映画「晩春」と「秋刀魚の味」(2016.5.28日作)
「原節子さん 死去に伴い再見した
小津作品に寄せる感想」
映画「晩春」と「秋刀魚の味」
共に 母親のいない娘を嫁がせる
初老の男性の物語
「晩春」 昭和二十四年(1949)作
「秋刀魚の味」 昭和三十七年(1962)作
全く似たような つくりの作品
小津安二郎監督作品共通の 市井の
日常を生きる人々のスケッチ 描写
格別の波瀾 展開はない
「秋刀魚の味」の「晩春」の 二番煎じ
とも取れる
物語の展開 趣 なぜ
小津監督は
この作品を撮ったのか?
創造力の衰え? 老監督の繰り言?
かつて 黒澤明 溝口健二 木下恵介 今井正 衣笠貞之助 等々
名だたる名匠 巨匠 名監督たちが
豪華絢爛 華麗な作品群を連発していた時期
小津監督は
「豆腐屋には豆腐しかつくれない」
自身の制作姿勢を 変える事なく
時代遅れ とも取られかねない作品を
撮り続けた
時代は移り 今日現在 平成二十八年 2016年
かつての名匠 巨匠たちが ことごとく 世を去り
時の流れ 過ぎ逝く時間は 過去 という
時の中 その時々の世情が生み出した 塵 芥 を
払い落とし 洗い流して 物事
事象の本質 その核心 を 今 という
時の中に 浮き彫りにする 時代の中
時の流れの中では 見えかねたものたちが 今
時の経過 に 濾過され 浄化されて
真の姿を 見せて来る
映画「晩春」と「秋刀魚の味」
根底に流れるものは
小津作品に通底する
基本の姿勢 その根源は
日本というこの国が持つ 型
日本人という この国に根を持つ 人々
その国 その人々の本質 特性
その姿 たたずまい を 描き切る
似たような話の展開 似たような人の動き
日々 日常を生きる人の姿 形は
変わらずとも 移り逝く時の中 人の
心模様 世間 世情 は 過去と今
現在と過去 微妙な変化 差異 を
刻んでゆく 似たような話の展開
似たような人の動き たたずまい
それゆえにこそ 映し出される
鮮明な 時代の変化 人の
心模様の かすかな ゆらぎ
映画「秋刀魚の味」で 小津監督が
描きたかったもの 多分
時代の変化 時の流れ
その変化 流れがもたらす
人の心 世の中 世情 社会 の
微妙な うつろい で
あったに違いない 名作「晩春」を さかのぼり
逆照射 する事により より鮮明 より強力 に
その主題が 映し出される映画 「秋刀魚の味」
娘を嫁がせた 後に 抱く 初老の男性 父親の
責務を果たし得た 満足感 安堵感
その中に漂う もはや
この家に娘の姿のない 一抹の寂しさ 寂寥感
その感覚こそが 真諦
ほろ苦い サンマの味 であったに違いない
昭和三十年代制作「秋刀魚の味」
昭和二十年代制作「晩春」
全く同じつくりの作品二つ でありながら
「秋刀魚の味」は 断じて 名作
「晩春」の 二番煎じ などでは
あり得ない 「晩春」を 確かな形で継ぐ
作品なのだ