ケンのブログ

日々の雑感や日記

昭和も遠くなったなと思う。 元横綱輪島さん逝去

2018年10月10日 | 日記
昨日ネットのニュースで54代横綱の輪島さんが
亡くなったと知って本当に昭和もずいぶん
遠くになったなあと思う。
輪島の全盛期がちょうど僕の中学、高校時代に当たったので
とても熱心に輪島のことを応援していた。
たぶん僕の生涯で輪島以上に特定の力士を
熱心に応援することはもうないと思う。
輪島の訃報に接して現役時代の取り組みをいくつか
ユーチューブで見たのだけれど最高にカッコいい力士だったなと思う。
仕切りの所作はゆったり深い、
土俵入りの所作も同様だった。
気合いが入ると回しを叩いたり顔を叩いたりする
力士が多いなかで僕の記憶では
輪島は土俵で気合いが乗ってくると
腰を割った状態で両ふくらはぎを外側から
両手で叩くくせがあった。
あれもかっこよかったなと思う。
左を差して左半身で力が出る力士だったと記憶しているけれど
半身で力が出る強い力士というのは僕は輪島の他に記憶がない。
その半身の型もまた独特でかっこよかったなと思う。
本当に中学生のときの僕は輪島のことをめちゃくちゃ応援していて
どの場所だったか忘れたけれどあるとき
輪島の優勝が決まった直後によし、歯を磨こうと思って
歯を磨いていたら輪島が勝った勢いで
歯を磨く手に力が入りすぎて歯磨きの途中で
歯ブラシの柄が折れてしまった。
56年生きてきて歯磨きの途中で
歯ブラシが折れたことはあのときただ一度しかない。
歯ブラシが折れるほど輪島のことを応援していたんだな
と今にして思う。
記憶に残っていることをいくつか書く。
昭和48年の九州場所輪島は初日から
十一連勝して十二日目の対戦は貴ノ花だった。
この相撲輪島はかなり一方的に勝ったのだけれど
勝ち名乗りを受けるときに右手を痛そうにしていた。
どういうことなのかわからなかったけど
輪島が土俵下に降りると輪島の右手からかなり血が出ていた。
貴ノ花との相撲で手を怪我したことは明らかだった。
呼び出しからタオルを出してもらって手にあてると
みるみるタオルが血でにじんだ。
相撲は勝つと勝ち残りでたまりにいなければならないけれど
たしかあのときの審判長は初代横綱若乃花の二子山さん
だったと思うけれど、審判長の裁量で
輪島は勝ち残りを免除になりそのまま
花道を下がっていった。
なんかあのときは審判長の温情裁量が
よかったなとしみじみと思った。
そのとき輪島は前の場所から通算27連勝していて
翌日も手を6針縫ったけれど出場ということになった。
もちろん負傷した右手は包帯を巻いているので使い物にならない。
翌日、つまり十三日目の対戦相手は
今、大相撲解説で活躍しておられる北の富士だった。
当時の北の富士は「相手が横綱と言っても
片手の使えない力士に負けたら面目ないじゃない
やりにくいなあ」というようなコメントをしていたと思う。
その相撲で輪島は力なく北の富士に破れたことは記憶している。
ただ、今は当時の映像をユーチューブで再現することができる。
それを見ると、北の富士さんかなり立ち会い思いっきり行って
左四つになっているように見える
輪島が半身で下手投げを打ってくることも
折り込み済みのような感じで
輪島が投げを打って腰が入ったところに
うまく足をかけてそとがけで北の富士の勝ちになっている。
今、改めて振り反ってみると北の富士さん
そとがけ得意だったなと思う。
まあ、それでもその日に輪島は1敗、琴桜、北の富士の
両横綱はすでに4敗ということでその日に
輪島は優勝が決まった。
そして残り二日を輪島は休場して千秋楽に天皇賜杯を
抱いた。
僕の記憶にあるかぎり休場した力士が優勝したのは
あとにも先にもあのとき一度きりだなと思う。
昭和49年の名古屋場所
この場所は北の湖の綱取りの場所だった
千秋楽北の湖13勝1敗
輪島12勝2敗の星一つの差で両者は対決した。
本割りで輪島が勝って両者同点
決定戦も輪島が勝って輪島の逆転優勝。
しかし、北の湖は優勝同点ということで
次の場所横綱になった。
あのときは本割り決定戦ともに
土俵際で輪島の左の下手投げが決まった。
ちょっと輪島を応援しているものにとっては
最高の場面だったなと今でも思う。
輪島と北の湖は両者左の相四つだから
立ち上がると決まったように左四つになって
力相撲になることが多かった。
パターンがある程度決まっていても
見ごたえのある土俵だったなと思う。
ただ、こういう機会に久しぶりに
昭和の土俵を見ると
今の時代とはスピードはぜんぜん違うなと思う。
本当に昭和は遠くなったものだと思う。