安曇野市豊科本村。本村地区公民館の隣り、大日如来堂の傍らに「文字碑道祖神」「祝言・酒器双体道祖神」「神代文字碑」「庚申仏塔」各一基。
「文字碑道祖神」は高さ205cm、幅180cm、厚さ63cm。「弘化丁未(1847)秋改建成相本村 極盤書」の刻があり、日本で一番大きい「文字碑道祖神」と言われています。
巨大な文字道祖神の隣に「祝言・酒器:双体道祖神」。「弘化三午(1846)正月吉日 本村 帯代十五両集会所」の刻。いわゆる美男美女のカップルと言って差し支えない、整った顔立ちの二人。
その隣、覆い屋の中に大切に保存されているのは、安曇野市有形文化財「本村の神代文字碑」。現地案内に「神代(じんだい)文字の一つ「阿比留文字」でヤチマタヒコノカミ(八衢比古神 ヤチマタヒメノカミ(八衢比売神) クナトノカミ(岐神)と、三柱の神を刻んだ碑である。 もともと屋敷神としてあったもので、平田国学(ひらたこくがく)の影響下、江戸時代末に造立されたものと考えられる。その後、現在地に移転してから、「本村中」の文字が加えられ、道祖神として祀られている。 俗間の目に触れぬ文字が刻まれ、しかも信仰されているという貴重な民族資料である。」
ガラス越しである事、もともと文字そのものが薄れている事もあって、精一杯加工してこの程度。それでも確かに文字らしきものの存在は見て取れます。
神代文字碑の隣に「庚申仏と三猿の碑」
更にたくさんの文字碑・石仏が並べられています。
安曇野市豊科西原、新田神社社号標横に「文字碑道祖神」二基、「双体道祖神」二基
「握手:双体道祖神」。「天保十(1839)己亥正月日 下堀金村下村中」の刻。女神の控えめに伏せた顔が何とも古風でいじらしく初々しさを感じさせます。
「握手:双体道祖神」。「天保十二(1841)辛丑年正月吉日 下堀金下村中」の刻。こちらは随分と華やかな顔立ちの女神。多分ですが・・・カカァ殿下タイプ😄
安曇野市豊科、某てっぱん焼き店の近くに建立されていた「大黒天」一基。
安曇野市豊科成相に鎮座される「八坂神社」
その境内に「握手双体道祖神」二基。「二十三夜塔」「御嶽大権現碑」各一基。
かなり小さい双体同祖神ですが、石の摩耗が激しく表情等は全く判別できない状態。
もう一基は顔の部分に損傷が見られる双体道祖神。時の流れによる風化であれば致し方ないと思う・・そうであって欲しいと思う自分がいます。
八坂神社の記念碑二基
安曇野の道祖神~豊科編、明日でラストです。
撮影日:2016年4月19日
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