阿波国の人形師として名を馳せた「天狗 久(てんぐ ひさ)」。明治から昭和にかけて活躍し、 阿波木偶を芸術の域にまで高め「天狗 久」の異名で呼ばれた人形師『吉岡 久吉 』。二軒目は、同じく徳島市国府町和田にある「天狗久資料館」。
こちらの資料館では、初代及び三代目・天狗久の旧工房の公開がなされており、国重要有形民俗文化財である天狗久関係の資料の保管。さらに、昭和16年(1941)に制作された天狗久の記録映画「阿波の木偶」も視聴させていただけます。
館内に収蔵されているのは、「国指定重要有形民俗文化財:阿波人形師の製作用具及び製品」 。さらに「県指定重要有形民俗文化財:天狗久旧工房及び製作用具及び製品」。
資料館を管理されていらしゃるのは『南さん』。彼女のお話を伺っていると、本当に心のそこから「天狗久」という人物に魅了されている様子が感じられます。南さんの年齢から考えれば、決して交じり合うことなど無かった筈の人物なのに、終始、まるでつい昨日の事のように記憶の中の思い出を語ってくださるのです。
工房の向かいにあった不思議な生き物の頭(かしら)。「あれはね、天狗久さんがお小遣い稼ぎに作ったんですよ」と、楽しそうに教えてくれました。
自ら世界一と名乗った「天狗久」、それは決して高慢からではなく、彼が生み出した「木偶(でこ)」たちへの深い愛着の証。 「技入神」。まさに神の手を持ちその技でもって生きるが如くの「木偶(でこ)」を生み出し、阿波人形浄瑠璃の隆盛を支えた人形師「天狗久」。
工房にあったのは彼の名の由来とした「鼻高天狗」「烏天狗」。その穏やかな顔は、記録映画の中の「天狗久」さんに、とってもよく似ています。
工房の塀にさり気なく施された扇面の天狗彫刻。これもきっと、彼の遊び心が生み出した「こだわり」なのかもしれません。
下の二つの頭はこの後に立ち寄った「松茂町人形浄瑠璃芝居資料館」で目にしたもの。美しい姫木偶は「八重垣姫」。凛々しい顔立ちの頭は「広瀬中佐」。いずれも作者名に「天狗久」の名があり、時間を忘れて見惚れてしまいました。
「天狗久資料館」からさほど遠くない鮎喰川の堤防沿いに、小さな祠だけの「地蔵堂」と「野神神社」が鎮座。傍らに「初代天狗久史碑」があり、「天狗屋久吉心願の言葉」が刻まれています。
作家『宇野千代』は「傾城阿波の鳴門」のお弓の「木偶」に魅せられて天狗久を訪ね、処女作となった「人形師天狗屋久吉」を著わしました。この碑は彼の死を惜しんだ『宇野千代』によって建立されたものです。
「心願かける心は別でござりますが、しかし神様の方から私を助けてつかわされるような事はないものと私は思うております。神仏というものは、考えつまった「くふ(空)」なところで、わがが行けんと言うところがそこが神様じゃと思うております。」
昭和18年(1943)12月20日、『天狗久こと吉岡 久吉』永眠 享年・86歳
訪問日:2013年3月16日