旧小野田市は山口県の南西部に位置した市です。宇部市、山陽町に隣接。明治維新後、セメントを中心とした工業都市として「民間セメント会社発祥の地」として栄え、隣接する宇部市と共に、北九州工業地帯の一角を担ってきました。市の中央を有帆(ありほ)川が流れて瀬戸内海(周防灘)に注ぎ、両岸をはじめとする平野部に市街地が開ける地形。平野部は干拓地が多く、市北部や宇部市との境は丘陵地帯となっています。「市の木:クスノキ」「市の花:菊」「市の花木:ツツジ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により須恵村が発足。。
1920年、須恵村が町制を施行・改称して、小野田町になる。
1940年、小野田町と高千帆町が合併、市制を施行し小野田市となる。
2005年、山陽町と合併、山陽小野田市となりました。
マンホールには小野田セメントの「徳利窯」ろ、「市の花木:ツツジ」がデザインされています。
山陽小野田市役所別館:展示マンホール
国重要文化財:旧小野田セメント製造株式会社竪窯「徳利窯」
「江汐公園のつり橋(名称・江汐湖橋)」と「市の花木:ツツジ」がデザインされたマンホール。
山陽小野田市役所別館:展示マンホール
小野田西地区集落排水マンホールは、中央に農作業をする女性、周囲に稲穂がデザインされています。
「市の花木:ツツジ」がデザインされた若山公園のマンホール
「若山公園」は、小野田セメントの創設者である笠井順八翁の元私庭。園内には「笠井順八君公徳碑」や忠魂碑などが建立されています。
「日露凱旋記念碑」
「忠魂碑」
昭和16年5月10日制定の市章は「小野田市の「小」をかたどり、中央は煙突を、翼は鳩のはばたきを意味し、躍進平和工業都市を象徴しています。」合併協議会資料より
防火水槽
「セメン樽」と「市の花木:ツツジ」がデザインされた消火栓
「セメン樽」と「市の花木:ツツジ」がデザインされた空気弁
「徳利窯」と「市の花木:ツツジ」、周囲に「セメン樽」がデザインされた仕切弁。
「徳利窯」と「市の花木:ツツジ」「セメン樽」がデザインされた仕切弁。
「徳利窯」を「市の花木:ツツジ」で包み込んだ仕切弁
セメン樽が描かれた歩道タイル
撮影日:2015年11月12日&2017年12月2日
おはようございます!
明日はひな祭りですね😌😌
今日も札幌は雪で視界も悪くて
車の運転も大変です😺😺
こちらは昨日の暴風がウソみたいに収まって
青空がのぞいています
でも寒さは半端なくて、手がかじかんでます😅
雪道の運転、お気をつけて!!
落ち着いたらじっくりブログを拝見いたします。
一言、日経平均最高値更新万歳!!
そして月曜日には初の4万円を一気に超えてゆくでしょう。
岸田君は政治資金がらみで評判は最悪ですが、今回の株価上昇の大きな要因の一つは熊本へのTSMC誘致をはじめとした外資企業の誘致など岸田君の外交手腕によるものです。
この一年間で見れば日本の株価時価総額は200兆円以上増加し、国富のみならず個人や企業においても金融資産が大きく増加しました。
政治家の不正に憤る国民感情は理解できるけど、たかだか一人うん百万程度の不正に憤るよりも、株式を持っていなくても公的年金の運用資金の増加という形で個人レベルでは大きな恩恵があることをわかっていない民度の低さにもあきれるばかり。
先人もきれいな水には魚は住めないと言ってるんですが・・・・
ということで、これから寝ます。
ちょっと(かなり)心配していました。
お元気そうで、良かった!!😄
久々に舌鋒鋭い政治の世界の話題
興味深く拝見させて頂きました
我が家は前にもお話したようにテレビを置いていません
でもリハビリ&通院で最低でも週一で病院に
で、待ち時間に流れる国会中継を見るのですが
まぁ・・一日三億の経費を何と無駄に使っている事か
と・・毎回、苦々しく思っていました
今日の株価の増加による国民への還元の件
とても、とても参考になりました。
具体的な話題として知っていれば、親しく話せる人に、伝える事ができます。
それをどう受け取るかは個々の裁量ですが
でもメディアの垂れ流しをそのまま鵜呑みにせずに
少しでも「?」と思ってくれるなら良しすね😊
「大仏さんの奈良」と言うように、私の中では「セメントの小野田」が慣用語になっています。
徳利窯、セメン樽といかにも小野田市らしいデザインですね。江汐湖橋とツツジのマンホールも、立派で見惚れました。
まっちさんのコメントにも、同意しました。
そうなんですね😃
小野田市はセメントによって発展した町
市内を歩いていると随所に関連施設が登場して
ここはセメント城下町なんだと感じさせられました