矢沢宰 詩集光る砂漠より
私の手は糸束をにぎり、
君の手はせわしく糸玉を舞う。
その手と共に、
君の小さな口もとは、
小雀が餌をあさるように動く。
私は君の言葉をはにかんで受ける。
朝飯前の一時、
夜来の雨は からりと晴れ、
五月最後の空はどこまでも
青く輝き、
庭の木や草々は
若い生き生きとした息を放つ。
風は ポプラの小枝をわたり
部屋のシャクヤクの白い花を静かにゆする。
君は立って、
私は寝て糸束をにぎる。
矢沢宰の詩集光る砂漠には五月を歌った詩が三編掲載されています。
五月の詩。
僕は、もえがらではない、
一つのベッドをあたえられて
悲しみながら
じっとがまんしているんだ、
Гちょっと今晴れているか、空を見てくれ」
人間て言う奴を
考えれば考えるほど不思議に思える。
その不思議の深さを
本当にはっきり見た人が
死んで行くのだろうか。
花は花として見たい
草は草として見たい
かわいい女の子を
そうと手の平に乗せて
いつまでもいつまでも
見ているような気持ちになりたい、
そんな気持ちになるよう
がんばろう!
五月が去るとて
五月が去るとて
何を悲しむ。
たとえ伏す身といえど
熱き血潮をたぎらせて
生きると決したは
この五月の時では
なかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
この胸に
真白きバラを
押しつけて
進もうと誓いしは
この五月の時ではなかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
ああ だがこの若き十六歳を
むかえての
五月が再びまいらぬと思えば
矢沢宰さんは、二十一才で亡くなった詩人です。
五月が去るとて何を悲しむ
私も何を悲しむことがありましょう。