かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

トランプ氏の指名獲得に思う。

2016-05-06 | 気ままなる日々の記録

  正式にはアメリカ大統領選挙の共和党推薦候補者選びで暴言の多かったトランプ氏が指名確実となったことと云うべきかもしれない。

 それにしても、彼の発言には鋭い切り口の極論が多かった。

 例えば「アメリカは、無料で他国を護るほど豊かではない」 「アメリカに自国を護って貰っている国はコストをアメリカに支払うべきである」.等々である。これらは、ホワイト・ブルーの不満と伝えられたものである。

 今の国会で大騒ぎになっているTPP条約に関しても牛肉や乳製品および米(こめ)まで我が国の関税の撤廃を求めた。

 日本政府は必死に抵抗「自由化すれば我が国の牧畜及び酪農は壊滅的な打撃を受け食の自給自足の原則も踏みにじられてしまう可能性があるから。」

 政府が米を特別に輸入し政府管理米として備蓄することでやっと妥結した模様である。

 ことほど左様に、アメリカもむき出しの自国の利益を追求し始めたと云える。

 つまり、かってのアメリカが見せていた発展途上国を援助したり、同盟国の利益を尊重するという富豪のような態度や心意気をすっかりなくしたという訳である。そういえば、アメリカの失業率が米ドル市場でいつも話題になっている。

 米国国内のの白人労働者階級の不満が増大してきてそれを代弁しているという解説もなされている。

沖縄返還の時繊維製品の輸出を自主規制したということはありましたが。

 今やアメリカも一人勝ちの時代ではなく、

 自動車はドイツと日本にお株を取られ精密機械もやはり日本とドイツに押されて第2次大戦直後のような勢いはなくして久しい。

 国際通貨としての米ドルも安くなる一方でその分円高になって日本の産業界は苦戦している。

 これらの経済的難問がトランプ発言の背後にある。

 憲法と自衛隊の問題や憲法と集団的自衛権の問題という我が国にとっての基本的な問題にも関係してくる。

 我が国左翼も憲法憲法とお念仏のように言っているだけで本当に自国が守れるのか。

 中国有、北朝鮮ありで、彼らが日本へ軍事進出してこないという保証があるのか。

 自衛隊は合憲とみなすか自衛隊の装備や人数は何処で決めるのかなど現実的な政策を国民に示さないと政治とは言えない。

 トランプ氏の発言は我が国にも鋭く突き刺さってきている。(T)

         

              5月5日の菖蒲   蓮池にて


好きな尾張弁考

2016-05-03 | 気ままなる日々の記録

 今日の読売で読んだ話だが、国文学者の池田弥三郎氏が奥様と東北地方に旅された時のこと、

 宿の玄関先で番頭さんがいつも、「爺さんさん婆さんがおでかけ!」とか「爺さん、婆さん、がお帰り!」と毎回大声で云うので、

 ついに番頭さんに抗議して呼び方を変えてくれと云ったところ番頭は爺さん婆さんなどと云っていない。

 ただ、お客さんのお部屋番号の「13番サンお出かけとか、お帰り」と従業員に伝えているだけだと云ったそうだ。つまり、方言と云うか「なまり」の聞き間違いであったとのこと。

 まことに、面白い話である。

 蛇足、東京の銀座通りの10丁目あたりに「天国」という天ぷら屋さんがあります。此処は江戸時代から続く老舗の天ぷら屋さんで、池田弥三郎先生の生家は此の「天国」だときいたことがあります。

 銀座には「番長小学校」と云う学校があって、池田先生の母校、先生は子供のころ訊いた祖父母たちの言葉を思い出し「江戸方言を研究されそれを土台にして之本語学を打ち立てられました。これが正に「氏より育ち」である。

 

 そこで、僕は僕の好きな尾張弁を考え始めた。

 この言葉でなければ心が伝わらないと確信できる尾張弁である・

 ①は「ぎょうさん」である。

 家族で潮干狩りに行って来たという友人から沢山のアサリを頂いた時など「ぎょうさん頂戴してありがとう」と云わないと「沢山頂いて」と云っていては気持ちが伝わらない。

 ぎょうさんを漢字で書けば「仰山」だろう。つまり、仰ぎ見る感じ、

 山のようにと云う驚きの感じが含まれている。沢山にはそれがない。

 ②は「やっとかめだなも」である。この言葉には「久しく待っていた」という気持ちがふくまれているが「お久しぶり」にはその気持ちが入らない。

 これは「やっとかめ」の中の「やっと」に「待ち望んでいた」という意味を連想しているという同音異語の連想がなせる業かも知れない。

 「伊勢は津で持つ,津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と謳われたそうだが、

 僕に云わせれば「尾張名古屋は尾張弁で持つ」が正しいということになる。

  名古屋の本町通りの近くに長者町と云う通りがあります。

 此処は繊維問屋さんが軒を連ねていて上品な奥様達が流暢な尾張弁で挨拶をしておられたものだ。此処無くして名古屋は無い、と断言できると思います(T)

     5月の前庭

 


友の遠方より来る、また楽しからずや。

2016-05-02 | 気ままなる日々の記録

     学生時代、当時卒業ゼミと云っていたゼミナールで「ヒルベルト空間論入門」を

 一緒に勉強した友人が昨日お見舞いに来てくれました。

 テキストは英文で,ハルモスと云う数学者の著作、何しろ1ドルが360円の時代である。

 正式にアメリカかイギリスで出版されたものを輸入して買っていたら貧乏学生には買えそうもない値段になっていたことだろう。

 こうなると「蛇の道は蛇」の格言通り通称海賊版と呼ばれていた本が何処からか入手で  き   た記憶である。思い違いかもしれない。

 そのテキストの節ごとに担当者を決めておいて、担当の節が来たら、

 担当者はその節に書いてある内容を説明し大切なところを友人と先生の前で解説する。

 定理の証明も同様に扱いその定理の有用性を解説する。

  テキストに「容易に分かる」と書いてあるところにも証明を付ける。

 これが難しかった記憶である。

 先生は「確率」の学会の機関誌の編集委員を務めておられた偉い先生で我々のようなオソマツな学生にはモッタイナイ先生であった。《僕たちを送り出した後すぐに京都大学に転勤されました》

 学会の機関誌編集委員は会員の選挙によって選ばれ、学会員が投稿してきた研究論文の価値を判断して機関誌に掲載するか没にするかを判断し、

 更に内容に関しても意見を添えて書き直しを依頼したりする権限を持つ。

 機関誌が将来性のある論文で溢れている学会は発展するが、そうでない機関誌の学会は会員が減る。つまり、機関誌編集委員は実質学会の運営委員のような権限を持つ人である。

 今日来てくれた友人は77鍵のキーボードを肩に掛けてきてくれ、コンセントにプラグを差し込み、アッという間に僕の病室でピアノ演奏をしてくれたのには驚いた。曲目は何とシャンソンで永遠の愛を誓った「愛の賛歌」だったような気がする。一番驚いたのは僕の病室の壁や天井だったことだろう。何故なら、僕の病室が素敵なコンサートホールのようになって、素敵な反響と共鳴を醸し出してくれたから、部屋が生まれて初めて華やいだ響きに満たされたのだから。

 僕の学生時代は、雰囲気が、現在の学生たちと全然違っていて何というか貧乏臭いというかがめついというかそんな雰囲気が満ちていた。

 頑張って沢山単位を取ると小学校教員の1級免許が取得できるというと頑張って1時間目から講義に出て単位を取って1級免許を取っておこう.

何かの折に役立つかもしれない、その時のために今は頑張っておこうという考え方が一般的で友人たちもそんな単位を取っていた。

  昨日来てくれた友人は自分は根っから子ども相手の仕事が好きで、紙芝居や人形劇をして子どもたちを喜ばせようと考えていたようだった。彼は「児童文化研究会」と云うサークルに入り山村の分校や漁村の小さな小学校へ出かけて人形劇や紙芝居を上演していた。

 1級免許取得を目指して準備に入ると何とピアノ演奏の単位を取得しなければならないとわかった。これには驚いた。バイエルとかいうピアノ演奏の教習本があって、60番ぐらいまで進まないとその単位が取れない。僕ははたと困ったが、

 僕の家から徒歩7分のところに僕が卒業した小学校があって、其処にグランドピアノもあった。そこで母校を訪ねて理由を話し練習させて戴くことができることになった。

 僕は夕食後に母校に行って宿直の先生に音楽室のカギとピアノのカギをお借りして練習をする。2~3時間練習して疲れたら鍵をお返しするために宿直室へ行くと直ぐに「入れ入れ」と云って下さる。

 そこにはお酒とおつまみの用意がしてあって先生が『飲みなさい」と云って下さる。

 そこで、お言葉に甘えて座り込み先生の質問に答えながら杯を重ねた。

 とまあこんなことで66番まで演奏できるようになり何と評価Aで単位を取った。

 昨日来た友人はスタンドピアノが家にあり、先生の家に教えて貰いに通ったと聞いたことがあった気がする。そのピアノが彼の場合の今「愛の賛歌」になっている。素晴らしいことだ。

 僕の場合はそれっきりで何の役にも立っていない。

 そいえば、美術の実技の単位も必要だった。その講義で学生たちが三脚を立てが用紙を乗せて、4Bか何かの柔らかい鉛筆を用意していた教室に先生がプロのモデルさんを連れて入ってこられた。手際よく床に毛布を敷かれその中央に椅子を置かれた。

 先生が「始めようか」と云われたらモデルさんが「はい」と小声で云われて椅子の横でパッと服を脱がれ、全裸で椅子の横に立たれた。

 学生たちは声にならない声を出しておののいた。つまりその日は「裸婦のデッサン」の実技指導の講義だったのだ。

 裸婦のデッサンは本当に難しい。お尻から足に流れる曲線1本も美しく描けない。

 先生は学生の間を歩きながら学生の姿勢を注意しておられた。之も忘れられない思い出である。

余談が多く、さいごになってしまったが、僕が感動したはなしがあります。それは、昨日来てくれた友人だけど最愛の奥様を亡くされた時のお通夜で何度も何度も「愛の賛歌」を演奏されたそうだ。その時のことを想像すると、御棺に収まった奥様のお顔を見ながら愛の告白のように愛の賛歌を演奏されたに違いないと想像しています、そしてその心はきっと奥様に届いたに違いないという確信が胸に湧いてきます。

 現在僕は80歳である。小学校教員1級免許は僕の場合何の役にも立たなかった。あえて言えばおかげでこんな話をブログに書くことができるという効用ぐらいがあっただけである。(T)

 

 友達の演奏 

 


「悪人正機」説考

2016-05-01 | 気ままなる日々の記録

  「悪人正機」説とは、悪人こそが往生す([死後極楽へ行く)のがふさわしいと説いた親鸞の思想のことである。

 ここで気にかかることは善人が極楽へ行くという教えは何の抵抗もないが悪人こそが極楽へ行くと云われると「あれ?」と思うことだろう。

仏教では僧侶の戒律は多いそうだが、在家の々に対する戒律は、

 ①殺すな②盗むな③淫するな④嘘をつくな⑤大酒を飲むな、など易しいものばかりですが、中でも①の殺生するな、は古くから仏教で強調されてきました。

 そこで、猟を職業とする人たちや毛皮を加工したり商いする人たちを差別したりした時代もありました。こうした状況の中で、親鸞聖人が悪人こそが極楽へ行けると説いた真意は何かと云う問題が生じます。

 答えは親鸞が重視したのは客観評価ではなく、自己評価であったということのようです。

 親鸞の言う善人は、自分は仏教の戒律を守りいつも念仏を唱えてきたと自己評価している人であり、

 悪人とは自分は今まで魚を食べ、鹿やウサギを美味しいと云って食べ,お米さえ子孫を残すために稲と云う命ある植物の種を横取りして食べてきた。このような罪深い生き物で自分は悪人であると自己評価している人のことである。

 とすれば、お釈迦様は「自分は罪深いと深く反省している人こそ極楽へお導きになると説いたことになるのです。

 参考文献は新潮新書「初めての親鸞」五木寛之著、です。

     5月の蓮池

↑半夏生(はんげしょう=半化粧=病気でなく、葉の一部が白くなる)の芽吹きと紫陽花。