「悪人正機」説とは、悪人こそが往生す([死後極楽へ行く)のがふさわしいと説いた親鸞の思想のことである。
ここで気にかかることは善人が極楽へ行くという教えは何の抵抗もないが悪人こそが極楽へ行くと云われると「あれ?」と思うことだろう。
仏教では僧侶の戒律は多いそうだが、在家の人々に対する戒律は、
①殺すな②盗むな③淫するな④嘘をつくな⑤大酒を飲むな、など易しいものばかりですが、中でも①の殺生するな、は古くから仏教で強調されてきました。
そこで、猟を職業とする人たちや毛皮を加工したり商いする人たちを差別したりした時代もありました。こうした状況の中で、親鸞聖人が悪人こそが極楽へ行けると説いた真意は何かと云う問題が生じます。
答えは親鸞が重視したのは客観評価ではなく、自己評価であったということのようです。
親鸞の言う善人は、自分は仏教の戒律を守りいつも念仏を唱えてきたと自己評価している人であり、
悪人とは自分は今まで魚を食べ、鹿やウサギを美味しいと云って食べ,お米さえ子孫を残すために稲と云う命ある植物の種を横取りして食べてきた。このような罪深い生き物で自分は悪人であると自己評価している人のことである。
とすれば、お釈迦様は「自分は罪深いと深く反省している人こそ極楽へお導きになると説いたことになるのです。
参考文献は新潮新書「初めての親鸞」五木寛之著、です。
5月の蓮池
↑半夏生(はんげしょう=半化粧=病気でなく、葉の一部が白くなる)の芽吹きと紫陽花。