先週の花のお稽古の時、雪が降ってこれなくなった生徒さんが残してくれた
啓翁桜(けいおうさくら)を、久保さんの信楽の大壷に投げ込んでいたら、淡いピンク色
の花が咲いた。まさに春を告げるような力を感じる。小村井(おむらい)の梅園の梅も
春を告げて咲き乱れている。朝はやく散歩の時はそうでもないけど、カメラマンたちが
あまたいて、三脚なんかをたくさんたてていると、せっかくの景色が興ざめになることもままある。
そういえば、先日のボクシング観戦もスマホで写真をとっている人があまたいた。フラッシュは
たかないけど、リングの上で死にものぐるいで戦っているのと、写真をとっている今どきの空気感
が対照的だった。空気を読む、とかいう以前の問題のような気がする。
家の庭のしだれ梅も咲いた。「私はきれいに咲いた」とも「梅を撮っている私。ボリボリ」
みたいな自己主張もなく、「ただ咲いている」のがいい。見習いたいものだ。
今日は日曜日なので16時に閉店。
明日は「卵かけごはん」(8-10)
夜は順受の会(論語の会)で、今年は孟子を勉強している。毎日のようにやっている味噌作りも
後半戦になってきた。「しこみ」というのは、何事においても大切な土台のようなもん。
しっかり土台が固まると、どんな風雪がこようが耐えられる。小さなトレンドに踊らされているような
ことは粋ではないな。今朝の天声人語に、粋を「垢ぬけして、張りのある、色っぽさ」と言い切った
哲人「九鬼周造」氏の言葉を紹介していた。なーるほど、だ。感謝。