ケンのブログ

日々の雑感や日記

十三夜

2018年10月22日 | 日記
一週間くらい前にラジオの女性DJがもうじき十三夜ですねと言っていた。
そのDJは男性のゲストに
「ところでSさん月を見ることがありますか?」と質問した。
「最近はあまりないですね
月を見るときは気持ちに余裕があるときなんですよ」とSさんは言った。
いい答え方だなと思う。
確かにそれなりに気持ちに余裕がなければ月を空に
探すことはできないように思う。
しかし、逆も真なりで
月を見ることが気持ちのゆとりを生むこともあると思う。
「僕は伊集院静さんのエッセイで紹介されたこともあるんですよ」と
Sさんが言うと
「よう、講談師」と女性のDJが言った。
何気ない一瞬の掛け合いがうまいDJだと思う。
でもそのあとで「いやいや、Sさんもなかなかどうして
女性にはもてると思いますよ」と女性DJはフォローした。
こうしたフォローをして人をそらさないことが
DJを長く続ける秘訣のひとつだと思う。
その道の一流の人はやっぱり違うなと思う。
きょうあることがきっかけでちょっと
井上陽水の神無月に囲まれてという歌を口ずさんでみた。

人恋しと泣けば十三夜
月はおぼろあわい色具合

という歌詞

それをきっかけにまた十三夜のことを思い出した。
よるコンビニの駐車場から空を見上げると
かなり高いところに満月に近い月が出ていた。
ひょっとしたら今宵は十三夜かもと思い
ネットで調べたら
十三夜は昨夜だった。

女性DJは「十三夜は十五夜には満たないですけど
それでもなかなかいいですよ」と言っていた。
僕は
次の夜から欠ける満月より
十四番目の月が一番好き
というユーミンの歌詞と同様に
満月より十三、十四番目の月が一番気分的には
盛り上がる。
そういえばドストエフスキーも
コロンブスが一番興奮したのは
アメリカ大陸発見の時よりも
アメリカ大陸発見の直前である
という趣旨のことをある小説に書いていたけれど
その通りだなと思う。

岐阜に帰ってきた

2018年10月21日 | 日記
一昨日故郷の岐阜に帰ってきた。
僕の自宅最寄り駅からJR岐阜駅まで電車で約二時間二十分程度。
通常京都と米原さらに大垣で乗り換えることになる。
電車は東海道本線なのでそこそこの本数は出ていて
乗換駅での待ち合わせは大体10分いない程度ですむ。
念のためにあらかじめ時刻を調べてから電車に
乗るけれど実際は半分ローカル線に乗る感覚で
次々と来た電車に乗り換えていけば
自然に岐阜までついてしまう。
そういう点は東海道本線のような
幹線鉄道は便利だなと思う。
一昨日は兵庫県内の線路に置き石があり
電車が35分ほど遅れあらかじめ調べておいた
電車の時刻が役に立たず、ままよと思って
とにかく来た電車に乗るという方針で来たら
岐阜までの所要時間は電車が定刻通りに動いているときと
変わらなかった。
ありがたいことだなと思う。
大垣を過ぎて電車が揖斐川そして長良川の鉄橋とわたると
帰ってきたなあという気分になる。
岐阜駅で降りる。
岐阜市の人口は僕がすんでいる町の隣町の
人口とほぼ同じだけれど、駅前に出たときの感覚は
岐阜の方が全然のどかだ。
数日前僕の隣町の駅でこんなことがあった。
僕は昼下がりに隣町の駅で電車を降りた。
ラッシュの時間ではないから電車は比較的すいていた。
最後尾の車両だった。
僕と僕と同じくらい、もしくは僕よりちょっと年上の男性
二人が電車から降りた。
僕と一緒に電車から降りたその男性は僕より
一呼吸先に電車を降りた。
僕とその男性二人が電車から降りるのとほぼ同時に20代と
おぼしき若い女性が電車に乗ってきた。
その女性は僕ともう一人の男性よりも一呼吸くらい
早く電車に乗ってきた。
女性とすれ違いざまに男性はその若い女性に
「電車は降りる人が先やで」と言った。
まあ、それはその通りだけれど混んでいる時間帯でもないし
まあええがなと思った。
それで話は終わると思ったのだけれど
最後尾の車両だったのでその男性は
電車から降りて一呼吸おいて
車掌さんの方に歩みより
「あの女の人おりる人より先に乗ってきたから
注意せな」と言った。
注意すると言ってもわざわざ女性がいる客席まで
車掌が注意に行っていては電車の発車が遅れてしまう。
それは無理な注文だろうと思った。
僕がそう思った瞬間にその男性は
身をひるがえして駆け足で電車に乗り
先ほどの若い女性の方に歩み寄って
「お前なあ、電車はおりる人が優先やろ
なに考えて電車に乗っとるんじゃ」と女性に怒鳴りあげた。
そして電車を素早くおりるとまた車掌の方に
ダッシュして「こら、こういう注意は
お前がせんとあかんのやろ」と言った。
車掌さんは「すみませんでした」と言って
電車の扉を閉め電車を発車させた。
年配の男性の素早い行為。
わざわざ電車に乗り直して
また、女性と車掌に怒鳴り付けても
電車がそれで遅れることはなかった。
怒りで逆上しながらも電車を遅れさせてはいけないという
理性もどこかで働いている。
本当に人間の一瞬の行動のとっさの判断って
見事と言えば見事だなと思った。
ただ、ひとつ言えることは女性が
最初に男性から電車はおりる人が先という注意を受けたときに
「ごめんなさい」とひとこと言っていれば
もう一度電車に男性が乗り込んで怒鳴りあげる事態は
かなりの確率で防ぐことができたと思う。
やはり、とっさのときに、ごめんなさい、申し訳ありません
と口から出るようにしておくことは
最大の自己防御、護身術になると思う。
ただ、例えばお店の店員の立場で
客からクレームが来た場合
あまり平身低頭一本やりだと逆に
客を増長させてしまうこともあるけれど。
しかし、それでも、ごめんなさい、申し訳ありません
という言葉をまず優先的に考えるのが
基本だとは思う。
しかし、電車が出たあとちょっと気まずい雰囲気だった。
八王源先生が生前
「ケンちゃん、やーさんとか、嫌な人とかにあったときは
目をあわせんように注意することや
目をあわせると、お前なんや、と因縁つけられるからな」と
おっしゃっていたことを思い出した。
僕はその年配の男性の方を見ないようにして
極力たんたんとその場を立ち去った。
岐阜から東京に嫁いだ僕の母の姉
つまり僕の伯母は
いつも「東京はこわいわよ、ちょっと
そそうがあると、すぐに、お前なんだよう」と言ってくるからねと
言っていた。
その伯母のいうことは大阪にも当てはまる。
ちょっとマナー違反しようものならどこから
どんな声が飛んで来るかわからない。

岐阜の駅を降りて人の様子を見て思ったのは
故郷の人はそういう用心は都会の人に比べてあまり
する必要がない。
その意味で人々の様子に都会のように身構えたところがない。
まあ、それは田舎のよいところだなとしみじみと思った。

昨日は車の運転の練習をかねて
金華山、長良川方面へ。
金華山と長良川が見える川原に車を止めて
長良川のほとりまで歩いていく。

緑したたる金華山、水凄烈の長良川

県立岐阜商業の校歌が心に浮かぶ。
大声で歌いたかったけれど
近くでバーベキューをしている男女4人くらいのグループがいた。
かまわず大声で歌おうとも一瞬考えたけれど
やはりそれは恥ずかしいと思った。
ちょっと小声で県立岐阜商業の校歌を歌った。
いい歌だなと思う。
自分が卒業した学校ではないのだけれど、、、。


ちょっとディープな地域へ

2018年10月18日 | 日記
今日はちょっと隣の町でもディープな地域へ行った。
松屋に入る。
隣の町の中心部にある松屋に比べて
テーブル席が多い。
カウンター席の数はすくなく
またカウンターの高さが極端に低い。
こんなにカウンター席の低いファーストフードの店に
入ったことってちょっと記憶にない。
これだけ変わった座席の配置、高さになっているということは
きっとこの地域特有の事情があるような気がする。
どんな事情がわからないけれど、、、。
理由もなしにこんな変わった店舗のレイアウトに
することはちょっと想像しにくい。
昭和風のレトロな感じがするとも言えるし
ちょっとディープな感じが漂っているようにも思える。
お店の時の流れが町の中心部のそれよりもゆっくりと
しているように思える。
近所のおじさんが食事に来ているという感じがする。
こんな雰囲気はじめてだなと思う。
その足で歌声サロンに出席するためにこの地域の公民館に行く。
歌声サロンの開始まで時間があるので
公民館の図書閲覧コーナーに行く。
そこに机があるのだけれど高さがとても低い。
膝の具合の悪いかたのためによく神社の和室などに
低い椅子が用意してあるけれど
あれと同じくらいの高さの椅子
それにその椅子に相応の高さの机が用意してある。
これなら和室のちゃぶ台で本を読むのと
同じ座りかたで本を読んだ方がいいかもと思い
それを試みるとちょっと机が高すぎる。
椅子に座ると今度は逆に椅子が高すぎて机が
とても低く感じれる。
中途半端だなあと思った。
歌声サロンに出席。
こんにちわと頭を下げながら歌声サロンの部屋に入ると
先生が、このかたは普段、町の中心部で参加なさるのだけれど
今日はちょっと都合でこちらに来られました。と受付の方に
説明しくださる。
こちらの会場は料金は500円ですよねと 僕は言った。
1000円でもかまいませんよ と受付の人が言った。
いいえ、500円でお願いします と僕は言った。

ユーチューブが全世界で閲覧不能に?

2018年10月17日 | 日記
朝、午前十時過ぎに駅でタブレットからユーチューブを開いて
絢香さんのみんな空の下を聞こうとしたら
エラーの表示が出てユーチューブが開かなかった。
このサイトが単独で開かないのかと思って
他の歌をいくつかユーチューブで開こうと
試みたけれど開かなかった。
どうなっているんだと思って
ユーチューブにベートーヴェン交響曲第5番と入れて
画面に出てきたサイトをいくつか開こうと試みたけれど
開かなかった。
2、3回タブレットを再起動してやり直したけれど
やはりダメだった。
エラー、再試行の表示が出てきた。
これはまずいなあ、ユーチューブで音楽が聴けないのは
僕にとってはかなり痛いことになる。
まあ、とりあえずタブレットの電源をOFFにして
また落ち着いて試行してもダメだったら
ソフトバンクのカスタマーサポートに電話をして
ヘルプを求めようと思った。
自分でネットで調べて解決するより
サポートダイヤルに電話した方が早いということが
往々にしてある。
いつもそうとはかぎらないけれど、、、。
それでしばらく時間をおいてまた正午過ぎに
タブレットを起動したら
ユーチューブ世界で接続不能というようなニュースが
ポップ画面に出てきた。
そのニュースを開くと17日午前10時頃ユーチューブが全世界で
閲覧不能状態になったが午前11時45分現在では復旧している
という内容のニュースがでてきた。
どれどれと思ってまたユーチューブを開いて
絢香さんのみんな空の下をユーチューブで開くとちゃんと
再生できた。
たのユーチューブのサイトもいくつか試みたけれど
どれも問題なく開くことができた。
これでソフトバンクのカスタマーサポートに電話する
必要もなくなったとほっとした。
電話しないで済むものならもちろんその方がありがたい。
そうか、僕はユーチューブ世界同時再生不能状態の
時間にユーチューブを開こうとしていたのか
と思うとこれもいいみやげ話であるような気もした。
それと同時にやっぱりこれって怖いことだなと思った。
よく新聞などでインターネットの業界は
大手のかせん状態となっていて
検索順位なんかでも利権がからんでいることがあるというような
ことが書いてあった。
実際例えば家庭教師の広告など
業者の広告がどんな検索のしかたをしても
大概は上位に来てしまって、個人で出す広告などは
よほど工夫しないと検索の上位には来ない
という状況になっている。
いずれにしてもネットの世界で独占やかせんの状態が
進むといざその会社の機能がマヒしたときにはやはり
ちょっとこわいなと思う。
この業界はそういうことにならないように
念には念を入れてバックアップ体勢をとっておくのが
大切なのだろうと思う。
と言っても僕はずぶの素人だけれど、、、。
松屋に入ったらカウンターの上にお盆がおいてある席があった。
でもそこは割りと座りやすそうな場所だったので
店員さんに「ここのお盆がおいてあるところ
誰かが席とってはりますか」と僕は言った。
店員さんは無愛想に「大丈夫ですよ」と言って
お盆を横へどけた。
その店員さんに僕はなにも苦情をいう筋合いは
ないのだけれど
愛想のよい店員さんなら
「すんません、お盆すぐにどけます、どうぞ、どうぞ」というような
言い方をする場面だろうなと思った。
その店員さんは決して緩慢に動いておられるという訳ではないのだけれど
表に急いでいるそぶりを見せないので
なんかお客をいらいらさせるものがあるなと思った。
それで気づいたのだけれど
午前11時を回ってそろそろ客足が盛んになりはじめた
お店をその店員さんは一人で回しておられた。
ひとりなのにお客はだんだん増えてくる。
この時間帯に店員さん一人で大丈夫だろうかと
僕の方が心配になりはじめた。
でもその店員さんはあわてるそぶりを見せないので
僕の隣で牛丼をたのんだ会社員風のかたも
「まだかなあ」と店員さんに言った。
店員さんはまた無表情に「どうもすみません」と言った。
ちょっとカウンターを見渡すと
食事が出るのを待っている人が五人程度はいる
これはちょっとまずいぞ、しびれをきらして
よそへいくから返金してくれという客も
時間の問題で出てくると思った。
そう僕が思った瞬間にもう一人の店員の人が
厨房に現れてその人が運びの担当になって
もう一人の店員さんは調理に集中することができた。
さっきのお盆も何となく状況から判断して
このあとから来た店員さんがおいたものだとわかった。
もう一人の店員さんはちょっと長めのトイレにでも
行っていたのかと思ってしまう。
しかし、松屋のように少人数で回している
ファーフトフードは急に休む人が出たら
大変だろうなと思った。
そのあたりのバックアップ体制も
考えておられるのだろうか
そのあたりは僕にはわからないけれど
大変なことには違いないと思う。


世代による考えのギャップ

2018年10月16日 | 日記
朝ラジオを聞いていたら若者は携帯電話が当たり前の
人生を送ってきたから待ち合わせの方法が年配の世代と
根本的に違うという趣旨のことを言っていた。
そういう若者式の待ち合わせ方法を
ビジネスのケースに持ち込まれるとかなり
年配の者はいらだちを覚えると。
どういうことかというと
待ち合わせるとき年配の世代は
ターミナルのどこそこのビルの3階の受付の前で
というところまで場所を絞り込む。
それが当たり前と思っている。
ところが若い世代の人は
ターミナルのどこそこのビルというところまでしか
場所を特定しない。
それで待ち合わせの当日にそのビルで
「お前、今、どこにおるん?」
「おれか?今、5階の喫茶店や」
「そうか?俺はいま一階のエレベーターの前やから
これからそっちに向かうわ」
「うん。たのむ」
とそんなやりとりをお互いに携帯電話でして
お互いの距離を接近させて出会うことが習慣化している。
とそのようにラジオのDJは言っていた。
なるほど言われてみるとそうだなと思う。
僕は若者と街で待ち合わせをしたことがないけれど
大阪のターミナルに行くとラジオのDJが言っていたような
会話を携帯電話でしている若者が確かに多い。
お前、いま、どこにおるんや
そんならそっちへこれから向かうわというような会話を。
僕も待ち合わせの場所はなるべく正確に特定したい
性格だからDJが若者文化として紹介していたような
ファジーな待ち合わせ方法だと
かなりストレスを感じてしまうと思う。
まあ、こういうのは世代の差による認識の違いかもしれないし
あるいは若者も歳をとるとファジーな方法に嫌気がさすかもしれない。
ただ、ファジーな待ち合わせの仕方だと
携帯電話の電池切れとか
携帯を家に忘れたというときは対応できなくなってしまうので
やはりビジネスライクなシチュエーションでは
場所はなるべく狭い範囲に特定する方が
失敗の起きる可能性が低いことは確実に言えると思う。
最近、世代による認識の違いを僕が意識したのは
20才くらいのかたの書いた新聞の投書を見たときだった。
こちらはルールに基づいてサービスを提供していたら
あるお客さんに「サービス悪いね」と言われてしまった。
しかしサービスとは何でもお客さんの思い通りに
することではなくルールの範囲でできることを
お客さんに提供しそれで理解していただくことという
趣旨のことをその投書は述べていた。
それを読んだとき、僕はこれはとても筋の通った
投書だけれど
年配の世代の認識は
サービスとはできるかぎりお客様にご満足いただくこと
もちろんその通りにできるとは限らないけれど
そのことに関しては申し訳ありません。
というのが多いと思う。
僕自身も大体はそういう認識でいる。
それで若い世代の人に
あまりにも機械的なマニュアル通りの対応を
されるとたまにイラついてしまうことがある。
まあ、辛抱しなければとは思うのだけれど、、、。