柳津町柳津寺家町甲、只見川畔に門を構える、臨済宗妙心寺派寺院「霊巌山:圓藏禪寺」。
日本三虚空蔵、会津六詣出・会津三十三観音番外札所。「柳津虚空蔵・福満虚空蔵」とも称され、丑歳・寅歳生れの守り本尊と云われる『虚空藏菩薩』を本尊とします。
縁起によれば「弘法大師が唐の高僧から霊木を授かり、帰国後にその木を三つに分かち海に投げいれたところ茨城、千葉、そしてここ柳津に流れついたと云う。霊木漂着の知らせを聞いた大師は、さっそくその木で虚空藏尊菩薩を刻みあげた。大同二年(807)、徳一大師は虚空蔵菩薩を安置するため菊光堂を建立。円蔵寺は菊光堂の別当寺として建立されたと伝えられ、南北朝時代の至徳年間(1384~1387)に臨済宗に改められ、江戸時代に入って一時真言宗に属することとなったが、寛永4年(1627)に臨済宗に復帰。茨城県東海村の大満虚空藏菩薩、千葉県鴨川市の能満虚空藏菩薩と共に日本三虚空藏菩薩の一つに数えらる。」会津六詣出より
見上げた瞬間に思わず躊躇してしまう石段参道。しかも生憎の雨😔 とは言え、ここまで来て尻込みなんぞをしていたんでは、どこにも行けない!ここはひとつ気合を入れて😠
石段途中の山門前、その左右より仏域を守護されるのは、福島型と呼ばれる狛犬さん一対。台座には「磐城白河之住 石材彫刻師 野田平業謹刻」「昭和十八年(1943)」の刻。阿形さんは大きな玉の上に手を置き、吽形さんは飛び出していこうとする仔狛を宥めるように頭に手を重ねています。雨の中でもあり、また位置的な制約がきつく、多方向からの画像は諦めました。
総欅造り・入母屋造り(軒唐破風)桁行き三間・梁間二間・銅板葺き・三間一戸の八脚単層の山門は大正13年(1924)の再建。
門の内より仏域を守護されのは、朱色の体に黒の天衣(てんえ) を纏った勇猛な忿怒(ふんぬ)の形相の仁王像一対。阿は金剛、吽は力士。忿怒と言うよりも慈悲深い顔に見えてしまうのは何故・・
仁王門・天井画。画像が小さくて見づらいですが「雷鳴の中に咆哮する龍」。それにしてもこの沢山の千社札・・どうやって貼ったんだろう?。
門内の左右には、それぞれに大わらじが奉納されています。
貫には二対の獅子。円蔵寺の山門貫の彫刻は、左右正面、いずれも獅子で統一されています。
さて・・・菊光堂までもうひと頑張りです。
参拝日:2015年7月1日
こんにちは!
今日からまた一週間が始まりましたね。
体に気をつけてお互い頑張りましょうね!
今回の狛犬は顔がなかなか
怖い感じでいいてすねぇ。
修験者の寺なのでしょうか、急な坂、険しい岩などよくこんな所を歩かれましたね。
なるほどこの寺の仁王様は、金剛山:如法寺の仁王様より優しい顔をされていますね。
厳しい姿の狛犬さんも、あなたの言葉の魔法で優しくなります。
わが家は主人のリハビリでスタート
あと二度通院したら
今年も終わりますよ^^;
その時々によって様々に姿を変えて見えます
それが単なる思い込みであったとしても
やはりこうして時を経て振り返ると
やっぱり「同じではない」お顔で
昔を懐かしむ私を見返してくれます
旅の楽しさは
きっとそんなさりげない一つ一つの積み重ねなんだろうと
いま改めて思いを馳せています