車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県本巣市・旧本巣町

2020年05月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

本巣市(もとすし)は岐阜県の南西部に位置する市です。2004年2月1日に本巣町・真正町・糸貫町・根尾村が合併して発足。東は岐阜市、関市、山県市に、南は瑞穂市、本巣郡北方町、西は揖斐郡揖斐川町・大野町、に。また県を跨いで北は福井県大野市に隣接。市名は、旧町村が属していた本巣郡からとられました。市の西端を北部の山岳地帯からの大小河川のほとんどを合流する根尾川が南へ貫流。この河川を灌漑用水として利用し、南部の肥沃な耕地から各種の農産物を豊富に生産しています。「市の木:柿」「市の花:薄墨桜」「市の鳥:ウグイス」「市の魚:鮎」を制定。

キャッチフレーズは「自然と人が共生し、快適でこころふれあうまち」

2004年5月15日制定の市章は「外側の円は本巣市の「も」を図案化し、4つの小さな円は本巣町、真正町、糸貫町、根尾村を意味し、全体図は、4つの町村の人・土地・文化・歴史を優しく包み込み「未来に羽ばたく姿」を表しています。また、緑色を使うことで「いつまでも鮮やかな新緑のように、いきいきと活力みなぎる市」も表現しています」公式HPより

本巣市マスコットキャラクター『もとまるくん』。元気で目立ちたがり屋の男の子。桜ヘアー と、おでこの富有柿がチャームポイントです。

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旧本巣郡本巣町(もとすちょう)は岐阜県の南西部、濃尾平野の北端に位置した町です。岐阜市、本巣郡根尾村・糸貫町、山県郡美山町・伊自良村、揖斐郡大野町・谷汲村に隣接。北部は標高700メートルほどの山地、南部は根尾川の扇状地に位置し、町の西の境を北から南に流れ平地に出る辺りから、糸貫川が東側に分流。本巣町の西の境は糸貫川となります。糸貫川は席田(むしろだ)用水ともいい、6月上旬にゲンジボタルが見られる場所として有名です。また安土桃山時代に『織田信長・豊臣秀吉』に仕えた、武将で茶人『古田織部』の出生地としても知られています。「町の木:細葉樫」「町の花:ササユリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡文殊村・山口村・曽井中島村・外山村が発足。

1897年、山口村と曽井中島村が合併、本巣郡山添村が発足。

1950年、山添村と文殊村が合併、本巣郡本巣村が発足。

1956年、本巣村が外山村と合併。

1960年、本巣村が町制を施行、本巣郡本巣町となる。

2004年、本巣郡根尾村、糸貫町、真正町と合併、本巣市となりました。

マンホールには、「町の花・ササユリ」と「席田(むしろだ)用水に生息する源氏ボタル」蛍の光の中に「町章」が描かれています。

昭和40年9月1日制定の町章は「本巣町の「本」を図案化したものです。」

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧伊自良村(山県市)

2020年05月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧山県郡伊自良村(いじらむら)は木曽川水系の一級河川、伊自良川上流に位置した村です。岐阜市、山県郡美山町・高富町、本巣郡本巣町に隣接。美濃三十三観音霊場第9番札所の「東光寺」や、伊自良湖湖畔にある第十三番札所の「甘南美寺」などの旧跡を擁します。甘南美寺境内のエドヒガン桜は、幹回り3.3m樹高23m、樹齢は約350年といわれ、「甘南美寺のサクラ」として県指定天然物に指定されています。「村の木:ドウダン」「村の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、山県郡上願村・松尾村・掛村・平井村、・長滝村・藤倉村・大森村・小倉村・洞田村が発足。

1897年、上願村、松尾村、掛村、平井村、長滝村が合併、山県郡上伊自良村が発足。藤倉村、大森村、小倉村、洞田村が合併、山県郡下伊自良村が発足。

1955年、上伊自良村と下伊自良村が合併、山県郡伊自良村が発足。

2003年、山県郡美山町、高富町と合併、山県市となりました。

マンホールには、「元気モリモリ天湖森」のキャッチフレーズと、波紋に浮かぶ「ナッチョルくん」が描かれています。

昭和48年1月1日制定の村章は「カタカナで「イジラ」を図案化したものです。」

撮影日:2012年5月21日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧高富町(山県市)

2020年05月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧山県郡高富町(たかとみちょう)は岐阜県南部、濃尾平野の周辺部に位置した町です。岐阜市、山県郡伊自良村・美山町、武儀郡武芸川町に隣接。室町時代から戦国時代にかけて権勢を誇った、美濃国の守護土岐氏の山城「大桑城跡」や、また四季折々の香木やハーブが咲き、香りを楽しむことができる「四国山香りの森公園」などが人気です。「町の花 :キキョウ」「町の木 :アカマツ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、山県郡高富村・富岡村・梅原村・桜尾村・大桑村が発足。

1897年、高富村が町制を施行、山県郡高富町(初代)となる。

1955年、高富町が富岡村、梅原村、桜尾村、大桑村と合併、高富町(2代)となる。

2003年、山県郡美山町・伊自良村と合併、山県市となりました。

マンホールには「町の花 :キキョウ」を中心に、周囲に「町の木 :アカマツ」が描かれています。

昭和47年5月16日制定の町章は「頭文字の「高」を鳩の形に図案化したものです。」

高富町の自治体名が書かれた仕切弁。いずれこうした蓋も使用期限を迎えて消えていくのかもしれません。

撮影日:2012年5月21日

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ご当地マンホール in 岐阜県山県市

2020年05月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

山県市(やまがたし)は岐阜県の南部、旧美濃国の中央西寄りに位置する市です。2003年4月1日、山県郡高富町、伊自良村、美山町が合併し誕生しました。市名は市制施行前の山県郡から。岐阜市、関市、本巣市に隣接。市域は山地丘陵部が多く、北端の日永岳(1,216m)を最高峰として枝状の山地と、長良川支流の武儀川、鳥羽川、伊自良川沿いの平たん地で構成され、約84%が森林で占められています。「市の木:栗」「市の花:キキョウ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と活力ある都市が調和した『安らかで快適な21世紀の住みよいまちづくり』」

マンホールには、「市章」「市の木:栗」「市の花:桔梗」。下に「水辺とホタル」が描かれています。

小型タイプには蛍が描かれていません。

2004年1月28日制定の市章は「山の字をモチーフに、豊かな自然と活力ある都市が調和して、21世紀の未来へ飛翔する市民を鳥にイメージして、安らかで快適な山県市を意気高らかに謳うたいあげています。青は未来へと続く澄みきった空・調和と発展・緑は豊かな自然・活力と創造。」公式ページより

山県市観光協会の観光大使『ナッチョルくん』は、「伊自良湖に現れる愛嬌たっぷりの柿の怪(快)獣だそうです。伊自良村が山県市になるず~~と前から生息していました😊

撮影日:2012年5月21日

(※)旧山県郡美山町は未訪問のため、マンホール画像は有りません。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧美並村(郡上市)

2020年05月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡美並村(みなみむら)は岐阜県北部、飛騨高地の南に位置した村です。美濃市、郡上郡八幡町、武儀郡武儀町・上之保村・洞戸村に隣接。古代中世にわたって星の宮神社を中心として山岳信仰が広がり、村の各地に白山神社がまつられました。村域の西には1,000メートルを越える瓢(ふくべ)が岳があり、その山麓で木地師の子として生まれ、粥川寺で得度したとされる円空の故郷としても知られています。また、「粥川(かいがわ)谷のウナギ」は、妖魔退治でこの地を訪れた『藤原高光』の道案内をした事から、神の使いとして尊崇されています。国の天然記念物に指定された粥川のウナギ。地元の方は決して食べないそうです。「村の木:ヒノキ」「村の花:川サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡梅原村・三戸村・白山村・大原村・嵩田村が発足。

1897年、梅原村、三戸村、白山村、大原村が合併、郡上郡下川村が発足。

1954年、嵩田村・下川村が合併、郡上郡美並村が発足。

2004年3月1日、八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・和良村・明宝村と合併、郡上市美並町となりました。

 マンホールには、日本人口重心地を表すモニュメントを中心に、周囲に「桜」・「長良川に泳ぐアユ」がデザインされています。(撮影:美並中央クリーンセンター)

同じデザインですが「特定環境保全公共下水道」を表す「特環」の文字があります。

美並町三戸地区の「農業集落排水」マンホール、デザインはいずれも同じ。

昭和49年8月1日制定の村章は「美並の頭文字「み」を、国指定天然記念物「粥川のうなぎ生息地」の「うなぎ」を使って、図案化したものです。「うなぎ」のやわらかさと円を使い「和」を表現しています。」合併協議会資料より

撮影日:2010年11月28日&2012年5月21日&2018年10月12日

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ご当地マンホールとマンホールカードB in 岐阜県旧大和町(郡上市)

2020年05月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡大和町(やまとちょう)は岐阜県の北部、福井県との県境に位置した町です。郡上郡白鳥町、明宝村、八幡町、武儀郡板取村に。さらに県を跨いで福井県大野郡和泉村に隣接。町を南北に長良川が流れ、東海北陸自動車道:ぎふ大和インターチェンジを、さらに長良川鉄道・越美南線の五つの駅を擁し、国道165号線が町域を走り交通に便利な町です。

十一代・320年余りにわたってこの地を治めた東氏。特に初代・胤行は鎌倉幕府の御家人で和歌に優れ、藤原定家の子・為家から歌道を学ぶと共にその娘を妻とし、中央歌壇にも広くその名を知られました。代々歌道に優れていた東氏は、以後も高名な歌人を輩出。その一人『東常縁』は「古今集」の研究の第一人者として知られ、都より訪ねてきた連歌師・宗祇にその奥儀を伝授したことでもよく知られ、「古今伝授」の祖といわれています。「町の木:ヒノキ」「町の花:ヤマツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「古今伝授の里 大和町」

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡名皿部(なさらべ)村・有坂村・島村・落部(おちべ)村・小間見村・剣村・大間見村・万場村・徳永村・河辺村・神路村・牧村・古道村・栗巣村が発足。

1897年、名皿部村、有坂村、島村、落部村が合併、郡上郡西川村となる。
  小間見村、剣村、大間見村、万場村が合併、郡上郡弥富村となる。
  徳永村、河辺村、神路村、牧村、古道村、栗巣村が合併、郡上郡山田村となる。

1955年、西川村、弥富村、山田村が合併、郡上郡大和村が発足。

1956年、大間見稗洞地区が白鳥町に編入。

1960年、大間見地区の一部が白鳥町に編入。

1985年、大和村が町制を施行、郡上郡大和町となる。

2004年、八幡町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市大和町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:ヤマツツジ」「古今伝授の里」の文字がデザインされています。(大和町中央浄化センターにて撮影)

昭和40年()4月1日制定の町章は「大和町の大の字を図案化したもので、「がん」と組んで安定し、発展する大和町を象徴するものです。」合併協議会資料より

撮影日:2018年10月12日

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マンホールカード、頂きました。

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「郡上市B」のマンホールカードは、「古今伝授の里やまと」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには「町の花:ヤマツツジ」と「古今伝授の里」がデザインされています。

「色鮮やかな「やまつつじ」の中に、「古今伝授の里」の文字を合わせたデザイン蓋です。 「古今伝授」とは、古今和歌集の解釈などを秘伝として師から弟子へ伝授することで、 室町時代に東常縁が連歌師宗祇(カードの漢字は(ネ))に伝えたのが始まりとされています。 郡上大和は、その東氏が320年間にわたり拠点として栄えた地域で、その名残を随所に留めています。 こうした縁を背景に、郡上大和は「古今伝授の里」として、日本人が培ってきた自然観や美意識、人々の営みの美しさを大切にしながら歩んでいます。 豊かな自然、歌の心、和歌の歴史と文化を未来永劫に語り伝えようとマンホール蓋に想いを込めました。」

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ご当地マンホール in 岐阜県旧高鷲村(郡上市)

2020年05月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡高鷲村(たかすむら)は岐阜県北部、飛騨高地の中に位置した町です。郡上郡白鳥町、大野郡荘川村に隣接。起伏が激しい飛騨高地の中に位置し、北東の鷲ヶ岳の麓から長良川が発して南西に流れ、村の中心は、この長良川沿いにあります。山林が多く、元は林業が盛んでしたが、20世紀末に衰退。水田は少なく、ひるがの高原(蛭ヶ野)、上野高原のような傾斜の緩い所で栽培される大根や野菜は高原野菜として有名。特に「ひるがの大根」は一度食べると長くその味が忘れられないほど美味です。また「高鷲スノーパーク」や「ひるがの高原スキー場」など、スキー場のメッカとしても知られていました。「村の木:赤松」「村の花:コブシ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡大鷲村・鮎立村・西洞村・鷲見村が発足。

1897年、大鷲村、鮎立村、西洞村、鷲見村が合併、郡上郡高鷲村が発足。

2004年3月1日、八幡町、大和町、白鳥町、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市高鷲町となりました。

マンホールには、中央に村章、「駒ヶ滝」と「モミジ」「アマゴ」がデザインされています。「長良川源流」は、高鷲村域に位置する「大日ヶ岳」の北東麓が長良川の始まりであることを示しています。(高鷲浄化センターにて撮影させていただきました。)

「高鷲浄化センター」

156号線沿いの「油島橋:欄干」、「渓流の女王:アマゴ」がデザインされています。

 ひるがの地区のマンホールには、ひるがの高原の「ミズバショウ」がデザインされています。

「ひるがの高原:分水嶺公園」の「蛭ヶ野高層湿原植物群落のミズバショウ」は、県天然記念物に指定されています。

大日ヶ岳の麓にある「道の駅:大日岳」の記念スタンプも、「ミズバショウ」のデザイン。

 昭和48年(1973)4月23日制定の村章は「無限の未来に向かってたくましく躍進する高鷲村の姿を村内の三山である大日ヶ岳、見当山、 鷲ヶ岳をふまえて雄飛しようとする大鷲にちなんで象徴したものです。」合併協議会資料より

 撮影日:2012年5月19日&2018年10月14日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧明宝村(郡上市)

2020年05月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡明宝村(めいほうむら)は美濃地方の北端、飛騨高地に位置した村です。郡上郡白鳥町・大和町・八幡町・和良村、益田郡金山町・馬瀬村、大野郡清見村・荘川村に隣接。村の面積の大半は山林で、長良川の支流、吉田川の上流部に相当し、北東の烏帽子岳がある北東部から北部にかけて標高が高く、めいほうスキー場、明宝温泉はこの高地に位置します。東の四分の一は飛騨川の支流である馬瀬川の支流、弓掛川の流域で、各村域は小川峠で結ばれています。「町の木:モミジ」「町の花:ミズバショウ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「名馬 磨墨(するすみ)の里 明宝」

村内には国産豚肉を100%使用し、添加物や保存料を極力使用しないをモットーに生産される「明宝ハム」の工場があることでも知られおり、お肉大嫌い!の私が、何故かこれだけは試食できました・・もちろんお買い上げ😊

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡大谷村・寒水(かのみず)村・気良(けら)村・小川村・畑佐村・二間手村・奥住村が発足。

1897年、大谷村、寒水村、気良村、小川村、畑佐村、二間手村、 奥住村が合併、郡上郡奥明方村が発足。

1970年、 奥明方村が改称、郡上郡明方村(みょうがたむら)となる。

1992年、明方村が郡上郡明宝村に改称。

2004年、八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・和良村と合併、郡上市明宝町となりました。

 マンホールには、「平家物語」に登場する「名馬:磨墨(するすみ)」と、村の花「水芭蕉」 村の木「もみじ」がデザインされています。

「道の駅:明宝」にある「名馬磨墨の像」。馬上で矢をつがえる源氏の武将『梶原景季』は、この「磨墨」に騎乗して宇治川の戦いに臨んだと伝えられています。

 

1992年11月1日制定の村章は「明宝村の頭文字「 M」を躍動感ある名馬磨墨の勇姿にイメージデザインし、左上にある円形は村民の情熱と融和を象徴したものです。」合併協議会資料より

 

昨日の和良村もそうですが、明宝村もマンホールと道の駅の銅像を見る為だけに立ち寄った為、他に紹介できる画像がありません。今から思えば「あんな山越えまでしたのに勿体無かったな」と・・まぁ、結果論です😓

 撮影日:2012年5月20日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧和良村(郡上市)

2020年05月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡和良村(わらむら)は岐阜県のほぼ中央に位置した村です。郡上郡明宝村・八幡町、益田郡金山町に隣接。飛騨川、長良川の両河川に挟まれた山間の村で、総面積の95%が山地、5%が平地をなす和良盆地を形成しています。和良の地名が歴史に出てくるのは斉衡2年(855)が最初、本格的に開拓されたのは鎌倉時代。承久3年(1221)、東胤行が郡上郡の支配を始め、東南部の和良を支配下におさめ、江戸時代にはいると旗本領と天領に分かれて統治されました。村内には「天岩戸」伝説にちなむ名所が数多く残されており、また、和良町鹿倉の東洞岳を源とする「和良川」は、国の特別天然記念物のオオサンショウウオ生息地としても知られています。「村の木:ベニドウダン」を制定。

旧キャッチフレーズは「ようこそ!宝の村 和良村」

道の駅で見たオオサンショウウオのポスター、何と秀逸で素敵なデザインでしょう。これなら自宅に飾りたい。

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡下洞村・法師丸村・三庫村・横野村・野尻村・宮代村・鹿倉村・土京村・宮地村・方須村・沢村が発足。

1894年、下洞村、法師丸村、三庫村、横野村、野尻村、宮代村、鹿倉村、土京村、宮地村、方須村、沢村が合併、郡上郡和良村が発足。

2004年3月1日、八幡町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村と合併、郡上市和良町となりました。

マンホールには 和良川の「鮎」と、「村の木:ベニドウダン」がデザインされています。

 

昭和49年(1974)10月14日制定の村章は「和良村の「ワラ」を図案化、「ラ」 は緑の山林を表し、平和、信頼、 協力、勤労、健康、明るい村勢発 展を表現したものです。」合併協議会資料より

 撮影日:2012年5月20日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧白鳥町(郡上市)

2020年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡白鳥町(しろとりちょう)は岐阜県の中部、美濃地方の北部に位置した町です。郡上郡高鷲村、明宝村、大和町、大野郡荘川村に。さらに県を跨いで福井県大野郡和泉村、大野市に隣接。町域は飛騨高地の一部で、町の中央を北から南に長良川が通り、この川沿いの盆地(白鳥盆地)が町の中心をなしています。北部は、九頭竜川水系に属する石徹白(いとしろ)川に沿う地区で、もとは福井県に属した大野郡石徹白村が、越県合併で白鳥町の一部となったものです。郡上地域(北濃)では八幡町に次ぐ第2の町であり、福井県への玄関口の役割を果たし、また白山信仰の地、交通の要所として栄えてきました。「町の木:杉」「町の花:エゾリンドウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「白山文化の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡白鳥村・為真村・大島村・中津屋村・越佐村・ 野添村・六ノ里村・西多村・陰地村・那留村・前谷村・歩岐島村・長滝村・二日町村・向小駄良村が発足。

1897年、白鳥村、為真村、大島村、中津屋村、越佐村が合併、郡上郡上保村が発足。野添村、六ノ里村、西多村、陰地村、那留村が合併、郡上郡牛道村が発足。郡上郡前谷村、歩岐島村、長滝村、二日町村、向小駄良村が合併、郡上郡北濃村が発足。

1928年、上保村が町制を施行、改称して郡上郡白鳥町(初代)となる。

1956年、白鳥町、牛道村、北濃村が合併、郡上郡白鳥町(2代)が発足。大和村日枝洞・向七反田・七反田地区を編入。

1958年、福井県大野郡石徹白村の大部分を越境編入。

1960年、大和村大間見の一部を編入。

2004年、八幡町、大和町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市白鳥町となりました。

マンホールには「中央に白鳥をデフォルメした町のシンボルマーク」。周囲は「スキー場のまち白鳥町」にちなんで、 「雪の結晶」と「白鳥・しあ・わ・せ フィールド」の文字が書かれています。

旧庁舎近くに取り付けられていた側溝蓋のデザインは、「町の花:エゾリンドウ」。

 規格タイプの蓋ですが、いずれにも町章は無く、シンボルマークのみ。シンボルマークがダメとは思いませんが、町の目印ともいえる知章はやっぱり残して欲しい。

昭和40年(1965)12月15日制定の町章は「飛鳥の雄姿に和と躍進。白鳥の 頭文字「しろ」の二文字を組み合わせ、飛鳥の姿に図案化したもので、町の和と団結を現し、将来の飛躍的発展を端的に象徴しています。」合併協議会資料より

白鳥町の銚子ヶ峰で生まれた白い鳥『しろろん』。白鳥のことをよ~く知っているので、頭にはキリコ灯籠の博士帽子をかぶっています。いつものように、高い所から白鳥の町を見ていると、たまたま飛んできた鷲のお母さんとぶつかってしまい、白鳥神社に舞い落ちてしまいました。そんな「しろろん」を看病し助けてくれた、やさしい白鳥の皆さんに恩返しするため、白鳥のゆるキャラ「しろろん」となって、白鳥のいいところや美味しいものをみなさんに紹介します。・・・プロフィール長すぎ😅

撮影日:2012年5月20日&2018年10月13日

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