遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(365) 小説 十三枚の絵(2) 他 NHKの不見識

2021-10-03 12:11:18 | つぶやき
          NHKの不見識(2021.9.30日作)


 日本放送協会 NHK
 国民からの受信料により 成り立つ組織
 その組織が 個人の名を喧伝する 
 許されるか ?
 日本放送協会 NHK 総ての国民
 一人 一人のもの 特定人物 個人のもの
 ではない そのNHKが 最近 と言っても 
 かなり以前から 個人の名を冠した番組を
 しきりに 放送している
 如何なものか ?
 個人の人気への肩入れーー 等しい 行為
 ではないか ?
 同じ業種に属する 同業者は
 受信料を払い 競争相手を
 国民の前に披瀝 応援する その行為と
 同じ結果に なりはしないか ?
 以前 一昔前のNHKには 
 なかった事だ 以前のNHK 
 一昔前のNHKは
 特定個人に偏る番組など
 厳しく規制していた 番組名に
 特定個人の名を冠する事など
 皆無だった だが 最近のNHK まるで
 商業放送 民間放送局
 何時から こうなってしまったのか ?
 民法番組と変わらぬ番組構成 放送内容
 かつてのNHKの見識 品性 品位 品格 
 無い
 おそらく現在のNHK
 番組制作者達は 幼い頃 四六時中 放送される
 民放番組 その画面を観て 育った人間達に違いない
 無意識裡に 植え付けられた常識 それが
 NHK 日本放送協会の番組制作 その
 制作現場で露出してしまうーー 多分
 そうに違いない 民放局と
 同類番組を制作しても恥じない 人間達を
 造って来たに違いない
 NHK 日本放送協会 番組制作者達よ 
 民放番組と同類番組を制作するのなら 
 あなた達が存在する意義はない
 料金を徴収する資格はない 料金徴収 
 民放放送では無い事だ NHK 番組制作者達よ 
 その 民放放送と同類番組を作っていて 恥ずかしくはないか
 心は痛まないか ? NHK 日本放送協会番組制作者達よ 
 あなた達は民間放送には求め得ない 公正 平等 誇張 の
 無い 真実の姿を伝える その事にこそ 
 存在意義がある
 NHK 日本放送協会 国民の放送 その番組内容は
 他国から見た時 その国の民度を測る 尺度 ともなる
 どうか 軽々しい 軽薄な 視聴率狙いの番組制作だけは しないで
 欲しい





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          十三枚の絵(2)



 結城さんの心の裡には常に、自分の生活が仮のものだ、という意識があった。本当の生活は、ルドンの絵が象徴するように、深い精神性に根を下ろしている。その世界を見つめ、表現してゆく事が自分にとっては、生きる上での欠かせない基本だと考えていた。
 その世界に比べ、現実の世界は余りに雑駁、醜悪に思えた。常に他者の存在を頭の隅に置き、気遣い、配慮して、何事もない平穏無事をひたすら願う。時には、自己の欲望さえも抑制して、不満を抱えたままに妥協の世界を生きる。     
 常に利益が優先される商いの世界は、結城さんに取っては対極の地にあった。結城さんの溶け込んでゆける世界ではなかった。結果として、結城さんは何時も両親の期待を裏切り続けた。
 家業や結婚だけではなかった。絵に於いてもそうだった。何時までも芽の出ない結城さんに両親は、格別、批難の眼を向ける事もなかった。それでも結城さん本人にしてみれば、日々、年老いてゆく両親の姿を見るのは、商家の長男としては、気の休まらない思いだった。
 絵の道さえ開ければ・・・・、焦りは日毎に深まったが、現実は如何にも動かし難かった。
 両親も既に八十歳に近い年齢になっていた。体力の衰えは隠しようもなかった。壮健な頃には、千里先を読む、と言われた父も年齢と共に次第に、目配りの利かない場面が目立つようになって来ていた。店には、九人の店員が居たとはいえ、絵を描く合い間に父の手伝いをするような立場の結城さんではあっても、長男としての結城さんの肩には父の衰えの分だけ、その比重が掛かって来た。その上、悪い事には、家事の一切を切り盛りしていた母の上に、思い掛けない物忘れの症状が現われるようになっていた。結城さんの焦りは一層、深まった。
 このままでは、家業も自分の絵も、行き詰まりになってしまう。
 結城さんは、恐怖にも似た強い感情の中で不安に突き動かされ、最終の決断を下さなければならない場面の近付いている事を実感した。
 絵を取るか、家業を取るか ?
 結局、結城さんの下した判断は、自分の絵を選ぶ事だった。
 一切の家督を妹夫婦に譲り、自分は絵の道を選ぶ。
 強い決意の下に結城さんはそう決めた。
 妹夫婦は結城さんの判断に、敢えて、反対はしなかった。もともとが、妹の夫は計理士として株式会社「結い」の経理担当をしていた。妹が社長になる事に、なんの不都合の生じる事もなかった。
 結城さんはそうした事の一切と共に、東京の地を捨てて、かつて、何度も足を運んだ事のある房総の地を自分の新しい旅立ちの地として、選択したのだった。



          二



 結城良介さんと房総の地の繋がりは、もう、十年以上にもなる。この地へ来る度に結城さんは、森本旅館を宿にして、常連になっていた。
 わたしはある年、上京した森本から、森本自身の房総の地での生活ぶりを聞かされた。
 森本は幸福そうで、如何にも人生を楽しんでいる風に見えた。
「殊に、秋から冬にかけての季節の中での狩猟の醍醐味は、何ものにも代え難いね」
 森本は如何にも楽しげに言った。
 わたしはそんな森本に誘導されたように、
「一度、連れて行ってくれよ」
 と、言っていた。
「今年の秋、来いよ」
 と、森本は言った。
 わたしは東京でスーパーマーケットを経営していた。趣味と言えば、下手な ゴルフを除いて、他には何もなかった。それでも、戦時中、群馬の田舎に疎開していた事があって、その時、近所の人達がするのを見ていて、狩猟には憧れに近い気持ちを持っていた。それだけに、森本の一度の案内でわたしはすっかり、その虜になっていた。翌年には早速、狩猟免許の取得に励んでいた。
 結城さんとの出会いは、七年前の秋だった。
 その時、結城さんは猟には行かなかった。夜、森本旅館で、獲物を肴にわたし達と酒を酌み交わした。
 翌年、結城さんもわたし達と山へ入った。
 その翌年に結城さんは、辰っあんの土地を借りて移り住んだ。
 結城さんは、そこで絵を描いて暮らした。
 無論、金の入る手立てはなかったので、食べるだけの野菜などは自分で作った。
 外にも、鶏や山羊などを飼ったりして、卵や山羊の乳などを自給した。
 米だけは作る事が出来なかったので、辰つあんの仕事を手伝い、分けて貰ったり、手間賃として得た金で、絵の具を買い、必要な物などを揃えたりなどしていた。
 そうして、結城さんが房総の地で絵を描いて暮らす生活は、一応の安定をみせた。無論、東京の実家に頼る事もなかった。東京へ行く事さえ、ほとんどなかった。
 結城さんには、二十年かけても、絵の道を全うする事が出来なかったーー。常に、その思いがあって、自分を人生の敗北者だと見なしていた。
 そんな結城さんだっただけに、何時ごろから体調を崩していたのか、仲間内の誰も知らなかった。日頃から寡黙な結城さんは、自分の事など話題にする事はなくて、ひどく疲れたように見える時でもみんなは、結城さんが昨夜も夜明かしで絵を描いていたに違いない、などと推測していたりなどしていた。

 その日、わたし達は例年通り、朝、暗いうちに森本旅館を出た。
 三十分程かけて山へ入った。
 山へ入るとわたし達は、成果を競い合うために、それぞれが各自の穴場を目差して別々の行動を取った。
 わたし達は一日中、山の中を歩き廻った。
 その日のわたしの成果は、自慢出来るものではなかった。
 山鳩三羽と鶉二羽だった。
 一日中歩いてこれだけだった。
 わたしは些かの疲労感に辟易しながら、森本旅館へ戻った。
 辺りは既に暗くなっていた。
 森本も辰っあんも帰っていた。
 結城さんはまだだった。
 わたし達は、結城さんもその内、帰って来るだろうと思い、庭先でそれぞれの収穫成果を披露し合った。
 森本はカルガモ二羽、山鳥二羽、山鳩五羽、鶉一羽の成果だった。
 辰っあんはが一番の成果で、雉子一羽、山鳥五羽、山鳩七羽、鶉三羽だった。
 わたし達は、座敷からの明かりが洩れる庭先でそれぞれの獲物を籠に入れると、とにかく、一風呂浴びよう、という事になった。
「それにしても、結城さんは遅いなあ」
 森本が改めて、結城さんのまだ,戻らない事に気付いて心配気に言った。
「そうだなあ。まさか、道に迷ったんじゃないだろうな」
 わたしも心配になって言った。
「しょっちゅう絵を描きに山の中へ入ってる結城さんだ。そんな事はないよ」
 森本は問題にもしないように言った。





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          takeziisan様

          コメント 有難う御座います
           どうか あれだけの数のブログを
          こなしていらっしゃる時間の中 お気遣い
          なさらないで下さるよう お願いします わたくしの
          方が楽しませて戴いているような訳ですので
           今回もいろいろ 楽しませて戴きました
          稲刈り 懐かしい風景です 今では大型機械が
          一気に仕事を進めてしまいますが 子供の頃の
          全く 似たような体験です
           農作業 至福の時間ですね ですが あっちが痛い
          こっちが痛い いずこも同じ秋の空 ご同感です
           那須 姥が原の景色 良き思い出ですね わたくしも
          東北に旅した折り 紅葉 黄葉の林の中を車で
          走りぬけた その時の感動が今でも鮮明に
          思い出されます それにしても この国は 
          狭いながらに 美しさを持った国土だと思います
          また 尾瀬の景色 わたくしは尾瀬へ行った事は  
          無いのですが なぜか 尾瀬には「夏の思い出」の
          歌と共にあの景色を見ると郷愁を誘われます
           郷愁と言えば「石廊崎の少女」 御自身 今
          読み返してみても 懐かしいのではありませんか
          情景が見事に浮かびあがります いい詩です
           ペレス プラード 「ピーナツ ベンダー」 
          これも懐かしいですね 前にも書きましたが
          この時代には いい楽団が揃っていました
           その他 花々 野鳥 景色 いろいろ 楽しく
          懐かしい時間を過ごさせて戴きました
          余り 時間の取れない身には 貴重なひと時です
           有難う 御座いました




          桂蓮様

          有難う御座います
          アマデウス わたくしも観ました
          ちょっと昔なので 詳しくは覚えていませんが
          確か モーツアルトが悪戯小僧のように
          描かれていた気がします
           モーツアルトにしてみれば 凡人の愚鈍さを
          笑わずにはいられなかったのではないかと思ったり
          しています でも あるいは わたくしの記憶違い
          かも知れません
           わたくしは日本で言えば 美空ひばりは
          紛れも無く 天才だったと思います
           映画 東京キッド の中で歌うひばりの歌を聴き
          観て 実感しました 十歳かそこいらの子供が
          完全に大人の歌を唄っています メルボルン交響楽団や   
          NHK交響楽団などの指揮者を勤めた 
          故 岩城宏之さんも天才の一人に数えています
          その他 画家のピカソ ダリに天才を感じます
          古い時代のミケランジェロなど 天才は数多くいますが
           波乱の一年 読ませて戴きました
          桂蓮様の大筋が書かれていて とても参考になりました
          簡潔に書かれていて 読み易かったです
           それにしても 頭脳の優れた 良い方と
          巡り合いましたね どうぞ これからも御幸せに
           ブログ開設 1000日も拝見しました
          常に御自分の内面に心を向けている 御立派です
          自省のない所に 人格の進歩なんて ありませんものね
          日本の政治家達にも欲しいものです
           結婚式写真でしょうか ? なぜ 純日本風に?
          ブログ開設 の冒頭写真も良い写真ですね 
          広々とした風景 アメリカ映画などでよく見る
          広々とした風景には つい 憧れてしまいます
           いつも 御丁寧なコメント 有難う御座います