掛川市(かけがわし)は静岡県の西部、牧之原台地のすぐ西に位置しており、掛川城の城下町として発展してきました。袋井市・島田市・菊川市・御前崎市・森町に隣接。地名の由来は、中心部を流れる逆川の流れが、切り立った崖のように見える事から「缺(か)けた川」のようであり、それが次第に略されて「懸(かけ)川」となり、後に現在の「掛川」と改名されました。「市の木:金木犀」「市の花:桔梗」「市の鳥:鶯」を制定。
高速道路から見えた「粟ヶ岳の茶文字」。この茶文字ですが、茶の草かんむりの横棒だけでも100メートル以上あるとか。昭和7年頃、東山のお茶のPRのために、茶業組合や村民が力を合わせ、粟ヶ岳の急斜面にマツの樹を植え付けたのがはじまりとか。その後、松の木がマツクイムシの害にあい、ヒノキに植え替えられ、今も定期的にメンテナンスが行なわれているそうです。
キャッチフレーズは「海と山と街道がつながり、夢・未来を創るまち」「 ~ 健康・安全・安心、幸せ感じるまち 掛川 ~」
明治22年(1889)、町村制の施行により、佐野郡掛川町・南郷村・大池村・栗本村・西山口村・曽我村・東山口村・西郷村・倉真村・日坂村が発足。城東郡上内田村が発足。
1893年、佐野郡南郷村下俣・南西郷・結縁寺地区を編入。
1895年、掛川町南西郷・結縁寺・下俣の一部が分立して佐野郡西南郷村が発足。
1896年、郡制の施行により城東郡と佐野郡が合併、小笠郡が発足。
1925年、小笠郡大池村を編入。
1950年、小笠郡上内田村を編入。
1951年、掛川町、西南郷村、栗本村、西山口村が合併し、新たに小笠郡掛川町が発足。
1954年、小笠郡西郷村・倉真村が合併、小笠郡三笠村が発足。
1954年、小笠郡曽我村、東山口村を編入し、市制を施行、掛川市が発足。
1955年、小笠郡日坂村と合併。
1960年、小笠郡三笠村を編入。
2005年、掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併、新たに掛川市となりました。
マンホールには、復元された「掛川城天守閣」と、「市の花:桔梗」が描かれています。(掛川駅南口付近のタイル歩道上)
「東海の名城」と呼ばれた掛川城、1994年に日本初の「本格木造天守閣」として復元されました。
「日坂(にっさか)宿」地区の農業集落排水の蓋には、駕籠に載って峠越えする旅人が描かれています。
「秋葉路地区」のマンホールは、「秋葉山」と「常夜燈二基」がデザインされています。
上内田地区の農業集落排水の蓋には、上内田の文字が中心から外側に放射状にデザインされています。
掛川市公式キャラクターは『二宮金次郎』をモチーフにして誕生した『茶のみやきんじろう』。頭の天辺にあるのはお茶の新芽「一芯二葉」で、今日もせっせと「お茶のまち掛川」をPRしています。
掛川市社会福祉協議会のマスコットキャラクター『キョーちゃん』。市の花の桔梗がモチーフ、お茶の葉の尻尾がチャームポイントです。
撮影日:2011年11月14日&2016年11月14日
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マンホールカード、頂きました
2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「掛川市」のマンホールカードは、「東神楽町役場」でいただけます。
1994年に設置開始されたマンホールには「掛川城」と「ききょう」がデザインされています。
「掛川市の観光名所のひとつである「掛川城」と市の花である「ききょう」を描いたマンホール蓋です。 掛川城は室町時代、駿河の守護大名であった今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのがはじまりです。 その後、戦国時代には、山内一豊が城主として大改築を行いました。 マンホール蓋には、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元した姿を描いています。 また、掛川市内にはこの他にも地区ごとのデザインマンホール蓋が点在しているため、それらを探していただくのもおすすめです。」