水曜日・木曜日の休みを利用して宗像に里帰り。
妹から電話があり、89歳になる父親が酒を飲まなくなって元気がないとのこと。
朝から酒を飲むような左党が、酒を飲めないというのは、急速に枯れているなと思い、
大嫌いな飛行機で帰ることにした。お酒が飲めないなら、お茶しかないと思い、
お茶道具(涼炉とボウフラなど)をリュックと手提げ袋に入れて出発。妹から
電話があり「病院の先生たち用に、東京バナナを4つお願い」とのこと。「ハイ」
と返事(入れる場所・持つ手がない)して、小さなお土産を探す。
「ひよこ」「とらや」が、東京のお菓子の顔して並んでいるのに笑う。ふたつとも
もともと福岡が発祥である。機を見るに敏な先人たちの偉業である。もともと
鎖国時代に長崎の出島に入ってきた砂糖が、唐津街道を通って福岡や本州
に運ばれてきた。唐津街道は別名「砂糖街道」である。話が街道にそれた。
九州の醤油が甘いのも、運送費がかからない分、余計に砂糖を使えるからだ。
2月に家に帰るのはひさしぶりなので、庭の老梅に白い花が咲いているのがうれしかった。
その木の下に、愛犬だったチワワ元気の骨が埋めてある。「チワッ」という声が聞こえた。
さっそく庭が見えるひあたりのいい部屋で星野村の煎茶を入れる。お菓子は梅鉢屋の
野菜の菓子。東京とは違った時空で地元のお茶を飲む、というのはいいものだ。
今後両親がこの家でふたりで生活をする時間があまり残っていないような気がするので、
一期一会の一滴入魂のお茶会になった。老梅が年輪をふやすにつれ、艶冶な花を咲かす
ように、上手に枯れていくような両親の姿に感謝しながら、一服。
帰りは妹の嫁ぎ先の「小西畳店」にたちよってから空港にいく。大正元年創業の老舗
の畳屋だ。天真庵の二階の畳も、三代目が丹精込めてつくってくれたものだ。
傍らで三代目を親方と決めた4代目が一所懸命働いていた。時がさらさらとただ
さらさらと流れていく。今日是好日に感謝。