旧和気郡吉永町(よしながちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。備前市、和気郡和気町、英田郡作東町・英田町に、また県を跨いで兵庫県赤穂郡上郡町、佐用郡上月町に隣接。町の中央部を八塔寺川が北から南に貫流。町の南部を東から西へ金剛川が流れ、町の南西部で八塔寺川と合流。合流地付近が町の中心であり小盆地を形成していますが大半は山林。八塔寺川には、昭和51年の台風による災害を契機として建設された多目的ダム「八塔寺川ダム」があり、近隣はダム公園として整備されています。「町の木:ヒノキ」「町の花:ウメ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡英保村・神根村・三国村が発足。
1948年、英保村が町制を施行、和気郡英保町が発足。
1948年、英保町が吉永町に改称、和気郡吉永町となります。
1954年、吉永町、神根村、三国村が合併、新たに和気郡吉永町が発足。
2005年、備前市、和気郡日生町との対等合併により備前市吉永町となりました。
マンホールには「八塔寺川を飛び交うホタル」「町の木:檜」「町の花:梅」がデザインされています。
2017年11月18日開催の、倉敷マンホールサミット:展示マンホール。
昭和40年10月1日制定の町章は「ひらがなの「よ」を3つ組み合わせて図案化したものです。中央の円形は町民の団結と円満を意味し、三方向に突き出した三角形は八塔寺山、竜泉山、敦土山を中心として四方に連なる広大な山林をあらわしています。また3つの小円は3カ町村合併による本町の生い立ちを意味しています。全体を亀の形にあらわしているのは、旧岡山藩池田家歴代の墓所に用いられている巨大な亀石にヒントを得て何事もあせらず、着実な歩みを続ける町民のねばり強さを象徴しています。」合併協議会資料より
吉永町加賀美の地に神亀5年『弓削道鏡』が開基したと伝えられる「照鏡山:八塔寺」。山岳仏教の聖地として栄え、盛時には72もの僧坊があったと伝えられています。
標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。昭和49年に県下で初めて、山上全体が「八塔寺ふるさと村」として登録、保存・整備が行われています。(上記二枚の画像提供:義姉)
八塔寺川ダムカード
撮影日:2013年7月22日&2017年11月17日