店をオープンさせた。それは、彼女の能力や自分の意思の手の届く範囲を超えてしまったのかもしれない。しかし、始めてしまった以上、時間が奪われるのは仕方のないことだった。
その分、ぼくらがゆったり過ごす時間は減り、また同様に会話をする機会も減った。分かり合えていたはずだと思っていたが、ぼくらは互いのことを理解し得ない領域を増やしていった。ぼくは、何を彼女が求めているのか、もう分からなかったし、その追求も避けていた。多分、彼女も同じような気持ちだっただろう。
それで仕事がうまくいかなかったり手がつかないということはまったくなく、ぼくも順調に成果を延ばし、彼女の店も売り上げを上げていった。それゆえに、楽しいことのほうに時間を多く割いた。ぼくも先輩や後輩たちとたまには社長と仕事が終わったあとも過ごす時間が増えた。
そうしながらも、休日が合えばぼくらはいっしょに外出し、ドライブにも行った。会話が少なくなったとしても、ぼくらは表面的には安定したふたりに見えたことだろう。ぼくらは互いのことを優先しあい、それは衝突を避ける意味合いもあったのかもしれないが、それゆえにいたわりあうふたりだった。
夜になって、ぼくらはリビングで、またはベッドのなかで存在を感じた。彼女はときに、
「ひろし君は、以前のようにわたしを愛してくれてるのかな?」と言った。
彼女にとって、それは最重要な問題らしかった。ぼくは笑顔でそうだと答えることもあったし、ふてくされた態度で「何度もきくなよ」と言ったりもした。ぼくは、当然そうだと考えていたが、訊かれれば訊かれるほど自分自身に疑心をもち、自信をうしない、やぶれかぶれな気持ちにさせた。
だが、勘がいい彼女がそう思うならば、それもまた事実なのだろうと考えた。ぼくは疑いをもったオセロのように彼女の言葉を何パーセントかは真に受けていった。
でも、それで彼女の美点が消えるわけでもなかった。相変わらず美しかったし、ぼくが望んでいたものをすべてもっていた女性でもあったし、彼女の移り行くなかにぼく自身の成長もとどめていた。彼女を失えば、ぼくのここ何年間かも無駄に消滅してしまうようにも思えた。利己的な考え方なのは分かっていたが、ぼくはそれを失いたくなかった。ある日の自分をもっとも知っているのは、当然のこと雪代なのであった。その人以外は、ぼくの一部分しか知っておらず、それは象のしっぽだけを握って全体像を判断するようないびつなものだったかもしれない。
また逆にいえば、彼女のあるべき理想を知っているのも自分だった。若いモデル時代にすでに自分の目標を掲げ、彼女は邁進していった。それでも、一瞬たりとも優しさを失わず、店のバイトの子たちの心配をいつでもしていた。自然なぐらいに世話を焼き、暖かさのベールのようなものが彼女を包んでいた。
だが、やはりぼくらは夢の国に住んでいけるはずもなく、ある日、社長から東京に支店をつくるということを聞かされる。ぼくは、そのことを自分の人生とは関係ないものとして聞き、ある日、それが自分に降りかかってくるものとは思ってもみなかった。雪代は、もう少し、ぼくを人間として高めたいようだった。それだったら、犠牲を問わないという潔さも兼ね備えていた。ぼくらの気持ちは平行線をたどり、ぼくの愛は目減りしていると誤解され、仕事は次の場所への移動を求めていた。
ぼくはもっと愛情だけのことを考えるべきだったのかもしれない。この移動中には彼女の素晴らしさだけを考えるべきだったのかもしれない。だが、瑣末なことだけに人生の真実があるならば、ぼくはその瑣末なことも愛していた。
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