鳥居がすごく低くて、頭を下げて参拝します。
旗は、二月初午にお稲荷さんに奉納します。
二月初午の思い出
私の実家にもお稲荷さんが祀ってありました。
石で出来た古い祠でした。実家の墓地に天正年間の墓石がありますが、それよりもずっと古びていましたので、数百年は経っていると思います。五十年前までは、お茶工場の南の裏に在ったのですが、父の死をきっかけに、場所を屋敷の北側に移動しました。
新築に伴い、現在はまた屋敷の西側に移動しているようです。
子どもの時は、二月初午の朝、近所で家にお稲荷さんを祀っているお宅に旗を持って行くと、お赤飯とお菓子、ミカンなどを頂いてとても嬉しかったのを覚えています。
旗は、赤、黄、緑、紫などの色紙を糊で張り合わせて、笹竹で作った竿に通します。
我が家では、旗に筆で、横書きで奉納
縦書きで、真ん中に正一位稲荷大明神
左側に、平成二十四年二月初午夢見るタンポポおばさんと言うように書いていました。
Г嫁に行くなら、お稲荷さんと堀抜き井戸と蔵のある家」と言うのは、実家のある地域では、昔、嫁入り前の女の憧れでした。
水道も十分整備されていない時代でしたので、井戸は理解出来ますが、お嫁入りに、お稲荷さんは必要なのでしょうか?
きっとお稲荷さんを祀っているというのは、蔵にお米が有るのと同じように、旧家で経済的に豊かな証拠だったのでしょう。
信仰心が厚い家とか、神様が守って下さっている屋敷という意味合いもあったのかも知れません。
一番最初が蔵ではなくて、お稲荷さんですからね!
私は生家にお稲荷さんも堀抜き井戸も蔵もあったのに、お稲荷さんも堀抜き井戸も勿論蔵なんて無い人(家も無かった)に嫁いで、旗を奉納することも無く、子どもの頃の二月初午を懐かしんでいます。