輪島市河井町、わいち通りの突き当たりに鎮座される「重蔵(じゅうぞう)神社」。御祭神は『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと) 、大國主命』。 『延喜式神名帳』にある「鳳至比古(ふげしひこ)神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社の論社。
創祀年代は不詳、社伝によれば「遠く崇神天皇の御代の鎮座とされ、「延喜式」の神名帳に載せられる「鳳至比古神社」、あるいは「辺津比咩(へつひめ)神社」にもあてられてきた。天平勝宝八年(756)五月、『泰澄』により寺院が建立された。以後、神仏習合の社として、「十蔵権現」あるいは「重蔵宮」と称せられたが、後に「重蔵神社」と称された。七堂伽藍の立ち並ぶ、壮大な境内で、多くの社人・社僧・衆徒の奉仕するところであった。明治5年9月郷社に列せられ、本殿は明治三十九年特別保護建造物に指定せられた。」
本殿玉垣の近くより神域を守護されるのは明治二十八年(1895)八月三日建立の出雲構え狛犬さん。反対側には阿形さんがおいでなのですが、立ち入れない位置の為、吽形さんのみ。
境内入り口より神域を守護されるのは慶応四年(1868)建立の狛犬さん一対。本来なら鳥居のうちなのですが・・ 一の鳥居は能登半島地震で倒壊したそうで、それを知れば、狛犬さんの無事が何よりも救いと思えます。
西側入り口より神域を守護されるのは昭和十五年(1940)十一月建立の護国狛犬さん一対。
神仏習合の名残を伝える拝殿。
拝殿前左右より神域を守護されるのは。明治十五年(1882)三月吉日建立の狛犬さん一対。阿吽ともにあどけなさの残る顔は、今でいうところの癒し系?
拝殿の前、赤い鳥居の奥には、地震を鎮めるとされる「要石」が玉垣の中に鎮座しています。人の世界と神の世界との結界とも言える鳥居の崩壊。その後に起こった未曾有の東北大震災。 どうかどうか、地の神様がお鎮まりになりますように・・・人はただ首を垂れて祈るのです。
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境内には六つの境内社があり、左手に「秋葉社」「白山社」「金比羅社」が鎮座します。 「金比羅社」の御祭神は『大物主神』。
鳥居の内より神域を守護をされるのは、丹後系出雲構えの狛犬さん一対。
境内右手には『菅原道眞』を御祭神とする「天満宮」、『稻荷大神』を御祭神とする「稲荷社」。
「稲荷社」の前より神域を守護されるのは、明治三十六年(1903)一月吉日建立の丹後系出雲構えの狛犬さん一対。阿形さんのあごがわずかに欠損しているのは、もしかして地震の所為?
『稻田姫神』を御祭神とする「子安社」。『須佐之男神』と結婚された事で、縁結びの神ともされます。灯りが入った拝殿は独特の張り詰めた空気に包まれて、それだけで非現実の世界を彷彿させます。
御朱印を頂く為、2015年に二度目の参拝をしました。とても素敵な女性の宮司さんにお目にかかり、御朱印まつわる話など一時の楽しい時間を過ごさせて頂きました。明日は朝市通りに「重蔵神社 産屋」が開かれるという事で支度にお忙しい中、心温まるお時間を頂き、感謝で一杯です。巫女さんが写してくださった記念写真を見返すたびに、胸が一杯になります。
参拝日:2011年10月16日&2015年5月23日
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御神名一口メモ
『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)』、十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱で国津神。「刺国若比売」を娶り『大国主大神』の父神となる。「重蔵神社」社伝には、出雲よりはるばる能登まで来臨し、同地を平定した神とされる。