蒲郡市竹島町に鎮座される「八百富(やおとみ)神社」。御祭神は『竹島弁財天(市杵島姫命)』。
由緒「安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建と伝えられる。これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天を勧請せられたことから始まったとされる。また、元文元年(1736)の仲夏書には「江州竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えた」との記述があり、その事から「竹島」と名付けられたとも伝えられる。」公式HPより
御本殿
境内社「八大龍神社」、御祭神は海の神である『豊玉彦命』。
「藤原俊成卿の夢で「この海底で年月が経過すること数百年に及んでいる。この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」との託宣があり、その通りに海底に綱を入れさせたところ、龍神の御尊体が現れたという言い伝えがあります。」公式HPより
龍神の松
八百富神社の「記念杉」。かって雷がこの杉に落ちて八百富神社の御本殿を守ってくれたと伝えられており、上部は伐採されましたが、今も濃い緑の影を境内に落としています。
境内社「千歳神社」、御祭神は『藤原俊成(しゅんぜい)卿』。久安元年から同五年(1145~1149)、三河守の任にあたられた際、風光明媚な竹島に、江州竹生島より弁財天を勧請されたことが八百富神社の起こりになります。
千歳神社鳥居の左手に建立された『佐佐木 信綱』歌碑
【 歌人の 国の司のみたまやとり 千歳さかゆる これの竹島 】
御神馬:腹掛けの御神紋は「五七桐」
注連縄の結界で守られた「蛇穴(じゃあな)」 には、弁財天の守り神である「白蛇」が棲んでいるとか。
四体の力神は、その容から手水鉢を支えていたのではないかと想像されますが、特に何の説明もない為、実際の所は不明。
鳥居近く、向かって左手に建立された「八百富神社」社号標。参道石段の横は竹島遊歩道になっており、裏手の龍神岬まで行く事が出来ます。
鳥居の右手方向には、竹島八景のひとつ「常磐の磯」。
参道石段の左手には、竹島八景のひとつ「甑嶋(こしきじま)」が案内板の柱の間にチラリと・・・きちんと画像に残すのを忘れたようです(^^;)。
竹島対岸に設けられた「篠津遥拝所」
宝永2年(1705)旱魃による大飢饉の際、領主:松平義尭が雨乞いの祈願を行い、念願成就した事で和歌を奉納。元文3年(1783)には石鳥居を寄進し、その後、松平守惇により遥拝所の造営が行なわれました。屋根と柱のみの構成で壁が無く、正面に竹島を望む事が出来ます。
篠津遥拝所西側に建立された句碑:二基
【 ふくらめる 芽をいたわりて みくじ結う 】牛歩
【 初凪の 海をへだてて 伊勢の国 】半風子
竹島橋のたもとに建立された『藤原俊成卿』の像。台座の左には百人一首で有名な【 世の中よ みちこそなけれ 思ひ入(い)る 山のおくにも 鹿ぞ鳴くなる 】、他一首が刻まれています。
篠津遥拝所近くに建立された「献額之碑」
「竹島の総面積は約5800坪、島の周囲620m、島の高さ24m、陸地からの橋の長さは387m。この島には昭和7年までは橋がなく、船で行き来をしていました。竹島には草木が密生し、ことに常緑樹が多く、対岸のクロマツ林とは全く景観を異にします。この植物群を保護する目的で、昭和5年8月25日、国の天然記念物に指定されました。」公式HPより
参拝日:2018年3月19日