北葛城郡河合町(かわいちょう)は奈良県北西部、奈良盆地の西部に位置する町です。古代の大和国広瀬郡の地であり、延喜式内「廣瀬神社」や、川合大塚山古墳群・馬見丘陵古墳群など、国指定史跡4件11基を含めた60基もの古墳が残されている事で知られています。王寺町、上牧町、広陵町、斑鳩町、安堵町、川西町、三宅町に隣接。「町の木:山茶花」「町の花:福寿草」を制定。
キャッチフレーズは「輝きと潤いを みんなで築く 水辺の里」
明治22年(1889)、町村制の施行により、広瀬郡川合村が発足。
1892年、河合村大字沢・大野・寺戸地区を箸尾村に編入。
1897年、郡制の施行により葛下郡・広瀬郡の区域をもって北葛城郡が発足
1971年、河合村が町制を施行、北葛城郡河合町となる。
マンホールは町章のみの規格品で、デザインマンホールはありません。
町章は、昭和46年7月1日制定の村章を継承「「河」を図案化し、全体はで町の円満と発展を表徴。中央の円は明るい町を表わす。」公式HPより
広陵町からの帰路に通りかかって見つけた河合町のマンホール。何時か再訪してもう少し丁寧にマンホール画像を入手したいと思いつつ、結局ここも一回きりになりました。
撮影日:2009年6月27日
小さな町が密集しておりどこがどこやら未だによくわかりません。笑
ただこの辺りの古墳は古代葛城氏のものでは?という説はよく存じております。
地図を見ると河合の名の通り大和川の各支流がこの辺りで合流していますね。
大和川は海の玄関口である難波津と大和を結ぶ輸送路でしたからこの辺りはいわば交通の要衝。
周辺の古墳群は葛城氏のものという説もうなづけます。
でもそこが何処なのか、実は全然わかっていない(^^;)
自宅に帰って、辿ったコースをグーグルで見直して、「ああ○○町か」と分かるというお粗末さ。
まぁ、基本的にマンホール画像さえあればOKだった時代は、総じてこんな感じです。
(伝)古代葛城氏の古墳、それに付随する神社等々・・通りすがりはダメですね(-_-;)