車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岡山県旧牛窓町(瀬戸内市)

2021年11月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧邑久郡牛窓町(うしまどちょう)は岡山県南東部に位置した町です。西は岡山市、北は邑久郡邑久町に隣接。かって牛窓半島の北・東・南は海に囲まれていたが、塩田開発によって北の錦海湾はほぼその全域が陸地化し、地形は大きくを変化。町の南方には前島・黄島・青島・黒島、東方には鼠島の五島が浮び、黄島・黒島には、淡水に生息するヤマトシジミを主とする縄文時代早期の貝塚があり、草原であった瀬戸内海が海進によって今のような海に変わっていく過程を物語る好資料となっています。二塚山古墳・鹿歩山古墳・天神山古墳・黒島古墳など牛窓湾を取囲む巨大な古墳群は、当地方に勢力を振るった首長の存在を伺わせます。現在は特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称し、また香川県の小豆島とならび、日本二大オリーブ産地の一つとして知られます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑久郡牛窓村・鹿忍村・長浜村・大宮村が発足。

1896年、牛窓村が町制を施行、邑久郡牛窓町となる。

1924年、鹿忍村が町制を施行、邑久郡鹿忍町となる。

1954年、 牛窓町、鹿忍町、長浜村が合併、(新)牛窓町が発足。

1955年、邑久郡大宮村の一部を編入。

2004年、邑久郡邑久町・長船町と合併し、瀬戸内市牛窓町となりました。

マンホールには「ヨット」と「本蓮寺三重塔」、それに「オリーブの実」がデザインされています。

瀬戸内市立美術館:牛窓支所内の展示マンホール

制定年月日は不明、町章はカタカナの頭文字「ウシ」を円形に図案化したものです。

町名の由来「神功皇后が三韓征伐の道中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われるも弓で射殺。皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲し、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。この場所を牛転(うしまろび)といい、訛って牛窓になったという。この牛鬼が滅びた後、頭は黄島、胴体の前は前島、胴体の後ろは青島、お尻の部分は黒島に化けたと地元では伝えられている。」

撮影日:2008年8月15日

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