刈谷市街歩き・・と言っても時間にすれば僅か90分。それでもメインの建物も含めてそれなりに楽しんだ90分。スタートは刈谷市城町にある国登録文化財「刈谷郷土資料館」
昭和初期の建築様式をとどめる「亀城小学校旧本館」の建物を保存活用して、昭和55年に開館。2011年4月に新たに昭和30年代の教室や民家の部屋の再現展示を加えてリニューアルオープンした「刈谷郷土資料館」
元愛知県の技手であった『大中肇氏』の設計により、昭和3年に竣工された「亀城小学校」。その後、新校舎の建て替えによって取り壊しの話も有ったそうですが、市民の働きで存続できたとか。
歴史的にも、景観的にも価値のある美しい建物が残されたこと、それを目にする事ができるのは本当に有り難い事と思います。
入口で受付を済ませたら後は自由に見学が可能。懐かしい昔を思い出し、生意気盛りだった子供の頃に戻るとしましょう。
郷土資料館には8つの展示室があり、第1展示室は亀城小学校を中心とした刈谷の近代教育について展示。第2・第3展示室は「土地利用の変化と農具の変遷(秋)(春)」。第4展示室は「公共施設・交通・道具の変遷」。
こうして廊下に設けられた椅子に座って耳を澄ますと、子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうで・・昭和50年代まで現役だった校舎には、そんな子供たちの息吹が感じられて何とも言えずノスタルジックな雰囲気に・・
第5展示室は「はた織り」体験の部屋。丁度機織りをされている方がいらしてその様子を見せて頂きました。幾筋もの糸が布に変わっていくのを見ていると、無条件に凄いなって・・感動します。
第7・8展示室は「昭和30年代の家庭と遊び」をテーマに、昭和30年代の一般家庭の様子を再現。これがまぁ、何とも懐かしくて(〃∇〃)
そうそう、夏になると蚊帳を出して・・ちなみに外した蚊帳を畳むのはまだ小学校の低学年だった兄と私の役目で、大きな蚊帳を相手に大汗をかいて格闘したものです。
ここでの圧巻は、個人の方が集められた珍しく昔懐かしい昭和のおもちゃの数々。遠い記憶の向こう、見覚えがあるのは大人になって色んな場面で目にしてきたからだね。
ひとしきりささやかなタイムスリップを楽しんだ後は、資料館の方が教えてくれた「椎の木屋敷跡」がある刈谷市銀座まで歩く事に。その前に資料館の敷地内で見かけた「下町の常夜灯」。昔は銀座六丁目にあった旨が駒板に記載されています。
刈谷市司町、刈谷市城町図書館に建立されていた「藩校:文礼館跡」の碑。土井氏が西尾藩主であった時、藩士の子弟教育のために設立したと言われています。
ついつい脇道にそれてしまうのが悪い癖の二人、何だかんだと言いながらも「椎の木屋敷跡」に到着。
「椎の木屋敷は徳川家康の生母である於大が、岡崎の松平広忠に離縁されて水野家に戻された際、一時住んでいたといわれる場所です。 江戸時代には一般の人の出入りが禁止されており、人夫がときどき清掃を行うとともに、出入り口には鍵がかかっていました。中央は窪地で、まわりが高く、椎の木が多く茂っていて、数基の五輪の棟と、地蔵尊が立っていたといわれています。」刈谷市公式HPより
「於大の方由緒の地」碑と、17歳で家康を出産した於大の像
刈谷市郷土資料館に置かれていた「於大の方」のスタンプ
短い時間の街歩きでしたが、目に入るすべてが物珍しく思えるのも旅先ならではの魔法。さて、そろそろ次の目的地に向かいましょうかね(⌒∇⌒)
訪問日:2011年9月23日
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