今日の読売で読んだ話だが、国文学者の池田弥三郎氏が奥様と東北地方に旅された時のこと、
宿の玄関先で番頭さんがいつも、「爺さんさん婆さんがおでかけ!」とか「爺さん、婆さん、がお帰り!」と毎回大声で云うので、
ついに番頭さんに抗議して呼び方を変えてくれと云ったところ番頭は爺さん婆さんなどと云っていない。
ただ、お客さんのお部屋番号の「13番サンお出かけとか、お帰り」と従業員に伝えているだけだと云ったそうだ。つまり、方言と云うか「なまり」の聞き間違いであったとのこと。
まことに、面白い話である。
蛇足、東京の銀座通りの10丁目あたりに「天国」という天ぷら屋さんがあります。此処は江戸時代から続く老舗の天ぷら屋さんで、池田弥三郎先生の生家は此の「天国」だときいたことがあります。
銀座には「番長小学校」と云う学校があって、池田先生の母校、先生は子供のころ訊いた祖父母たちの言葉を思い出し「江戸方言を研究されそれを土台にして之本語学を打ち立てられました。これが正に「氏より育ち」である。
そこで、僕は僕の好きな尾張弁を考え始めた。
この言葉でなければ心が伝わらないと確信できる尾張弁である・
①は「ぎょうさん」である。
家族で潮干狩りに行って来たという友人から沢山のアサリを頂いた時など「ぎょうさん頂戴してありがとう」と云わないと「沢山頂いて」と云っていては気持ちが伝わらない。
ぎょうさんを漢字で書けば「仰山」だろう。つまり、仰ぎ見る感じ、
山のようにと云う驚きの感じが含まれている。沢山にはそれがない。
②は「やっとかめだなも」である。この言葉には「久しく待っていた」という気持ちがふくまれているが「お久しぶり」にはその気持ちが入らない。
これは「やっとかめ」の中の「やっと」に「待ち望んでいた」という意味を連想しているという同音異語の連想がなせる業かも知れない。
「伊勢は津で持つ,津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と謳われたそうだが、
僕に云わせれば「尾張名古屋は尾張弁で持つ」が正しいということになる。
名古屋の本町通りの近くに長者町と云う通りがあります。
此処は繊維問屋さんが軒を連ねていて上品な奥様達が流暢な尾張弁で挨拶をしておられたものだ。此処無くして名古屋は無い、と断言できると思います(T)
5月の前庭