車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高砂(たかさご)神社~Ⅲ~ in 兵庫県高砂市高砂町

2023年10月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

いよいよ最終回の高砂神社。今回は「尉姥神社」の左手に鎮座される境内社の紹介。

向かって右に鎮座される「摂社:住吉社」。御祭神は『住吉三神』 海上交通の守護神とされます。

社殿木鼻(きばな)彫刻、たいていの場合、獅子や獏・像など秀逸なものが多くあって楽しみの一つでもあるのですが・・これは・・(^^;)

いわゆる「頭貫」が無くて木鼻が柱を貫通しているという構造・・今まで軽く三桁以上の神社仏閣を拝観してきましたが、こういった形式は初めての経験。

住吉社の左に鎮座される「摂社:三社(神明社)」。御祭神は『天照大神・春日大神・八幡大神』

先ほどは貫を貫通した獅子でしたが、今度は同じく貫を貫通した木鼻の龍。しかもこれが、漫画昔話にでも登場しそうな、滅茶苦茶愛想の良い龍なんです。

最後は「摂社:稲荷社」。御祭神は『倉稲魂命』

当然ですが、貫を貫通しているのは稲荷の神狐・・と思ったら、これがまたしても獅子。 ここは絶対に一ひねり欲しかったのに残念(笑)

西門の奥に見えているのは鎮火・防火の神「摂社:秋葉社」と、導きの神「摂社:猿田彦社

屋根の上、留め蓋の獅子が首をかしげて見ているのは、軒丸瓦の「立ち葵紋」。寛永2年(1625)に領地20石を寄進し、高砂神社を元の場所に移転させた姫路藩主:本多忠政の家紋です。

境内に建立されていた不思議な造形の碑・・残念ながら刻まれている文字はほとんど判読できません。

同じく判読不能(^^;)

ラストは本殿の一部に見えた美しい彫刻・・細やかに彫り込まれた小さな花は何だろう・・

参拝日:2010年5月8日

 

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高砂(たかさご)神社~Ⅱ~ in 兵庫県高砂市高砂町

2023年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

広大な神域は清々しいほどの緑に覆われ、深呼吸を繰り返すごとに肺の中が若葉色の空気で満たされていく感じ。神社参拝の醍醐味ともいえる時です。

神社参拝ではまず身を清める為に手水を使わせて頂きますが、それとは別に、境内の一角に古そうな水の無い手水舎があります。

手水舎といえば80%は吐水龍で、残り20%が祭神に因んだ神使いなど・・この吐水鯉は何に因んだものでしょうか?確かに、滝を登った鯉は龍になれると言いますが、それもなんか違う(笑)

それでは高砂神社境内に祀られる摂社、順番に紹介です。境内入って右手に鎮座される「摂社:琴平神社」。御祭神は『大物主命』。古来より漁業が盛んであった町にとっては決して欠かせない大切な社。海上安全の神とされます。

拝殿の前より神域を守護されるのは、年月の所為か、全体に滑らかになってしまった感じの狛犬さん一対。吽形さんの口元が誰かに似ていると思ったのですが・・・そうか、カールおじさん!(笑)

「神馬舎」には御祭神がお乗りになる神馬がいます。今にも顔を上げてこちらを見てくれそうな、純白の美しい神獣です。

「天神さん」。御祭神は『 菅原道真公』

「和魂神社」。御祭神は『護国の御英霊』

拝殿の内より神域を守護されるのは、備前宮獅子一対。故郷に近いという事もあり備前の宮獅子は好んで見てきましたが、こんなに優しい表情は珍しい気がします。

「摂社:粟島社」。御祭神は『少彦名命』 婦人病や安産を守る神様とされます。

神門を潜って右手、ひょうたん池の中央に祀られるのは「摂社:弁財天」。御祭神は『弁財天』。 女性を守る抜芸と美の神さまで、水の神様でもあります。

緑の葉陰の下にて神域を守護されるのは、現代アートを彷彿させる神狐さん一対。付近にはおそらく鳥居であったと思われる石柱がまるで何かのシンボルのように保存されています。

そう言えば高砂神社の鳥居はとても新しくて綺麗だった・・・そして、ふいに思い出したのです。ああ・・・これはあの時の大震災で壊れた鳥居だと。神狐さんはこの鳥居を彫って作られたんだ・・・。尉姥神社の狛犬さんの顔が削られていたのは・・・きっと地震の倒壊で壊れてしまったからなのだろうと。

「旧能舞台」 は17世紀後半の様式とされます。かってはこの舞台で謡曲「高砂」が舞われたのでしょうか?2013年に新たな能舞台が建造されたそうで、この舞台で高砂の舞を見る事もなくなったようです。

まだまだ紹介しきれない広大な境内、明日がラストです。

参拝日:2010年5月8日

 

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高砂(たかさご)神社~Ⅰ~ in 高砂市高砂町

2023年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

高砂市高砂町東宮町に鎮座される「高砂(たかさご)神社」。御祭神は『大己貴命(おおむなちのみこと)』。配祀『素盞嗚尊・奇稲田姫(くしいなだひめ)』。旧社格は県社。能・謡曲の【高砂】の舞台の一つと言われます。

由緒「神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。その後、天禄年間(970年)~(972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命(すさのうのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをした。文禄元年(1592年)豊臣秀吉は、朝鮮出兵のときこの神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられる。  池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に本多忠政は尊崇熱く、輝政によって他に移されていた社殿を旧社地に再建し、にぎやかな遷座祭を行った。 」公式HPより

鳥居の先、まっすぐに進み最初に出迎えてくれるのは、19世紀前半の建造と言われる四脚門の表門。

さらに参道を進んだ先、〆鳥居の向こうに建つ拝殿。そこから本殿へと続く幣殿・祝詞殿、いずれも18世紀後半の様式とされます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、護国型と呼ばれる狛犬さん一対。胸元にある丸い形を指して「鈴昭和」とも呼ばれています。

祝詞殿の左、壁際にはおそらく先代さんと思われる出雲構えの狛犬さん一対が、ひっそりと神域を守護されています。お顔の表情も、阿吽の区別さえもあやふやになってしまいましたが、それでも確かに神獣として、そこに存在しています。

唐破風の屋根には、牡丹の花に囲まれ逆立ち姿で参拝者を迎える小太りの獅子さん。花も獅子も、すべてを合わせたデザインが見事な細工瓦。

絵馬殿も兼ねた拝殿。左右にずらりと並ぶ絵馬はいずれも長い時代を経たものが多く、すでに何が描かれたのか判別できないものも多数。

「算額奉納絵馬」は、江戸時代中期、寛文年間の頃から始まった風習といわれ、現在全国に約820面の算額が現存しています。算額とは和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したもので、その内容は代数・整数方程式論・解析学・幾何学等々・・非常に高度なものです。

社殿向かって右奥に鎮座される「境内社:尉姥神社」。御祭神は『伊弉諾尊(尉)・伊弉冊尊(姥)』。夫婦和合・長寿の神とされます。

鳥居の奥、拝殿前左右より神域を守護されるのは、立ち耳尾立ちの狛犬さん一対。断ち切られたように失われた片頬が痛ましく、思わず何故??と・・

願いを託す絵馬には、「相生の松を背景に並ぶ尉と姥」。

高砂神社と言えば「相生の松」と言われるほどに無くてはならない存在。一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は、神社の象徴であると言われ、古来より「霊松:尾上の松」として、様々な歌に詠まれてきました。「霊松殿」に保存されているのは、昭和12年に枯死したという「三代目・相生の松」

初代相生の松は天禄年間に、二代目は兵火によって天正年間に枯死したと伝えられています。本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に三代目の相生の松を植えたと言われ、大正13年に天然記念物に指定されていました。

【一木かと 見れば二木を 二木かと見れば 一木を雌雄のこの松】 隆正

「尉姥神社」と「霊松殿」の間には、樹齢約100年と言われる「五代目・相生の松」が見事な枝ぶりで参拝者を出迎えてくれます。ちなみに四代目は松くい虫の被害により短命に終わったそうです(-_-;)。

お互いの存在を確かめ合うように絡みつく相生の松。それは見る側の気持ちによってどのようにも変化し、望む姿を映し出してくれます。

高砂の登場人物である「阿蘇の神官:友成」が突いた杖から発芽したと伝えられる「御神木・いぶき」。添えられた説明には「槙柏(しんぱく)であり、枝葉はことごとく神殿に向っている」と、記されています。

広大な境内、まだまだ紹介しきれない摂社が沢山あります・・が長くなるので続きは明日。

参拝日:2010年5月8日

 

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龍野城と城下散策 in 兵庫県たつの市

2023年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

たつの市龍野町上霞城(かみかじょう)、江戸時代、脇坂藩5万3000石の城下町として栄えた龍野城下。寛文12年(1672)『脇坂安政(わきざか やすまさ)』によって「鶏籠山(けいろうざん)」の山麓に陣屋形式の城郭:龍野城が再建。脇坂家による治世は脇坂十代、明治四年の廃城年まで続きました。

昭和54年に本丸御殿をはじめ、白亜の城壁などが復元。本丸隅櫓(すみやぐら)の奥には、鶏籠山山頂の龍野古城への登山道もあり、城址ファンには人気のスポットとなっています。

再建された「本丸御殿」。江戸時代も中期になってからの築城であった為、いわゆる天守のあるお城ではなく、大唐破風造りの玄関に、入母屋造平屋建の御殿造り。どちらかと言えば陣屋に近い形式の築城です。

当時を偲ぶ資料や現在残る数点の古図に基づき再建された旨、案内に記されています。

砂紋(さもん)が美しい「枯山水(かれさんすい)」の中庭 。庭園ガイドによれば「枯山水」とは、水を使わずに山水の趣を表した庭園のことで、配置された岩、白砂の表面に描き出された「砂紋」にも、それぞれに意味があるそうです

格天井や欄間などに細工が施された「龍野城本丸御殿上段の間」

本丸御殿の襖絵「龍煌々志」は、たつの市出身の画家 『出口龍憲氏』より昭和59年に寄贈されたものだそうです。背景が素晴らしいと一緒に収まる人物までカッコよく見えるから不思議(爆笑)

【 朧銀の 水のめぐりて 初ざくら 】加藤 三七子

復元された埋(うずみ)門

霞城館前に移築された市指定史跡「家老門」「龍野町上霞城(かみかじょう)に所在するこの門は、龍野藩の家老屋敷の門と伝えられ、高さ約4.9m、屋根幅約5.4m、支柱と控柱の4本からなっている。支柱の上に渡された幅広の冠木(かぶき)は縦に置き、重みのある門の姿を強調しており、当時の面影を残している。たつの市HPより

「霞城館」矢野勘治氏が晩年を過ごした自宅を利用して作られたもので、龍野が生んだ現代の文化人『矢野 勘治・三木 操・内海 信之・三木 清』ら4氏に関する文献や資料が一堂にそろえられています。とは言っても、私が知っているのは「嗚呼玉杯に花うけて」を作詞した『矢野 勘治』と「赤とんぼ」の作詞者『三木 操(三木 露風)』だけ(-_-;)

明治22年に龍野で生まれた三木露風。その生家は現在も残されており、明治の風情が残された屋敷の内部を見学できます。

揖保川の疎水沿いに並ぶ白壁の醤油蔵、石垣、柳・・・。細い路地の両側に立ち並ぶ情緒ある街並みは「播磨の小京都」と呼ばれ、観光客に人気のスポットとして定着しています。

揖保川の疎水に沿って建つ「松龍山:如来寺」は、脇坂家の菩提所として藩主・家中の位牌が安置されています。たまたま参拝の為に立ち寄った境内に見かけた三木露風の筆塚。傍らの「露風筆塚並歌碑由来記」に【 松風の 清きみ山にひびきけり 心澄むらん月明らけく 】の歌。

訪問日:2008年8月14日

 

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龍野醤油資料館 in 兵庫県たつの市龍野町

2023年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

日本人の食生活に欠かすことの出来ない調味料「醤油」。たつの市龍野町は醤油の主たる産地の一つとして知られており、一度は目にし、耳にしたことのある醬油メーカーが軒を並べています。

龍野町大手に建つレンガ造りの「龍野醤油資料館」「昭和7年に建てられた元ヒガシマル醤油本社社屋を利用し、全国初の醤油資料館として昭和54年11月に開館しました。建物は2008年に国登録有形文化財に登録され、木造建築ですが外観はレンガ造り風のルネッサンス様式を呈しています。」公式HPより

資料館は一応「有料」で金額は10円!! 一応形式的に徴収されているとかで、申し訳なさそうに話してくださる係りの方。本当にそれで良いのかと、こちらの方が恐縮(^^;)

館内は「帳場」「圧搾場」「仕込蔵」「麹室」等々、醤油づくりの工程に沿った展示がなされており、どの展示も非常に興味深い内容。

「帳場」。明治時代の醤油蔵の帳場を再現したもので、主に番頭さんが帳面を付けたり支払いをしていたところです。受付の方のご厚意で記念撮影💗

「ボイラー」

「地釜」「井戸地下水」揖保川の水は全国まれにみる鉄分の少ない軟水。龍野地方が全国でも有数の淡口醤油の名醸地となった理由の一つです。

「麦炒り場」。小麦は炒ってから挽きわりやすくして、でんぷんを麹菌が分解しやすいように変化させます。淡口醤油では炒る程度を幾分弱くして、色が淡くなるようにします。

「麹室」。混ぜ合わせた大豆・小麦に種麹を植え付け、この煉瓦室の中で麹菌を育成させます。

「米洗機」、淡口醤油の大きな特徴は米を使うことで、米を蒸して米麹を作り、甘酒にしたものが加えられます。

「樽造場」、樽を作るために使われていたカンナや大槌、焼印など、様々な道具が展示されています。

昭和17年3月5日、淺井醤油と菊一醤油造合資会社の合併により、龍野醤油株式会社設立。昭和24年に現在のヒガシマルブランドに商標を変更。

昭和39年にヒガシマル醤油株式会社に社名が変更。その後もあらゆる商品が開発され、家庭に無くてはならない商品として定着しました。

既に関西では絶大な人気を誇っていたと思われる宝塚歌劇。お醤油の購入で「花組による源氏物語」のチケットが当たる抽選券をプレゼント・・という販促もされていたようです。

「パナマ運河開通記念の博覧会に浅井醤油(名)が醤油を出品して名誉(優秀賞)を受ける」と説明が添えられています。

細部まで忠実に再現された、模型による醤油造りの作業工程

真夏の気温で蒸された体を包み込むような館内の涼しさ・・これで冷房を使っていないという事に驚かされます。受付まで戻ってふっと見えた表の景色。半円の窓と格子の向こうにある太陽の日差しは、まるで別世界です。

資料館から歩いてすぐの場所に、先々代ヒガシマル醤油本社として使用された別館があります。後に、龍野醤油協同組合本館として使用されたそうで、本来なら見学可能だったのですが・・残念ながらこちらの方は休館となっており、門の外から外観を垣間見ただけ。

野田、銚子、坂出、小豆島、等々・・醤油の主たる産地の中の一つに数えられる龍野。通りには醤油蔵が並び、それぞれのメーカーが丹精込めて日々の食卓に欠かせない「醤油」を作り続けています。それにしても流石は醤油の町。まさか「しょうゆ・もろみ」の自動販売機とは、思わず財布を取り出してしまったではないですか(笑)

訪問日:2008年8月14日

 

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佐用都比賣(さよひめ)神社 in 兵庫県佐用町

2023年10月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

佐用町本位田に鎮座される「佐用都比賣(さよひめ)神社」。式内社「佐用都比賣神社」に比定される古社で、主祭神は『大己貴命』の妃であり、この地方開拓の祖神とされる『狭依毘売命(さよりひめのみこと)』

「仁明天皇嘉祥二年(850)「播磨国佐用郡佐用津姫神社預官社」とあり、また「播磨国風土記」の讃容(さよ)郡の項には、出雲から来られた伊和大神と玉津日女命の夫婦神が当地の領有を競った時、玉津日女命が生きた鹿の腹を裂き、その血に稲を蒔いて一夜で苗を出させた事から、伊和大神は「汝妹は五月夜(さよ)に植えつるかも」と言って去っていった。これにより、五月夜の郡、讃容郡と名付けられ、玉津日女命を賛用都比賣命と名付けたと云う。」

ナビにいれて訪問したのですが、このナビがまたとんでもなく見当違いの場所を教えてくれた為、迷うこと二度・三度😭・・・やっと出会った方に道を尋ね、何とか無事に参拝する事が出来ました。

でも、こんなに立派な備前焼の狛犬さんに遇えたのですから、粘った甲斐がありました。焼き物の狛犬さんがおいでになる寺社は、亭主殿が特に気に入って参拝するのですが私にとっては、故郷の焼き物という意味合いも合って、出会うのが嬉しい存在なのです。それにしても写す位置の関係で阿形さん・・物凄く上から目線😅

拝殿の前にて神域を守護されるのは、こぶりの出雲丹後系の狛犬さん一対。一見、怖い印象を与えるアーモンドアイも、風化の洗礼を受けどことなく優しげに笑っているようです。

御神紋の「九曜紋」の腹掛けも眩しい御神馬、あれ?でも拝殿の献灯には蔦の紋が・・・どっちが正解なのか??。御神馬と並んで奉納された「戦利兵器」。今でも幾つかの寺社や公共の建築物などに見ることができます。

もう少し、本殿や末社・境内社などきちんと画像に収めて置けばよかったのですが、この当時はおそらく、狛犬さんが主目的だったのでしょう。手元のフォルダにはそれが如実に現されています😅

参拝日:2010年8月8日

 

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『宮本武蔵』ゆかりの地とお寺巡り in 兵庫県佐用町平福

2023年10月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

1994年12月、智頭線開業と同時に設置された「平福駅」。駅舎は第4回近畿の駅百選にも選定されています。

2010年の訪問では流石に気動車の発車に間に合いませんでしたが、2012年の訪問ではホームから見送ることができました。何故かはわかりませんが、ホームの車両を見送る瞬間って、好きなんです😊

さて、この平福駅で『宮本武蔵』の顔出しと遭遇。何故に『宮本武蔵』?と思われた方、実はここ平福には「宮本武蔵初決闘の場」があるのです。

宿場町の外れに建立されている念仏碑と六対の地蔵菩薩・・その昔、金倉橋西の一帯は平福藩の刑場があった場所。この六地蔵は、刑場の露と消えた人々の供養のために、建てられたものと云われています。

この六地蔵が建立されている地に、当時十三歳であった『武蔵』が初めて決闘をした場所であることを記した碑が建立されています。

「宮本武蔵最初の決闘の地」の碑と説明版に寄れば武蔵13歳の時、『何人なりとも望みしだいに手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なる』という、新当流の達人、有馬喜兵衛(ありまきへえ)の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。】このでき事は、武蔵の著した兵法書「五輪の書」にも記されています。

武蔵の出生については『吉川栄治』作の「宮本武蔵」の中で語られる美作が出身地としてあまりにも有名ですが、これには諸説があるようで・・まぁ・・彼ほどの有名人になれば「我が町こそが!」と名乗る気持ちは理解できます😅

因幡街道随一の繁栄を見せた「宿場町・平福」には、名刹と呼ばれる寺社も多くあります。全てが時の流れの中で浄化され、今は観光の名所として紹介される場所を後にして向ったのは、法道と行基ゆかりの「浄土宗:正覚寺」。この鐘楼門、なんとも絵になる佇まいです。

境内に置かれていた鬼瓦は何時の時代のものでしょうか?目線の近くまで降りてきた鬼の顔はとても穏やか。

こちらは、利神城の城門を移築したものと伝えられる「暁光山・光勝寺」の山門。あれもこれもと欲張って駆け足になってしまった平福の町歩き、もう少しのんびりと出来ればと思いつつ、いつも同じ言葉の繰り返し😅。

訪問日:2010年8月8日 & 2012年4月14日

 

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平福の川端風景 in 兵庫県佐用町

2023年10月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

千種川水系の佐用川、かって水運で賑わった佐用川と平行して続く旧街道沿いの石垣上に、連子窓と千本格子を持つ古い家並みが続きます。街道を一歩内側に入ると独特の景観を見せる川座敷と赤茶色の土蔵群が建ち並ぶ一画。「平福の川端風景」として、観光案内などでも数多く取り上げられ、一度は来たいと思っていた場所です。

真夏の日差しを受けて山々は濃い緑に、夏の青空に浮かぶ雲は白く輝いています。美しい風景と言うものは、春夏秋冬、どのような季節でも絵になるもので、たまたま二年後の春、同じ場所に立ち寄り、少し遠目から写した画像があるのですが、柔らかな桜の一群が山々を彩り、空の色も霞んで・・・それがまた、何とも美しいのです。

佐用川沿いに点在する土蔵や川座敷が川面に移りこむ姿は、絶好の被写体。
この時も、かなりの人が三脚を構えて、日差しが写るのを待っていました。
私たちにとっても、そんな写真は魅力ですが、そこまでの時間は割けません(^^;)

と言うことで、紹介できるのは特別素晴らしいショットではなく、普通に美しい川端の写真です(笑)

川端の画像が続きましたが、街道沿いの風景だって決して負けては居ません。卯建のあがる町並、かっては船屋敷があったと思われる倉庫、贅を尽くした門構え・・・歴史的な町並と言うのは、其処に居るだけで心をワクワクさせてくれます。

この屋敷は主を失ってどれほど経つのでしょうか?蔦に覆われかけた中二階の卯建に美しい鏝絵を見つけた時は、思わず心の中で歓声をあげました(笑)

江戸時代初期に築かれた利神城の城下町は、 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史はわずか30年と短かく、その後は陣屋や鳥取藩本陣が置かれる事となります。

その結果、この平福の地は、因幡街道最大の宿場町として発展をとげる事になるのです。また高瀬舟が坂越から千種川を遡って、佐用川の地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛。佐用川沿い1.2km、300戸余りの家の約8割が、屋号のつく商人の町となりました。

地区の中ほどに建つ三年醤油の「たつ乃屋醤油本店」も、そうした商家の一つでしょうか。母屋のならびに建つ白漆喰の蔵の壁には「倉 曳 船」の文字がうっすらと読み取れます。

こちらの門は、1997年に鳥取藩の本陣跡に整備されたもので、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物です。白壁の門や回廊形式の塀が設けられています。

陣屋門の向こう、満開の桜に包まれるようにひっそりと鎮座されるのは「金刀比羅神社」。二年間の時を経て桜に包まれた姿もその時と変わる事無く、静かにそこに佇んでいます。

こちらの神域で御祭神の守護をされていた狛犬さんのユニークで愛らしいこと。初めて見つけた時は思わず顔を見合わせてガッツポーズをしたものです(笑)

佐用川に架かる橋を渡ると「平福駅」、おや!!折りよく電車「気動車」が入ってくる気配。急げばホームの電車「気動車」間に合うかも(*^^*)

訪問日:2010年8月8日&2012年4月14日

 

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落地(おろち)八幡神社 in 兵庫県上郡町落地

2023年10月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

上郡町落地に鎮座される「落地(おろち)八幡神社」。御祭神は『品陀和氣命(ほむたわけのみこと)』。

由緒に「傳へに云ふ弘安2年(1279)夏当地方に大雨あり。里人之を眺めるに空中龍の昇降すに似たりしかば、恐懼して身心を悩まし一種奇異の病魔に犯され煩悶せしに一夜老人の夢むらく、吾が村は山の里高嶺神社(御祭神牛頭天王)素盞嗚命神代に大蛇を斬り殺し、殺し拾へる霊魂今此の地に現れて悩ますものなりと、即ち今より村名を落地(大蛇)に作り(大蛇の霊魂地に落つるの意か)武勇なる八幡大神を祀り以って信仰すれば、里人の病立ち処に平癒すと翌朝相謀るに皆同じ夢なり。依って今の地に卜し誉田別命を齋い奉る。一種の奇病忽ち癒えたり。」兵庫県神社庁より

拝殿の屋根の上から参拝者を見下ろしているのは、とても楽しげな顔立ちの獅子一対。留蓋にしがみつくような仕草も、ぺったと伏せた耳も、何だかどこかで見たような姿😊

拝殿前より神域を守護される狛犬さんは、ぽっちゃり系に獅子のような鼻がとても特徴的。思わず親しみを込めて、頭を撫でて差し上げたくなるようなお顔をしています。

境内社は「落地村大避宮」、偶然ですがここにも「大避宮」がありました。樹齢約800年のご神木「大椋」の後ろに写っている小さな社が、どうやら「大避宮」だったようです。この時は特に「大避」を意識していなかった為か、お社の画像は残していません。

参拝日:2010年8月12日

 

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竹万(ちくま )大避神社 in 兵庫県上郡町竹万

2023年10月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

上郡町竹万字宮ノ後に鎮座される「竹万(ちくま )大避神社」。主祭神は『秦河勝(はた の かわかつ)

由緒「創立年月不詳 坂越村県社大避神社の分霊を勧請創立せし神社なり。長船越中守、山野里駒山城に居住の際、筑摩村(竹万村)に小田、吉田、内海、片島と云える人越中守と隙を生じ苔縄村高見治部なる浪人を頼り当社に祈願して白昼駒山城に火を放ち之を陥れて報賽のため祭資を寄せて大祭典を執行すと伝う。 元禄3年(1690)社殿大破に及びたるを以て時の領主浅野氏再建の挙ありて9月に成就す。明治7年(1874)2月村社に列せらる。」兵庫神社庁HPより

気持ちの良い空気の中、掃き清められた参道真っ直ぐに、緑の木々を背景に唐破風の拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、彫りの浅いエキゾチックな顔立ちの狛犬さん一対。この時は日差しが強すぎて、どの狛犬さんの画像も影が入って真っ黒。なので、ちょっとイヌっぽい表情が今ひとつ伝えられません。

唐破風拝殿の屋根から下界を見下ろす飾瓦の龍。その存在感をさらに強調するかのように、空に突き刺さるように鋭く尖るウロコ。

魔を追い払うとされる鬼。その顔はいわゆる「悪しきもの」ではなく、大切なものを命がけで守る存在を示しています。

大避神社の神紋である「八本矢車」につき従うように立つ留蓋の獅子。阿吽いずれも俊敏な風格で中々頼もしい存在。

境内の一画に鎮座される境内社。鳥居には「三宝堂神・天満宮」の拝殿額が架かり、小規模ですが綺麗に整えられた社が鎮座されています。

鳥居の内より神域を守護されるのは丹後系の狛犬さん一対。仔狛を連れた阿形さんの顔は剥落が進み、その表情はわかりません。

来待石という材質ゆえに仕方のない事ですが、それでも大きな鞠を抱えて真っ直ぐに前を睨む子狛さんは、顔も体も綺麗に残っていました。

最後はちょっとした遊び心が楽しい手水鉢の亀。亀は水のものであり、そこから火難防止の呪い的存在として色んな場所に登場します。手水鉢に浮き彫りにした亀、素材が石である事を考えると凄い技です。

赤穂の坂越に鎮座される「大避神社」を本社として、千種川流域にのみ存在するという幾つかの「大避神社」「大避宮」。たまたま巡り合わせた「大避神社」ですが、『秦河勝』に関しては『聖徳太子』との関わりも含め、実に多くの謎が秘められていると云われています。そんな謎の存在を知る事も神社巡りの楽しさの一つなのかもしれません。

参拝日:2010年8月8日

 

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