見事なグラジオラスの花
今年は庭に五十本程咲きそうです!
毎日次々と蕾が上がって来ます。
一昨年の春、私を救急車で搬送する時にストレッチャーが寝室のベッドに直接着けられるようにしたり、スロープを作って、玄関まで車椅子で行けるようにしました。
長い間丹精した植物を泣く泣く整理して、生きて行く力が無くなる程がっかりしたものです。
ところが悪いことばかりではありませんでした!
およそ二十年ぶりの天地返しによって、表面だけ耕していた土地が、ユンボで深く大きく掘り起こされ耕されました。
そして去年の夏に蘇ったのが、このグラジオラスです!
息子達がまだ小学生の時に、バザーで球根を買って植えたグラジオラスの子孫達。
二十年以上の間地中深く、花咲く日を待って毎年成長を続けていたのです。
ピンク色の花には赤いハートが二つついています。
去年の夏、蘇ったグラジオラスの球根の話と、ハートの付いた花の写真をNHKに送ったら、『たっぷり静岡』と言う番組で放送して下さいました。
元気一杯に咲いたグラジオラスと共に、自分が撮影した花の写真がテレビで放送された事にも感動しました!!
今年は去年の花の後で球根を掘り起こして、キチンと干して管理して植え付けましたので、こんなに沢山咲いています。
植え付けてない庭のあちらこちらからも、まだまだ新しい子孫達が芽を出して来ました!
蘇ったグラジオラスの花!!
お仏壇への供花は勿論のこと、通院している病院にもお裾分け。
美しく気高い姿の根性グラジオラスへ贈る花言葉は、『辛抱』
掛ける言葉は、『ブラボー』
草花の葉の裏だけでなく、木や石、地面近くにも沢山います。
私の左手人差し指の大きさと比較して下さい。
葉っぱの真ん中のとんがり帽子みたいなものが小さなカタツムリです。
一円玉よりもずっと小さな巻き貝みたいな形のカタツムリです。
日本では最近カタツムリをあまり見かけなくなりましたね…
私が子供の頃は、梅雨時には紫陽花の葉っぱの裏で良く見かけたものです。
パラオでは日本の普通の大きさのカタツムリは見かけませんでした。
(マレーシアボルネオ島コタキナバルのカタツムリもジャンボサイズで、ホテルの庭の熱帯植物の中で見つけた時には、近くにいたアメリカ人も驚いていましたよ…
大きさは、大人の女性の握りこぶしくらいでした!)
襲わないと解っているので怖くは無いですが、大きさにはビビります。
モーターボートの操縦士さんと私の足の色の違い
パラオの現地の方は、肌は焦げ茶色の方が多いようです。
黒人ではありません。
海外旅行に行くと色々な違いに気がつきます。
肌の色。
髪の色。
瞳の色。
言葉。
習慣。
宗教。
食べ物。
交通手段。
お金。
価値観。
大切なもの。
日本で当たり前な事が、海外では決して当たり前ではありません。
電力事情。飲める水道水。綺麗なトイレ。清潔な住宅。安全な市民生活。入浴出来る施設や環境。衛生的な食べ物。
私は海外旅行に行くと何時も日本は何て贅沢な国なのだろうと日頃の自分の生活を反省させられます。
違いを知る事。
違いに気付くこと。
違いを認めること。
大切なことだと思います。
みんな違ってみんな良い。
今日は富士山の山開きです。
今年は富士山が世界文化遺産登録された記念すべき山開きです。
自分は病気で少ししか歩けないのですが、富士登山を見るのが大好きです!
富士山の山小屋の灯。
ジグザグの登山道を蟻の行列のように進む登山者のヘッドライトのチラチラと光る灯火。
山小屋から山小屋への一筋の光りの筋。
満点の星空。
月。
夜空に浮かび上がる富士山の姿。
富士山麓に生まれ、育ち、人生の大半を富士山麓で過ごしているにもかかわらず、山頂までは一度も登った事も無く、この身体では多分これからも登れないと思います。
でも富士山は見ているだけでも感動する神々しい山なのです!
Г富士山が見えないと寂しい。」と言う亡き母の願いを叶える為に、母の故郷の富士山がドーンと大きく見えるこの場所に母の死の翌年移住して来ました。
富士山は私にとって母、心の支えなのです!
美しく気高い姿。
誰にも愛される山。四季折々に変化する山麓の豊かな自然。
テレビで登山者で大混雑の山頂付近を見て、
『富士山は登る山ではない。拝む山だ。』と言って、毎朝富士山を拝んでいた祖母の言葉に「そうだね……」と今日なら答えられそうな気がしました。