シン・ギョンスク作家のイベントでお話を聞いてからもう10日たってしまいました。
一番印象に残っているのは
저는 이 세상에서 가장 가엾고 슬프고 아픈 사람들을 위해 글을 씁니다.
私はこの世で一番かわいそうで悲しくて辛い人たちのために文を書きます。
と言う話。
シン・ギョンスク作家は好き好きの分かれる作家だと思うんです。
苦手。という人もいるし、はまればはまるし。
そして、私は。
2年前の[엄마를 부탁해]は、すっぽりはまって、大学に戻るぞ~!という決意を硬くしたものでした。
去年読んだ[어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고]はイマイチ。
そんなに辛く書かなくてもいいのにというか、登場人物をいじめないで><という気持ちになりました。
『離れ部屋』もアン・ウシク先生の翻訳で読んだけど、韓国の70年代後半から80年代の社会運動の方にばっかり気持ちが行ってしまって、パク・ジョンヒに抵抗していたはずの現大統領と、パク・ジョンヒの娘が同じ政党なのはなんでだろう?とか、知恵がついた分だけいらんことばっかり気になって、主人公の寂しさに寄り添えなかった気がします。
振り返ってみると、2年前は私はすごく辛い時期で、
去年大学に戻ってからは世界が広がって水を得た魚のように楽しくて
(「離れ部屋」を読んだのもこの時期)、
ちなみに今年前半、体調も悪くて仕事もなくて鬱々と男性社会だからだめなのよ!
と愚痴っていた時期に読んだ『菜食主義者』もとっても気に入ったのですが、
この本はうちの夫も怖がって読まなかったし、
後輩の男の子も読んだ後ずっと気持ち悪かったって。
シン・ギョンスク作家の本がぴんと来ないときは、私はちょっと幸せなのかな?と
思うことにしました。
同じ作家の本を同じニンゲンが読んでも、タイミングによって感じ方は違うんですよね。
シン・ギョンスク作家はそれだけ、読む人の心をいじると言うか、内面に訴える作家なのでしょう。
読者ごとにいろんな読み方があって、それでいいのだと思います。
そして、そんな感想を語り合えるのもいいですよね。
ちんまりとやっているBookCafeだけど、やっててよかったな。とおもう今日このごろ。
一番印象に残っているのは
저는 이 세상에서 가장 가엾고 슬프고 아픈 사람들을 위해 글을 씁니다.
私はこの世で一番かわいそうで悲しくて辛い人たちのために文を書きます。
と言う話。
シン・ギョンスク作家は好き好きの分かれる作家だと思うんです。
苦手。という人もいるし、はまればはまるし。
そして、私は。
2年前の[엄마를 부탁해]は、すっぽりはまって、大学に戻るぞ~!という決意を硬くしたものでした。
去年読んだ[어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고]はイマイチ。
そんなに辛く書かなくてもいいのにというか、登場人物をいじめないで><という気持ちになりました。
『離れ部屋』もアン・ウシク先生の翻訳で読んだけど、韓国の70年代後半から80年代の社会運動の方にばっかり気持ちが行ってしまって、パク・ジョンヒに抵抗していたはずの現大統領と、パク・ジョンヒの娘が同じ政党なのはなんでだろう?とか、知恵がついた分だけいらんことばっかり気になって、主人公の寂しさに寄り添えなかった気がします。
振り返ってみると、2年前は私はすごく辛い時期で、
去年大学に戻ってからは世界が広がって水を得た魚のように楽しくて
(「離れ部屋」を読んだのもこの時期)、
ちなみに今年前半、体調も悪くて仕事もなくて鬱々と男性社会だからだめなのよ!
と愚痴っていた時期に読んだ『菜食主義者』もとっても気に入ったのですが、
この本はうちの夫も怖がって読まなかったし、
後輩の男の子も読んだ後ずっと気持ち悪かったって。
シン・ギョンスク作家の本がぴんと来ないときは、私はちょっと幸せなのかな?と
思うことにしました。
同じ作家の本を同じニンゲンが読んでも、タイミングによって感じ方は違うんですよね。
シン・ギョンスク作家はそれだけ、読む人の心をいじると言うか、内面に訴える作家なのでしょう。
読者ごとにいろんな読み方があって、それでいいのだと思います。
そして、そんな感想を語り合えるのもいいですよね。
ちんまりとやっているBookCafeだけど、やっててよかったな。とおもう今日このごろ。
次は「離れ部屋」を読もうと思います。シン・ギョンスク作家を攻めて行こうかな、と(^^)。
男受けしない小説だと思いましたよ~。
そして、男のロマンっぽい『蒙古斑』が李箱文学賞をとった、というのも納得。
そして、映像化された『花を宿す女』も上映会がありますよ。
だから今全然読んでいません^^;
おんにが「どこかで電話のベル」をまた読んでいるって聞いて、あっその本うちにある!と思い出しました。
これから読もうと思っていたのですが、辛いお話なの?
しあわせだからピンと来ないかも^^
とりあえず読んでみます。
「どこかで...」は悲劇が続きますね。
時々涙ぐんじゃうんですけど、それは悲劇が起きた時の描写じゃないところで。
親子、姉妹の間の感情なんかに反応するみたいです。特に父を最近亡くしたせいでしょうか。