十月二十日は祖母の 誕生日
皇后陛下と同じなんてそれだけでも 上品で、優雅な感じがする。
田舎の旧家の出身で、本当に優しく、穏やかな明治女だった。
その たおやかな外見には似合わず、祖父と大恋愛の末に結ばれたらしい?小町の祖母に祖父が惚れ込んだと言うのが真相のようだが!?
親の決めた許婚がいたにもかかわらず、祖父の熱烈なアタックを受け、これまた旧家に嫁いだ。
祖父の兄弟が十人もいたし、四十過ぎの姑と同じ年に妊娠したり、その苦労も並大抵のものではなかったと思う。
しかし何と言っても、一番の苦難は、長男である私の父親が、四十六才で早世したことだ。
「おいまあ、どうしよう」の祖母の悲痛な叫びは今も忘れることが出来ない。
私は、数々の苦難を乗り越えて来たであろう祖母の愚痴を聞いた事がない。人の悪口や、小言も言わない良く出来た女性だった。
大きな家だったので、使用人たちが沢山いた。祖母は、心臓が悪かったらしく、畑仕事などは一切しない。しかし祖母に「頼むね」と言われてみんな良く働いてくれた。人望が厚かったのだと思う。
祖母の亡くなった明け方夢枕に祖母が出た。
「おばあちゃん」と声を掛けるとにこやかに微笑んでいた。大学四年の春だった。
朝一番に、下宿先の大家さんに祖母の喪の知らせが入った。
三年後の命日に私の長男が、予定日よりもずっと早く誕生した。
色々なことを教えてくれた大好きな祖母だった。
大きな家には大きな荷物
小さな家は大きくなれる
悩みのない家は無い
大きな木の下には小さな木しか育たない
旧家を守る女の家訓だと解釈している。