こんにちは。
16日(水曜日)のブログで紹介した男性は
どうも「何かの勧誘」をしているようです。
「オレを信じろ」というマインドコントロール系の
危険な勧誘であれば、どうやって対処したらいいかな?
ということからインスパイアです。
※
社会人で、時々見かけますが
「特定のカリスマ的な師匠(メンター)」
に心酔し
「その人の主張の受け売り『だけ』している」
というケースにも共通する内容でいきます。
◆松下幸之助と加藤大観(大将と軍師)
松下幸之助には軍師のような存在が複数いました。
加藤大観もその一人です。
僧侶である大観に、松下幸之助は
いろいろな悩み・相談を持ちかけました。
ところが不思議なことに松下幸之助は
言われたアドバイスと真逆の決断をしました。
加藤先生にいろいろ相談はするのだが
結局は先生のおっしゃることの
正反対ばかり実践してきたものだ。
先生が「右にいきなはれ」といえば
実際は「左に」
先生が「やめなはれ」
実際は「よし、やってみよう」
なぜ松下幸之助は反対のことをやり続けたか?
◆大将は全部、軍師のいいなりになってはならない。
加藤先生は軍師や。
尊敬しているし、かならず先生に相談はする。
しかし私は先生の意見を尊重し、その上で自分で考えて
結果として先生の意見とは違う方向に向かったものだ。
なぜなら先生は軍師であるが、私は大将なのだ。
大将が軍師の言いなりであれば、それは大将ではない。
◆大将とは、自分ですべての責任を負う存在。
このエピソードの私の読み解きです。
加藤大観は軍師という立場で、大将の松下幸之助にだけ
意見を述べる責任(役割)を負っています。
ところが松下幸之助の立場は大将なので
会社の従業員すべてに責任(役割)を負っています。
つまり大将とは
『他人に責任転嫁できない「自分自身の判断力」』
を発揮しなければならない責任と役割がある立場でもあるのです。
◆まずは『師匠』に、つぎに『自分』が判断する。
松下は軍師に相談をしていました。
自分だけの判断は独断や限界があるものです。
1.
自分では正しい判断だと思うが
軍師にも必ず相談してみる。
2.
違う意見が出てくる場合がある。
そこから客観的な見方ができあがる。
3.
そこではじめて
もう一度自分の意見を考え抜いて
結論をだすと良い。
◆大将とは自分自身のことにほかならない。
師匠がいるということは大切なことですね。
メンターがいること、支えあう仲間がいることも大切ですよ。
ところが最終的には
『人生の主人公は自分自身』なので
『自分自身が大将の役割』を果たさないといけません。
師匠、メンター、仲間といえども
彼らはあなたの人生にすべて責任を負うものではありません。
リアルで難しいのが現実の人間関係でもあります。
一番重要な優先順位を考えたら、個人の人生戦略は
軍師よりも大将の判断力にかかっていると思います。
つまり
『自分自身がすべての判断の源泉』
になることが必要ですよね。
◆自己啓発系・特定のビジネス系における注意ポイント
〇〇がすばらしい。これが一番。と師匠が言っている。
ではあなたは
『師匠のコピー』なのか『あなたそのもの』なのか?
あなたは自分の人生の軍師なのか大将なのか?
大将としての判断ができていない人たちであれば
少なくとも本物ではないと私は思います。
スピリチュアル系の大御所でもある教育哲学者
ルドルフ・シュタイナーの金言を最後に紹介しますね。
神秘修行者は、師に導かれても
決してその師の個人的な崇拝者、いいなりになってはならない。
「師の語る真実にのみ忠実」であるように。
(危険な個人崇拝への戒め)
では。
※補足
学校教育の現場において、この論理は使わないでね。
『先生の言うことは聞かないほうがいい』
というではないのです。この論理は社会人同士に限ります。
シュタイナーもこの点で注意喚起してます。
(基礎教育の段階では基本的に)
先生を尊敬し、尊敬(畏敬)を前提に先生の言うことには
従うことを学ばせよ。
16日(水曜日)のブログで紹介した男性は
どうも「何かの勧誘」をしているようです。
「オレを信じろ」というマインドコントロール系の
危険な勧誘であれば、どうやって対処したらいいかな?
ということからインスパイアです。
※
社会人で、時々見かけますが
「特定のカリスマ的な師匠(メンター)」
に心酔し
「その人の主張の受け売り『だけ』している」
というケースにも共通する内容でいきます。
◆松下幸之助と加藤大観(大将と軍師)
松下幸之助には軍師のような存在が複数いました。
加藤大観もその一人です。
僧侶である大観に、松下幸之助は
いろいろな悩み・相談を持ちかけました。
ところが不思議なことに松下幸之助は
言われたアドバイスと真逆の決断をしました。
加藤先生にいろいろ相談はするのだが
結局は先生のおっしゃることの
正反対ばかり実践してきたものだ。
先生が「右にいきなはれ」といえば
実際は「左に」
先生が「やめなはれ」
実際は「よし、やってみよう」
なぜ松下幸之助は反対のことをやり続けたか?
◆大将は全部、軍師のいいなりになってはならない。
加藤先生は軍師や。
尊敬しているし、かならず先生に相談はする。
しかし私は先生の意見を尊重し、その上で自分で考えて
結果として先生の意見とは違う方向に向かったものだ。
なぜなら先生は軍師であるが、私は大将なのだ。
大将が軍師の言いなりであれば、それは大将ではない。
◆大将とは、自分ですべての責任を負う存在。
このエピソードの私の読み解きです。
加藤大観は軍師という立場で、大将の松下幸之助にだけ
意見を述べる責任(役割)を負っています。
ところが松下幸之助の立場は大将なので
会社の従業員すべてに責任(役割)を負っています。
つまり大将とは
『他人に責任転嫁できない「自分自身の判断力」』
を発揮しなければならない責任と役割がある立場でもあるのです。
◆まずは『師匠』に、つぎに『自分』が判断する。
松下は軍師に相談をしていました。
自分だけの判断は独断や限界があるものです。
1.
自分では正しい判断だと思うが
軍師にも必ず相談してみる。
2.
違う意見が出てくる場合がある。
そこから客観的な見方ができあがる。
3.
そこではじめて
もう一度自分の意見を考え抜いて
結論をだすと良い。
◆大将とは自分自身のことにほかならない。
師匠がいるということは大切なことですね。
メンターがいること、支えあう仲間がいることも大切ですよ。
ところが最終的には
『人生の主人公は自分自身』なので
『自分自身が大将の役割』を果たさないといけません。
師匠、メンター、仲間といえども
彼らはあなたの人生にすべて責任を負うものではありません。
リアルで難しいのが現実の人間関係でもあります。
一番重要な優先順位を考えたら、個人の人生戦略は
軍師よりも大将の判断力にかかっていると思います。
つまり
『自分自身がすべての判断の源泉』
になることが必要ですよね。
◆自己啓発系・特定のビジネス系における注意ポイント
〇〇がすばらしい。これが一番。と師匠が言っている。
ではあなたは
『師匠のコピー』なのか『あなたそのもの』なのか?
あなたは自分の人生の軍師なのか大将なのか?
大将としての判断ができていない人たちであれば
少なくとも本物ではないと私は思います。
スピリチュアル系の大御所でもある教育哲学者
ルドルフ・シュタイナーの金言を最後に紹介しますね。
神秘修行者は、師に導かれても
決してその師の個人的な崇拝者、いいなりになってはならない。
「師の語る真実にのみ忠実」であるように。
(危険な個人崇拝への戒め)
では。
※補足
学校教育の現場において、この論理は使わないでね。
『先生の言うことは聞かないほうがいい』
というではないのです。この論理は社会人同士に限ります。
シュタイナーもこの点で注意喚起してます。
(基礎教育の段階では基本的に)
先生を尊敬し、尊敬(畏敬)を前提に先生の言うことには
従うことを学ばせよ。
しかし単一の万能薬なのかどうか?
私は冷静に距離を置き、使命にしたがい個人個人のキャリアの処方箋を出していこうと思っています。
「師にあっては師を殺し」
たとえ自分の師匠であっても殺してしまうくらいの態度判断がないと、禅の修行が難しいということですが
「物事は他人に頼りきりにならず自分で判断せよ」という意味もあります。