遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 228 小説 影のない足音 他 歌謡詞 雨の孤独

2019-02-10 12:25:35 | 日記

          雨の孤独(2019.1.25日作)

 

   雨の日は 心も暗い

   恋人よ あなたは来ないから

   一人聞く アダモの唄が辛い

   もしもこんな時 あなたに会えたなら

   力の限り抱き締め 離しはしないのに

   もう日が暮れる 夜が来る

   雨に滲んで ネオンが点る

   ーーーーー

   いつの日も あなたと二人

   幸せを夢見た あの頃に

   今はただ 涙が帰るばかり

   雨に暮れゆく 街角あの路地が

   虚しく愛の終わりを 教えるだけなのね

   もう再びは 帰らない 

   あんな幸せ 夢見た夜ごと

 

          ----------

 

 

          影のない足音(2)

 

 定職はなかった。バーテンダーの真似事やら、喫茶店のボーイ、キャバレーの呼び込みなどをして、その日暮しに日を送っていた。いわゆる悪(わる)ではなかったが、女たちとの関係は数知れずあった。水商売の女たち、あるいは今度の女のような行きずりの女たちと、その日の気分のままに、女たちを誘っては関係を続けていた。

 だが、わたしの方から女たちに入れ込む事はなかった。たいがいは、わたしの方から嫌気が差して別れていた。一年と続いた関係はまずなかった。飽きっぽいと言われればそれまでだったが、わたしの心のうちには、どこかに乾いた感情があって、それが女たちに対しても熱くさせなかった。

 女たちに対してばかりではなかった。日々、生きているという事自体にわたしは、微妙な違和感を抱いていた。生きる為の確かな芯が掴めていなかった。なんとなく心の奥底に不満があって、それがなんであるのかも分からないままに、その不満を払拭出来ないでいた。

 ---二度目に女に会ったのも、この前と同じバー「蛾」だった。新宿も外れの四ツ谷に近い場所にあったが、わたしの馴染みの店ではなかった。

 わたしはそれでも、例の出来事があった次の土曜日、女を待つつもりで、わざわざその店へ行った。

 女はしかし、来なかった。

「あの女は、よく来るのかい?」

 わたしは、この前のバーテンダーに何気なく聞いた。

「いえ、初めて見えた人ですね」

 二十歳を少し過ぎたぐらいに見えるバーテンダーは言った。

 それで、わたしはなんとなく、女はもう、この店には来ないのではないか、と推測した。金を置いてゆくという行為の中に、手切れ金の意味を含ませたーー、女の無言の意思が込められている気がしていたのだった。

 その夜、わたしが「蛾」へ行ったのも、また一つ顔馴染みの店が出来たぐらいの、単なる気まぐれからだった。女に会う事への期待など、気持ちの片隅にも持っていなかった。

 時間はキャバレーの呼び込みを済ませたあとで、十一時を過ぎていた。扉を開けた途端に女の姿が眼に入って、わたしは足を止めた。

 女はカウンターの一番奥まった席に一人、ポッネンとして座っていた。入り口に近い両端のカウンターには、若い男女の一組と、中年の男連れの一組がいた。

 女が顔を動かした気配はなかった。それでも女は、カウンターの奥の棚に並んだグラスや酒の瓶を映し出している鏡の中で、わたしを見ていたらしかった。わたしが真っ直ぐ女の背後に近付き、並んでスツールに腰を下ろしても顔色一つ変えなかった。

「今晩わ」

 わたしは言った。女の返事も待たずに、

「ずいぶん久し振りじゃない?」

 と、顔を覗き込むようにして続けた。

 女はわたしの顔を見ようともしなかった。

「そうでもないわ」

 と、冷ややかな横顔で言った。

「いらっしゃいませ」

 この前の若いバーテンダーではなかった。初めて見る顔の、三十歳ぐらいで穏やかな感じの、痩せぎすな男だった。

 わたしウイスキーを注文した。

 女の前にあるグラスには、空色をしたきれいなカクテルが三分の一ほど入っていた。

 わたしはせわしなくポケットからタバコを取り出して火を点けた。それから一気に煙りを吐き出して、

「ここへは、よく来ていたの?」

 と、指に挟んだタバコをくゆらせながら聞いた。

 女は黙っていた。

 バーテンダーがカウンターの上でグラスを滑らせ、わたしの前に置くとウイスキーを注(つ)いだ。

「この前、どうして帰ったの ? 眼を覚ましたら、あんたがいなくてびっくりした」

 女はそれでも黙ったままで、グラスを口に運んだ。

「二万円、有難く貰っておいたよ」

 わたしは皮肉を込めて言った。

「おれを悪だと思ったの ? それとも、おれを買ったのかな ?」

 わたしは更に皮肉っぽく、女を追い詰めた。

 女はなお、黙っていた。

「別に心配しなくても大丈夫さ。遊びなれてるから」

 女は腕の陰に置いてあったタバコの箱から、細く長い一本を取り出して、赤いマニキュアをしたきれいな指に挟んで唇に運んだ。

 わたしは百円ライターで火を点けてやった。

 店内では、若い男女の一組がいなくなっていた。中年の男連れと、わたしと女だけになっていた。

 いつの間にか看板の時間が来ていた。

 女の白い顔が酒気を帯びて、ほのかに上気していいるのが分かった。

 気付いた時には中年の男連れもいなくなっていた。

 約束をしたわけではなかった。それでも女は、わたしを嫌がる風ではなかった。わたしたちは連れ立ってバーを出た。

 女はタクシーの中で座席の背後に頭を持たせ掛け、眼をつぶった。

 ひどく静かな印象だった。

 女が自分から話し掛けて来る事はなかった。

 わたしには、女が何を考えているのか分からなかった。

 女はベッドの上でも、芯の溶け切れない堅さを残していた。

 

    ーーーーー      

 

 わたしはそのあと、少し眠ってしまったらしかった。眼をつぶり、女の様子を伺うつもりでいたものが、気が付いた時にはどれだけかの時間が過ぎていた。