昨年公開された『関ヶ原』。DVD発売に伴い、原田眞人監督に話を聞いた。
黒澤明映画など、過去の映画を例に出しながら、いろいろと思いを語ってくれた。
詳細は↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1133229
久しぶりにテレビで再見。
初見(1990.2.3.丸の内松竹)の際のメモを。
いつかはこんな話が出てくるかもしれない…。最近の『男はつらいよ』シリーズを見続けてきた者は、心のどこかでそう感じていたに違いない。実際、満男役が演技のできる吉岡秀隆に代わってから、山田洋次は半ば意図的に満男に関するエピソードを増やしてきていた。
それは、もはや寅をはじめ、レギュラー陣が年を取り、動けなくなっていく中で、一人“これから”がある満男を中心にすえることで、タイトロープのシリーズ継続に、かすかな光を当てることができるかもしれない、と作り手たちは考えたのだろうし、われわれ長年見続けてきた側でも、そこに淡い期待を抱いた者は少なくはなかったからである。
ところが、実際にこうして寅さんが脇に回った、満男の主演作が作られてしまうと、いささか大げさだが、ジュリアン・レノンが決してジョン・レノンにはなれないのと同じように、満男は決して寅さんの代わりにはなれない、という当たり前の事実に気付かされてしまったのだ。
そして、このシリーズが本来持っていた、笑いの中の悲しさの“笑い”の部分が薄くなって、悲しさが際立ってしまうつらさも、今回、寅さんが脇に回ったことで、さらに切羽詰まったものとして感じさせられた。
特に、ラストの赤電話の場面は、ひと際悲しいものとして映った。これまでも似たような電話のシーンはあったけれど、ここまで悲しく見えたものはなかった。それは、今回、満男を主役としたことで、改めて満男と寅の立場の違いが浮き彫りにされたからだろう。
松竹よ「日本に正月がある限り」なんてばかなことを言っていないで、いいかげん収拾をつけてやってよ。ゴジラと違って寅さんたちは生身なんだから…。
【今の一言】ところが、今改めて見直すと、これがそう悪くはなかったのである。不器用な満男の恋、それを温かく見守る寅伯父さんという図に、ほのぼのとさせられた。これは公開時に感じられた寅さんはじめ、レギュラー陣の老いという、生々さが薄れ、昔話を見るような感覚で気楽に見られたからだろう。ここからの数作は、“番外編”として楽しめばいいのかもしれない。今から思えば、この映画は、80年代の最後に作られ、平成になって初めて公開された寅さん映画であった。その平成も間もなく終わる。