
小学校のプールそばを通ると子どもらの楽しそうなはしゃぐ声が聞こえる。数十年も前になる。子どものころは泳ぐといってもプールはなくそこは「川」だった。小学生のときの水泳教室は錦帯橋下流の静かな流れのなかで習った。水練札を思い出す。
泳ぐそばで鮎つりの川舟は何そうも並び、子どもらはハエ捕りビンを使って小魚を捕った。捕ったら離す、また仕掛けることを繰返して遊んだ。
今も川で泳ぐ子どもたちはいる。お母さん方の監視の目が届く範囲で決められた時間楽しんでいる。わが子の小さいころを思い出して「暑いのに大変」ということはよく分かる。鮎釣の川舟は浮んでいない。
通りがかりの橋の上から見ると鮮やかな水着ばかりだ。あのころはどんな物を身に付けていたのだろうか。思い出せない。
この錦川に沿って走る「錦川清流線」というローカル線がある。眺めのよいところではスピードを落とし車内放送で近隣の案内があり、観光で訪れた皆さんには大好評という。春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪と1年どの季節も見所があるが、自分では雪の沿線をお薦めしたい。
清流には「川などの清い流れ」「潔白な人」「高貴な人たち・よい家柄」という意味がある(広辞苑)。清い流れを守り続けるのはこれまでの感謝と子や孫のためにも流域住民の務めだ。
産湯に使い裸で遊んだ清流への恩返し、潔白な人生を送りたい。
(写真:清流のブルーと鮎を描いた錦川清流線のせせらぎ号)