私の三十数年前の花嫁姿
色々な病気や、交通事故の後遺症で、今は全く別人のような私の姿
夫の介護無しには、生活出来ない毎日を送っている。
夫とはたった二回しか会わないで、お見合い結婚をした。
2月28日に会って、3月の私の誕生日に婚約した。わずか2ヶ月の準備で、5月2日に挙式した。
ゲゲゲの女房の故郷島根県安来市に赴任中の夫とは、婚約中一度も会っていない。
式の前日夫は島根県から帰って来ましたけれど、私とは会いませんでした。
結婚式に夫は来ないのではないかと思いました。
何もかも不安だらけの結婚だった。
夫の声が好きなだけだった。
鬼千匹と呼ばれる小姑の立場が嫌だった。
父無き後、兄の代になった実家に私の居場所は無かった。
叔父の言葉を借りれば、『会社の結婚式』を無事に終了。
結婚式の当日、三島駅から新幹線で夫の赴任先に向かった。
新婚旅行ではない。楽しい旅ではない。本当の旅立ちだった。
高校教師だった私の教え子たちが、下りのホームに沢山見送りに来てくれた。
制服姿の乙女達がГ先生」Г先生」と感傷的に私との別れを惜しんでくれた。
「もう帰れない」新妻になった喜びなど微塵もなく、愛する人と結ばれた満たされた心など何も無い、型だけの夫婦になった私達は、不安と未知への希望だけを胸に、新幹線に乗り込んだ。
と
その時思いがけずに、拍手の嵐!!
車両中の乗客が全員で、Г先生、おめでとう』Г先生おめでとう」と大きな声でお祝いの言葉をかけてくださった!
全く知らない、縁もゆかりもない人々
ホームでの生徒達との別れを車両の中から見ていたのでしょうか?
自然発生的におめでとうコール
私の人生で一番感動的なシーン
小説だって、ドラマだって、こんなに素晴らしいシーンは知らない。
私達が、京都で降りるまで、途中下車する方が、口々に、Гお幸せに」と声をかけてくださった。
私の迷いはこの乗客達の励ましコールで随分と軽くなった。
決して平凡とは言えない、波乱万丈の三十数年の結婚生活だった。
私達はいい夫婦になっただろうか?
新幹線で見ず知らずの私達に「おめでとう」の声をかけてくれた皆さんの励ましを心に夢と希望を持って歩んで来た夫婦生活だったと思っている。