車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 石川県旧七塚町(かほく市)

2017年11月06日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧河北郡七塚町(ななつかまち)は石川県の中部、日本海に面した町です。町名は七人の侍の墓があった事に由来。七塚町域は河北潟の北端に近い砂丘 の上に立地する為、水田が無く、居住者の殆どが何らかの形で漁業に従事していました。海岸砂丘上には大正3年に設置された「白尾灯台」が、今も日本海を照らし続けています。「町の木:梅」「町の花:ハマナス」「町の鳥:カモメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、河北郡七塚村が発足。

1940年、七塚村が町制を施行、河北郡七塚町が発足。

2004年、河北郡宇ノ気町、高松町と合併、かほく市となりました。

七塚町:宇ノ気町は共同で下水道事業を行っており、デザインマンホールも二町に同じものが設置されています。二つの自治体名と七塚町の花「ハマナス」、宇ノ気町の花「ツツジ」がデザインされています。

昭和37年8月8日制定の町章は「頭文字の「な」を図案化したものです。」合併協議会資料より

プラ汚水桝

宇ノ気町・七塚町:共用マンホール「汚水」

日本海に面して建立された一基の鳥居。

鳥居の内には「恵比寿神社」が鎮座され、『恵比須大明神』が祀られています。

砂丘に吹き付ける風の中で御祭神の鎮まる社を守護されてきた一対の狛犬さん。頑健さで名高い花崗岩の肌にも潮風の洗礼が痛々しく見受けられます。

日本海に光を照らし続けて海上の安全を見守り、また、漁業者の神を祀る神域を見守ってきた「白尾灯台」。この美しい風景がいつまでも続きますように・・・

撮影日:2011年10月14日&2015年5月19日

神社のみ参拝日:2011年10月14日

追記:大正3年に設置され、2018年までの104年間、海上に光を届け続けた「白尾灯台」。今はその役目を終え、恵比須様とご一緒に日本海を見おろしながら往時を偲んでいる事でしょう
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ご当地マンホール in 石川県旧宇ノ気町(かほく市)

2017年11月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧河北郡宇ノ気町(うのけまち)は石川県の中部に位置し、日本海に面した町です。江戸時代には能登と加賀を結ぶ交通の要衝として宿場町が形成され、廻船・水産業が盛んに行われてきました。高名な哲学者『西田 幾多郎(にしだ きたろう)』氏の出身地としても知られ、宇野気駅前には彼の銅像が、また彼が三歳から十三歳頃まで住んでいた家の跡には「生い立ちの碑」が建立されています。「町の花:ツツジ」「町の鳥:ツバメ」を制定。

「西田 幾多郎:生い立ちの碑」

「西田 幾多郎筆 道」

明治22年(1889)、町村制の施行により河北郡西英村・金津村(かなづむら)が発足。

1907年、西英村、金津村が合併、河北郡宇ノ気村が発足。

1948年、宇ノ気村が町制を施行、河北郡宇ノ気町が発足。

1950年、河北郡高松町から横山、上田名、谷、笠島、余地地区が分離し金津村(かなつむら)となる。

1960年、金津村と宇ノ気町が合併。再度、河北郡宇ノ気町が発足。

2004年、河北郡七塚町、高松町と合併、かほく市となりました。

宇ノ気町:七塚町は共同で下水道事業を行っており、デザインマンホールも二町に同じものが設置されています。二つの自治体名と宇ノ気町の花「ツツジ」、七塚町の花「ハマナス」がデザインされています。

昭和42年4月5日制定の町章は「「う」を図案化、「宇」で宇宙のように広い発展を意味します。」合併協議会資料より

プラ汚水桝

宇ノ気町・七塚町:共用の特大サイズマンホール「汚水」

宇ノ気町・七塚町:共用マンホール「雨水」

撮影日:2011年10月14日&2015年5月19日&2018年10月15日

 

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