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中学校を卒業したのは昭和31年の春。2.5㌔くらいの徒歩通学だった。これが当たり前な時代だった。通学路は今でいえば、バタンコが通れば軒下に避けるくらいの道幅が多かった。学校近くでは稲田の中の道を通った。
もう一つあった。住宅地を少し外れたところに牛乳屋があった。乳牛を見ながら通り過ぎる。その先に広いい墓地があった。そこの道幅は狭く坂もあり自転車も無理、といっても当時それほど通らなかった。とにかく墓の間を通った。
知人の呼びかけでちょっと出かけた折にそんな道を約70年ぶりくらいに歩いてみた。道の状況はそれほどの変わりようは感じなかったが、墓の数は相当数増えているように思った。また、墓地の際まで住宅が建ち並び、景観が一変する大きな変わり方に驚いた。気が付くと、ゆっくり歩いていたのは懐かしかったのだろう。
学校周囲も住宅地帯に変わり、校舎も木造から鉄筋に変わり都会風になっている。学校傍にあった揚げパンの美味かった店、大きな代書屋、間口の広い酒屋など跡形もなかった。野球部の練習が始まった。在学中とはバックネットの位置が真反対に移り、野球のピッチング練習場が出来でいた。在学当時、市内では強剛だったが今はどうなのか、掛け声を聞きながら思った。
(今日の575) 卒業し70年の月日たち