ケンのブログ

日々の雑感や日記

一日一日と

2018年10月15日 | 日記
昨日年賀状の印刷のパンフレットを見ていた。
平成に出す年賀状はこれが最後になるのだなとしみじみと思う。
平成の30年間、長いと言えば長かったように思えるけれど
短かったと言えばまた短かったように思える。
平成元年から今日までほぼ30年間
これから先さらに30年たてば僕は86才になる。
生きているかどうかわからないし生きていても
どの程度老化が進んでいるかわからない。
老化も健康と同様、運と努力がいろいろに作用して
個人個人である程度異なって来るものだと思うので。
時の流れというものを意識するもう一つの事柄に僕は遭遇している。
それは12年に一度のマンションの大修繕工事。
この工事をしないとマンションの劣化に繋がり
それは事故を招く可能性が高まることにも繋がるし
マンションの資産価値が落ちることにも繋がるので
この工事は大切なものだと管理の業者の方から説明があった。
いまから十二年前の大改修工事の時、僕は44才だった。
そんなに昔のことという気がしない。
さらにこれから十二年たち次の大改修工事の時には
僕は68才になっている。
68才は僕の母方の祖父がなくなった年齢。
なんかそう考えると光陰矢のごとし、人生あっという間だなと思う。
あっという間の人生だから急いでなにかをしなくては
と思っても急がば回れ、more haste less speedのならいで
余計になにかを仕損じる結果になってしまいそうに思える。
※ more haste less speedは急ぐほどスピードが落ちる
という意味の英語のことわざです。
金光さんもあせっておかげを取り逃がす人が多い。
おかげを受けるには辛抱が大切という趣旨のことをおっしゃっている。
一足飛びにいかないのは事実としても
日々積み重ねなければなにも積み上がらないという
考え方を大切にしたいと思う。
ニュースでレスリングの伊調選手が2年ぶりに復帰して
優勝したと出ていた。
各新聞社の写真を見ると
伊調選手、髪を短く切って
彼女こんなに綺麗だったっけというほど綺麗な
お顔をしておられる。
やはり、ある程度の年齢になると努力や日頃の
考え方が顔にも現れるのだろうかと思う。

健康は最大の利得

2018年10月14日 | 日記
朝ラジオを聞いていたたら女性のDJが
太るのを防ぐためにはよく噛んで食べること
早食いはつい食べ過ぎのもとになります。
よく噛んで食べることが満腹中枢を刺激し
適量の食事で満腹感を得ることができます。
というようなことを言っていた。
言われてみるとその通りだなと思う。
「早飯、早ぐそ芸のうち」というのは寅さん得意のセリフだった。
確かにそれは芸かも知れないけれど
健康のためにはあまりよくないのかも知れない。
もちろん早く食べなければならないこともあるけれど。
桑田佳祐さんは学生の頃
駅のホームで立ち食いそばを食べていて
途中で電車が来て立ち食いそばのどんぶりを
持ったまま電車に乗ってしまったらしい。
そういうことを防ぐためにはやはり
早食いは芸のうちなのだと思う。
もちろん残りのそばはあきらめてそのまま電車に乗れば
どんぶりを電車に持ち込むこともないわけだけれど。
でもどんぶりをもったまま電車に乗ってしまう
その執念がいい曲を作るのには必要なのかも知れない。
また、その女性のDJはスープや野菜を先に食べると
これも満腹中枢を刺激することになり
食べ過ぎ防止によいとのことだった。
うん、最近、僕は野菜を先に食べることが多いので
ちょっとそのDJの言葉に励まされた気分だった。
さらにDJは満腹中枢とイライラや
不安を感じる中枢は近いところにある
だからイライラした気分で食事をするとつい
食べ過ぎということになってしまうのでご注意を
と言っていた。
うん、これも言われてみるとその通りと思う。
マクドに行くとバタンと大きな音をたててトレーを
テーブルの上においてバーガーの臭いをプンプン漂わせながら
いきなりガツガツと食べ始める人がいる。
ちょっと見るとかなり太った人というパターンがとても多い。
なるほどDJの言葉があたっているように思う。
ちなみに僕がタバコを吸っているときに
新聞紙やパンフレットの紙で煙をバタバタっと払った人が
過去に3人ほどいたけれど3人ともかなり太った人だった。
3人の例だけではサンプル数が少なすぎて科学的論拠には
ならないと思うけれどなんだかイライラと肥満の
相関関係も調べれば出てくるような気がする。
先日ちょっとある人と話をしていたら
最近手の神経が切れてしまって字がかけないとのことだった。
その方いわく若いときに手が痛かったけれど
無理して仕事を休まなかったことがあり
そのときに痛めた神経がいまこういう形で
字がかけないという状態に至ったとおもうとのことだった。
人間のそういう直感って案外正しいことが多いとおもう。
きっとその方のおっしゃる通り、若いときの
無理がいま身体の症状として現れているのだと思う。
若い頃のそうした無理が年をとって現れる人
あまり現れない人、個人差はあると思う。
そういう個人差を生むのは何なのだろう。
運命か、日頃の行いか。
まあ、その両者が色々に組合わさって
いろいろな結果が生まれてくるのだと思う。
どんな結果が生まれてきても
それが自分にとって必要なことと思い、
またそれに対処していくことが成長につながるのだと思う。
現れてきたことをうらみに思うときっと成長は止まるのだと思う。
ブッダのことばを読んでいたら
健康は最大の利得と書いてあった。
今日のように介護を必要とするかどうかで
老後の出費がおおきく変わってくる世の中になると
本当にその通りだなとしみじみと思う。
しかし、その健康でさえも気をつければ
絶対大丈夫とは言い切れない。
やはりブッタのいう通り一切は空だなと思う。
結局私たちは、自分の力の及ばないことは
天にお任せして信じたように進んでいくしかないのだと思う。

稲刈りの季節 年賀状印刷承ります

2018年10月13日 | 日記
昨日に引き続き今日もなんだか秋の深まりを感じるなと思う。
動いているとそこそこ暑いけれどちょっと止まっていると
寒くなってくる。
朝のラジオでも衣替えを考える季節と言っていたけれど
僕ももういつでも長袖を着られるようにしておかなくてはと思う。
ユニクロの冬物を掲載した新聞折り込み広告も
今日の朝刊に入っていた。
隣の町のスーパーマーケットに行くとサンマのポスターが貼ってあった。
秋刀魚と書いてサンマ。
僕はサンマを漢字で秋刀魚と書くのを知ったのは
二十歳過ぎてからだった。
映画館に小津安次郎監督の秋刀魚の味という映画の
ポスターが貼ってあってそれでサンマを秋刀魚と書くことを知った。
確かに秋が旬の刀のような形をした魚だから
秋刀魚と書くのはとても風流なことに思える。
スーパーには秋刀魚の塩焼きもかなりの数売っていた。
そんな季節なんだなと思う。
と言っても、僕はサンマ、サバ、イワシの類いは
缶詰のものを食べるのがほとんどなので
こういう機会がないとなかなかサンマで季節を
感じるということもないのだけれど。
秋刀魚のポスターがレジの横に貼ってあって
その奥にはクリスマスケーキそしておせち料理のポスターが
貼ってあった。
本当に商売は何事も季節の先取りだなと思う。
そんなことを意識しながら町の中心にあるアーケード街の
文房具屋さんの前を通ると年賀状印刷承ります
というポスターが貼ってあった。
さっそく店内に入るともうカタログも用意されていて
十月中に印刷を申し込むと印刷代15%OFFとなっている。
昨年は十月の一日頃にここの文房具店に入って
年賀状印刷のことを尋ねたら
「それは、まだです」と言われてしまって
ちょっとあわてすぎたかなと思った。
さっそくカタログをいただいてもうどれにするか
半分候補を決めてしまった。
朝のラジオによると今日は二十四節気の寒露
それをさらに三分割した七十二候では
きくのはなひらくにあたるとのこと。
きくのはなひらくは文字通り菊の花が開く頃ということだという。
そういえば僕の自宅近所のM神宮も十一月になると
都忘れの菊の花が咲く頃かなと思う。
一週間前の七十二候はみずはじめてかるだった。
これは田畑の水を干すという意味とのことだった。
そのとき水田をチェックしようと思って忘れてしまったけれど
昨日電車の車窓から僕が住んでいる地域の水田をチェックしたら
一部を除いて稲刈りが終わっていた。
もう稲刈りの季節なんだなと思う。

ずいぶん涼しくなったと思う

2018年10月12日 | 日記
台風が来て十月にしてはちょっと暖かいというか
暑いかなという感じの日がしばらく続いたけれど
今日はちょっと肌寒いなと思う。
とはいうものの僕はちょっと動くと
すぐに暖かくなる体質なので
そとに出て歩いたり室内でも姿勢を
正したりしているとすぐに半ぞでになってしまう。
半袖を着て人に「肌寒いですね」と言っても説得力が
ないような気がするのでこんな日は
僕の体質を知っている人以外には
寒くなりましたねとか言いにくいような気がする。
もちろん半ぞでを着ているなら着ているなりに
肌寒さは感じている。
寒く感じたときのためにアームカバーも用意している。
こんな日は童謡 里の秋を思わず口ずさみたくなるなと思う。

静かな 静かな 里の秋
おせどに 木の実の落ちる夜は

なんとも言えずいい歌詞だなと思う。
朝ラジオを聴いていたら秋は運動会の季節
でも最近は学校行事も多様化して
春から初夏に運動会をする学校も
多くなりましたねとDJとゲストが話していた。
僕の小中高校時代は運動会はいずれも
秋だった。
小学校の運動会の応援歌は軍歌に
運動会向けの歌詞をつけたものだった

僕が小学校低学年の頃は

秋空晴れて果てもなく と歌っていた。
小学校高学年になると
新しい音楽の先生が僕の小学校に赴任してきて
秋空晴れて果てもなくを
秋空すみて果てもなく という歌詞に改めた。
その改めた歌詞を覚えたとき
秋空すみてよりも秋空晴れての方がいいのに、と思った。
寅さん得意の台詞に
「あすはからっとした日本晴れだぞ」というのがあるけれど
季節はいつなのだろう。ちょっとそれは記憶にない。
 
運動会が秋か初夏かという話題のなかで
ラジオのゲストの男性ミュージシャンは
「僕の学校は進学校でしたから運動会は初夏でした」と言っていた。
それで調べるとそのミュージシャンは東北の
ある県のトップの県立高校の出身だった。
その高校から入試偏差値でいうところの
中堅私大に進学したようだ。
もちろんその高校からは東北大学に
例年何十人という合格者が出ている。
そういう高校から中堅私大に行っていても
僕の高校は進学校でしたと
きっぱりと言える感覚が僕は割りと好きだなと思う。

守ってあげたい

2018年10月11日 | 音楽
朝ラジオを聴いていたら松任谷由実さんが
菊地寛賞を受賞されるということを言っていた。
受賞理由は日本人の新たな心象風景を作り上げたとのこと。
それでラジオでは松任谷由実さんの曲
守ってあげたいが流れた。
中学生の頃、僕の友達でユーミンが好きな子がいたので
よくレコードを貸してもらってカセットに録音して聴いた。
守ってあげたいもユーミンの初期の頃の歌なので
当時聴いた何枚かのLPのなかに収録されていた。
成人してからは中高生の頃ほどユーミンの歌を
聴かなくなったけれど一枚ピアノでユーミンの
主要なヒット曲を演奏して収録したCDの
アルバムを持っていた。
その中に守ってあげたいも収録されていて
それは僕のお気に入りのナンバーだった。
ユーミンのメロディラインはちょっと
センチメンタルで美しいのでピアノのソロの演奏で
聴いても十分に楽しめる。
いつか、中島みゆきさんもピアノだけで演奏した
アルバムが出ていないかとずいぶん調べたけれど
みゆきさんは僕が調べた限りではピアノソロで
演奏したアルバムは出ていなくて
ピアノとチェロで演奏したものは出ていた。
そういう事実に遭遇してみると
なるほど中島みゆきさんのメロディはユーミンよりも
重厚な場合が多いのでピアノソロの演奏や
オルゴールには馴染まないように思える。
ピアノで聴く守ってあげたいはメロディも美しいし
歌詞もメロディを聴いていると思い浮かぶので
メロディを聴きながら歌詞のイメージを
心で膨らませたりしていた。
本当にメロディも美しいし歌詞も美しい歌だなと思う。
歌詞全体が好きだけれど特に好きなフレーズを列挙すると
こんな風になる。

初めて言葉を交わした日の
その瞳を忘れないで
いいかげんだった私のこと
包むように輝いてた

遠い夏 息をころしトンボを採った
もう一度あんな気持ちで
夢をつかまえてね

日暮れまで土手に座りレンゲを編んだ
もう一度あんな気持ちで夢を形にして

初めて言葉を交わした日
遠い夏、息をころしトンボを採る
日暮れまで、レンゲを編む
こんな言葉によって彩られた歌詞を
聴いていると僕は田舎で育ったせいも
あって風景が心に浮かぶようだった。
なんかとても懐かしい気持ちに満ちた風景が。

松任谷由実さんの菊地寛賞受賞の理由は
日本人の新たな心象風景を作り上げたことだという。

守ってあげたいを見る限りそれは新しい心象風景と
いうよりも懐かしい心象風景という気がするけれど
ユーミンの歌や歌詞をトータルで見ると
それは新しい心象風景と言えるのかもしれない。

いずれにしても歌詞を聴いていて
こんなにいろんな風景を思い浮かべることのできる
アーティストは他にそんなにいないなと思う。