夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

憂国忌 今日は三島由紀夫の命日です

2010-11-25 20:22:10 | 日記・エッセイ・コラム

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今日11月25日は三島由紀夫の命日です。

昭和45年11月25日

若干45歳の若さで、割腹自殺という衝撃的なニュースは、日本中を震撼させました。

天才とは彼のためにある言葉でしょう。

彼は自分が産湯に浸かっている場面を記憶していると書いています。

早熟な天才だったのは疑う余地がありません。

映画化された潮騒は1953年三島由紀夫がわずか17歳の時の作品

金閣寺も1956年彼が20歳の時の作品です。

文学のためだけに生きて、もっといっぱい書いて欲しかったと思うのは、私だけでしょうか?

しかし、昨今の国会中継をテレビで見ると、『憂国の思い』を持たないではいられないことは、私とて同感する。

Гいったいこの国はどうなっているのだ?」と国会議員たちの野次を聞きながら、これが世界中に放送されたら、『日本人は、みんなこんなに下品で口汚い言葉を相手の話を良く聞きもしないで、叫ぶのか』と誤解されてしまうと憂慮する。

日本中の子供たちも、国民の代表である大人の国会議員達でさえ、国の予算を決める大切な会議に、あんなに騒がしいのだから、自分達も、授業中教師の言うことなど無視して、好き勝手にやっていいのだと勘違いしてしまわないかと、これまた憂慮する。

子供たちの方が賢いと信じたい!


いい夫婦 次男夫婦の場合

2010-11-23 20:51:48 | 日記・エッセイ・コラム

今日は次男夫婦の結婚記念日

2005年11月23日衆議院議員細野豪志の縁で結婚しました。

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当日の細野豪志のブログです。

お見合い国会ツアーはいかが?

最近、出席する機会の増えた知人の結婚式ですが、今日の式は格別に印象的でした。

25歳の新郎と24歳の新婦は、何と今年の4月に私の事務所で企画した

国会見学で出会ったのです!!

国会見学を終えて私も加わった屋形船では、すでに二人の世界を形成していましたので、微笑ましくは見ていたのですが、わずか半年でゴールインするとは、いやはや     以下略

当日国会見学ツアーでどんなエピソードがあったか興味津々でしょう?

私の聞いた話です。

バスの中で、彼女のスラックスの裾がほつれて困っていたようです。

次男が自分のはいていたジーンズの安全ピンを外して、彼女にあげたようです。

(と言うことは次男の裾もほつれていたと言うことですね)

『何て優しい人なの』と彼女は感激したみたいです。

安全ピン一つで超美人の彼女の心を射止めるなんてロマンチックな話ですね!

結婚五年

二人の女の子に恵まれ、元イケメンは今では、育menをしています。

夫婦で力を合わせて、仲良く暮らして欲しいと願っています。


11月22日はいい夫婦の日

2010-11-22 20:56:31 | 日記・エッセイ・コラム

私の三十数年前の花嫁姿

色々な病気や、交通事故の後遺症で、今は全く別人のような私の姿

夫の介護無しには、生活出来ない毎日を送っている。

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夫とはたった二回しか会わないで、お見合い結婚をした。

2月28日に会って、3月の私の誕生日に婚約した。わずか2ヶ月の準備で、5月2日に挙式した。

ゲゲゲの女房の故郷島根県安来市に赴任中の夫とは、婚約中一度も会っていない。

式の前日夫は島根県から帰って来ましたけれど、私とは会いませんでした。

結婚式に夫は来ないのではないかと思いました。

何もかも不安だらけの結婚だった。

夫の声が好きなだけだった。

鬼千匹と呼ばれる小姑の立場が嫌だった。

父無き後、兄の代になった実家に私の居場所は無かった。

叔父の言葉を借りれば、『会社の結婚式』を無事に終了。

結婚式の当日、三島駅から新幹線で夫の赴任先に向かった。

新婚旅行ではない。楽しい旅ではない。本当の旅立ちだった。

高校教師だった私の教え子たちが、下りのホームに沢山見送りに来てくれた。

制服姿の乙女達がГ先生」Г先生」と感傷的に私との別れを惜しんでくれた。

「もう帰れない」新妻になった喜びなど微塵もなく、愛する人と結ばれた満たされた心など何も無い、型だけの夫婦になった私達は、不安と未知への希望だけを胸に、新幹線に乗り込んだ。

その時思いがけずに、拍手の嵐!!

車両中の乗客が全員で、Г先生、おめでとう』Г先生おめでとう」と大きな声でお祝いの言葉をかけてくださった!

全く知らない、縁もゆかりもない人々

ホームでの生徒達との別れを車両の中から見ていたのでしょうか?

自然発生的におめでとうコール

私の人生で一番感動的なシーン

小説だって、ドラマだって、こんなに素晴らしいシーンは知らない。

私達が、京都で降りるまで、途中下車する方が、口々に、Гお幸せに」と声をかけてくださった。

私の迷いはこの乗客達の励ましコールで随分と軽くなった。

決して平凡とは言えない、波乱万丈の三十数年の結婚生活だった。

私達はいい夫婦になっただろうか?

新幹線で見ず知らずの私達に「おめでとう」の声をかけてくれた皆さんの励ましを心に夢と希望を持って歩んで来た夫婦生活だったと思っている。


則天去私 晩秋の小さな旅

2010-11-22 00:09:08 | 写真

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伊豆修善寺の修禅寺にて

鐘楼の屋根に紅葉

青竹と紅葉

修禅寺は岡本綺堂の修禅寺物語の舞台になっています。

住職の吉野真常師は20年以上前に、子供の悩み事の相談にのっていただいて以来我が家の心の師

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沼津市内浦重寺からの富士山

故郷沼津から見える富士山は女性的で優しい姿をしています。

夏目漱石は修善寺で大患のため、生死の間をさまよいます。

漱石は晩年Г則天去私」

天に則り、私を去る。

小我を捨てて、自然の大道に従うの意

我意に捉われない自然な生き方を理想とする文学観を唱えるようになります。

大自然の中に身を置くと、人間の営みが小さなものに思えます。

歴史あるものに触れると、時間がゆったり流れるように感じます。