鳴門市(なるとし)は四国の東端、徳島県の北東端に位置する市です。
板野郡松茂町・北島町・藍住町・板野町、さらに県を跨いで香川県東かがわ市。また鳴門海峡を挟んで兵庫県南あわじ市に隣接。神戸淡路鳴門自動車道の四国側玄関口に位置し、淡路島との間には市名の由来となった鳴門海峡があり、鳴門の渦潮で知られています。市域は四国本島と大毛島、高島、島田島から成り、市の南側の市町境付近には旧吉野川が流れ、市の北西地域が阿讃山脈の最東部に位置している事から全体的に山地の比率が高くなっています。
室町時代には細川氏が、戦国時代には三好氏が阿波を支配。市内には林崎城・木津城・土佐泊城などが築かれました。天正13年(1585)には、蜂須賀家政が領主となり妙見山上に撫養城(岡崎城)を築き、林崎浦はその城下町として発展しました。「市の木:モチ」「市の花:ハマボウ」を制定。
キャッチフレーズは「いきいき 未来に輝く 交流拠点都市 なると」
明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡鳴門村・撫養町・瀬戸村・里浦村・板東村・堀江村 ・大津村・北灘村・板東町・堀江町が発足。
1915年、板東村が町制を施行、板野郡板東町が発足。
1928年、 瀬戸村が町制を施行、板野郡瀬戸町が発足。
1940年、鳴門村が町制を施行、板野郡鳴門町が発足。
1947年、板野郡撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村が合併、鳴南市が発足。二ヵ月後に鳴戸市と改称。
1955年、板野郡大津村を編入。
1956年、板野郡北灘村を編入。
1959年、板東町・堀江町が合併、板野郡大麻町が発足。
1967年、板野郡大麻町を編入。
汚水マンホールには「大鳴門橋」と、「鯛」「ゆず」「鳴門の渦潮」がデザインされています。
雨水用マンホールには、「大鳴門橋」と、「鳴門海峡の渦潮」がデザインされています。(鳴門市役所下水道課)
昭和22年(1947)11月7日制定の市章は、「鳴門市を代表する「鳴門の渦潮」をかたどったものです。円の中は、各単位の町を表し、それぞれが特性を生かして渦のように力強く躍進し、限りない発展をとげるとともに、図全体は鳴門市が円滑に繁栄することを象徴しています。」公式HPより
お茶園展望台と鳴門山展望台を結ぶ歩道橋の路上絵は、大鳴門橋、鳴門の渦潮、阿波踊。
鳴門市制施行50周年を記念して誕生した鳴戸市マスコットキャラクター『うずしおくん・うずひめちゃん』。胸に渦のマーク、頭に大鳴門橋の冠をかぶり、鳴門の町をPRしています。
撮影日:2013年3月15日&2018年6月19日