
正月、といえば屋外では羽根つきや凧あげ、屋内ではすご六やカルタ取りなどを思い起こすのは古いのだろうが、懐かしい。これらは一人ではなく家族や近所の子どもらが集まっての遊び、大きな声を発しながらはまった。凧は小学校の工作で作り、クラスの中で競い合ったこともある。
それから何十年、奴の凧あげを楽しんだ稲刈り後の田は住宅地となり、新しい住人の住まいになった。それに並行して主要な地方道がつくられ絶え間なく車が通る。安全に凧あげできるような広場はない。凧糸を操りながら駆けて稲の切り株につまずいてころんだ事を思い出す。
凧を安定して高く上げるためしっぽの工夫をした。新聞紙製のそれを少し長めに取り付ける。凧のあがる様子を見ながら最適な長さにするなど皆で工夫をし合った。凧の両肩からの2本と、お腹あたりからの1本、合計3本の糸の長さの調整もしていたような記憶がある。手に持ったゲーム機を指で操作するのでは、こうした自然と戯れれる工夫は体験できない。
正月も遠くなった日、カイトを上げている親子を見かけた。冷たい風をものともしないような子どもの走りに向かって、高く上げるコツを大声で父親が教える。しばらく見ていた。そのうちに走らなくても安定してカイトが浮かぶようになった。しっぽの無いカイトがどうして安定して浮いているのか、考えたがわからない。気持ちよさそうに風に乘っているカイトも奴凧と同じように糸を操る人を見ている。
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