車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

渚神社 in 愛知県飛島村渚

2016年11月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県飛島村渚に鎮座される「渚神社」、御祭神は『天照皇大神』

「棟札によると文政元年(1818)の創建といい,当初は神明宮と称された。境内社の天満宮は天保2年(1831)に大宝(長尾)家の屋敷から移されたものである。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和六年奉納の岡崎型狛犬さん一対。中々きかん気な顔立ちですが、胸の下に掛けられた布が大きなお財布のようで、それが妙にマッチしてみえます(笑)

本殿覆い屋の横より神域を守護されるのは、大正九年奉納の狛犬さん一対。岡崎型が続いた後なので、ぽっちゃりとしたお獅子顔の狛犬さんに、御亭主殿思わずガッツポーズ(笑)

御本殿覆い屋の足元に置かれていた「恵比須大国神像」。仔細は不明。

拝殿屋根の留め蓋で、今日も勢いよく飛び跳ねる飾り瓦の獅子一対。

境内社天満宮の留め蓋瓦の飾り獅子。片側からしか写せなかったのですが、この顔立ちは中々のもの。対する鳩さんののんびり顔、まさに絶妙のコンビ(笑)

境内にはいくつかの碑が建立されていましたが、参拝を終えた時点ですっかり失念。気が付いたのは帰宅して画像を整理した時で、まさに時遅し(-"-) きちんとチェックしたつもりでも、ついつい、こういう凡ミスをやってしまいます(^^;)

参拝日:2011年4月24日

 

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竹之郷(たけのごう)神社 in 愛知県飛島村

2016年11月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県飛島村竹之郷に鎮座される「竹之郷神社」、御祭神名は不明ですがいわゆる『産土神』ではないかと想像します。鳥居の両脇には社号標と「お産の守護神」碑が建立されています。

「文化7年(1810)、海東郡砂子村の社人:栗田築後の家から移したと伝える。安政3年(1856)に社地を高台に移すようにお告げがあった為、現在地に還座。4年後の暴風で旧境内は流された為、その予兆と言い伝えられている。特に安産の神様として信仰が厚く、近隣より多くの参拝者が訪れている。」

一の鳥居前左右より神域を守護されるのは薔薇の花柄の前垂れを付けた岡崎型狛犬さん一対。昭和の建立だとは思うのですが、台座に奉納年は見当たりません。

昭和34年(1959)9月に伊勢湾沿岸を襲った伊勢湾台風により拝殿は大きく被害を受けましたが、昭和40年(1965)に再建されました。

拝殿鬼瓦には「神」の文字。これは神が鎮座されているという意味合い?それとも神社そのものを表しているのでしょうか?

拝殿前左右より神域を守護されるのは、参道の狛犬さんよりも少し強面の岡崎型狛犬さん一対。お揃いの前垂れに隠れていますが、吽形さんの前足に仔狛がしがみ付いています。

本殿覆い屋の左右より神域を守護されるのは、更に威嚇的な岡崎型狛犬さん一対。流石は愛知県(笑)狛犬さんは徹底的に岡崎型で占められています。

本殿の留め蓋飾り瓦の獅子。反対側は撮影できませんでしたが、平べったいユニークな顔立ちです。

参道に並ぶ奉納鳥居。

参拝日:2011年4月24日

 

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ご当地マンホール in 愛知県飛鳥村

2016年11月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

海部郡飛島村(とびしまむら)は愛知県の西南部、海部郡の南東端に位置し、東は日光川の中央を境とし、蟹江町・名古屋市港区に、西は筏川の中央を境とし、北は弥富市に隣接し、南は伊勢湾の最北部に面し、県内で2つしかない村の一つです。村域のほとんどが開墾された土地で、1693年に大宝新田、1801年に飛島新田、1879年に政成新田が開拓され今日に至っています。「村の木:桜」「村の花:菊」を制定。

飛島村大宝二丁目にある「大宝(おおだから)六角れんが蔵」。貴族院議員であった大宝家10代当主:大宝陣が、明治41年(1908)頃に自身が経営する大宝農林部の書類倉庫として建てたもので、1994年に飛島村の有形文化財に指定されました。

いずれの方向から見ても建屋の角が見える六角柱形状(クロイスターヴォルト様式)で、イギリス積みで組み上げられた煉瓦壁の上に煉瓦造りのドームを載せ、その上に日本式の瓦葺き屋根を施工しています。

キャッチフレーズは「小さくてもキラリと光る村 とびしま」

1889年(明治22年)、町村制の施行により 海西郡飛島村が発足。

1906年、海西郡宝地村大宝、八島、重宝地区を編入。

1913年、 海西郡が海部郡と改称され、海部郡飛島村に改称。

1971年、名古屋港西部臨海地帯の西2区・4区を編入。

マンホールは村章のある規格蓋のみ。ASD仕様(スリップ防止)のマンホール。

村章の下に「農水」の文字。飛島土地改良区管理の農業用下水管マンホール蓋。

昭和55年(1980)3月25日制定の村章は「ひらがなの「と」の字を図案化したもので、上部のV字形に開いているところは、未来への限りない村の発展を、下部が丸くなっているところは、この村がいつまでも平和で、人々が円満に暮らせるようにとの願いをシンボライズしたものです。」公式HPより

自治体章の無い「農水」「空気弁」

同じく「農水」「制水弁」

海部南部(海部南部水道企業団)の水道消火栓。給水区域は「愛西市旧佐屋町と旧立田村・弥富市・飛島村・蟹江町の一部。」

上部に海部南部水道企業団章のある仕切弁。

中央に「海」の文字、おそらく海部南部水道企業団の空気弁。

「真空下水点検口」。管路内を真空にし大気圧との差圧を利用して汚水を収集するシステムの為の点検用ハンドホール。

飛島村役場内に展示されていた「五万年前の古代杉・愛知万博 飛島村の日」と記されています。

撮影日:2011年4月24日&2017年3月27日

 
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ご当地マンホール in 愛知県豊明市

2016年11月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

豊明市(とよあけし)は愛知県の中部、尾張地方の南東端に位置する市です。名古屋市、大府市、刈谷市、愛知郡東郷町に隣接。市域の栄町南館には桶狭間の戦いの主戦場となった「桶狭間古戦場伝説地」があり、この戦いで織田信長が今川義元の大軍を破ったことにちなみ、「大金星のまち とよあけ」と称して各種観光PRが行なわれています。「市の木:ケヤキ」「市の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「みんなでつなぐ しあわせのまち とよあけ」

明治22年(1889)、 町村制の施行により愛知郡豊明村・沓掛村が成立。

1906年、沓掛村と新設合併、改めて豊明村が発足。

1957年、豊明村が町制を施行、愛知郡豊明町となる。

1972年、愛知郡豊明町が市制を施行、豊明市が発足。

マンホールには、槍を持ち騎馬で戦う武将たちの桶狭間の戦いが描かれています。

もう一種には市章を中心に「市の花:ヒマワリ」と「市の木:ケヤキ」がデザインされています。

昭和41年10月1日制定の市章は「豊明の「トヨ」の文字を図案化して両翼に輪舞する人型をとって市民の協力と飛躍を表わしたものです。」公式HPより

防火水槽

市制施行前の「豊明町」時代の消火栓。町章があればもっと良かったのですが贅沢は言えません。

愛知中部水道企業団「愛中水」の「空気弁」と「泥吐弁」。供給エリアは、長久手市・日進市・みよし市・豊明市・東郷町。

「空気弁」と「止水栓」。〇の中に水の文字は全国統一の規格ものと思われます。

公共測量基準点

豊明市PR武将『のぶながくん』と『よしもとくん』。楽しいことが大好きで、面白い事がないかといつも探している。咄嗟の閃きで、いざという時に頼りになる男の子『のぶながくん』。ゆったりまったりしているように見えるけど、 実は天下を取るために日々鍛えている『よしもとくん』。 大好きな豊明を盛り上げるため、この桶狭間の地から二人一緒にどこへでも奔走します!

撮影日:2011年9月23日&2018年3月21日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(累計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「豊明市」のマンホールカードは、「豊明市役所 下水道課」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「桶狭間の戦いの一場面」がデザインされています。

「「桶狭間古戦場を」イメージし、市の下水道元年(昭和63年)に制作されたマンホール蓋です。 「桶狭間の戦い」は、織田信長が数的不利をはねのけ、今川義元を打ち破った一戦として知られています。 まさに日本史上まれにみる大金星であり、その舞台となったまちが、ここ豊明です。 市内には、国指定史跡の「桶狭間古戦場伝説地」をはじめ、信長と義元にゆかりのある史跡が数多く遺されています。 それらをめぐることによって、天下人へ駆け上がった信長の勝負運にあやかることができるかもしれません。 なお、本カードに使われている蓋は、市の玄関口である前後駅前に設置されています。」

訪問日:2018年3月21日

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八百富(やおとみ)社 in 愛知県幸田町坂崎

2016年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

幸田町坂崎御屋敷に鎮座される「八百富(やおとみ)社」。御祭神は『事代主命・菅原道真・素戔嗚命・応神天皇』

神社入口の社号票の手前に「陣屋跡石垣」の案内が、かなり控えめに立てられています。

社伝に「天神山に鎮座のところ、慶長19年(1614)大久保彦左ェ門忠教の屋敷の守護神としてこの地に遷し、以来、明治維新まで大久保家で祭祀をつづけた。大正2年に天神山の天満社、津山の津島社を合祀。大正7年に天神山の市見社・八幡社を本社に合祀。昭和10年、元辨天より現在地(大久保氏陣屋)に遷座。」

手水舎横の「大久保陣屋跡」案内

拝殿の奥、一段高く玉垣に護られて鎮まる御本殿

御本殿近くより神域を守護されるのは、おそらく常滑焼であろうと思われる狛犬さん一対。諦めずに御本殿まで回った甲斐があったというもの。ねぇ、本当に良いお顔をされているでしょう。吽形さんなんて、心なしか映画やテレビで見る「大久保彦左衛門」に似ているような気も・・(^^;)

と思ったのですが、前から見るお顔と、真横から見るお顔のギャップにちょっとタジタジ(笑)

境内の一画にあった「平岩の射割石」

説明には「この平らな大石(片岩)は幸田町大字久保田字平岩に、昔から存在したと言われる「平岩の射割石」の一部である。坂崎に生まれ、若い時から家康に仕えた勇将で、後に尾張の犬山藩主(十二万三千石)平岩親吉の先祖氏重が松平信光に従い坂崎の城主となった時、この名石に因んで「平岩」を名乗ったといわれる。」射割石の名は用水路の橋材にするため割って利用されてきた事からで、聞いてしまえば、なぁ~んだと拍子抜け(^^;)

神社参道の近くに立つ真宗大谷派寺院「正源寺」。『阿弥陀如来』を本尊としますが門前からの参拝のみで、それ以上の情報はありません。

境内の片隅に咲いていた彼岸花、そう言えば明日は秋分の日です。

参拝日:2011年9月22日

 

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ご当地マンホール in 愛知県幸田町

2016年11月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

額田郡幸田町(こうたちょう)は愛知県の中南部に位置し、西三河地方唯一の額田郡を構成する自治体です。町域には 中部工業団地をはじめとした多くの工業団地があり、特に自動車関連産業を中心とした製造業が盛んです。また1本の木から甘柿と渋柿が成る不完全甘柿「筆柿」が有名で、全国の生産量の95%を幸田町が占めています。

キャッチフレーズは「夢のある 心かよう 活力ある町」

明治22年(1889)、町村制の施行により額田郡坂崎村・相見村・深溝村が発足。幡豆郡松坂村・豊国村が発足。

1906年、額田郡坂崎村、相見村、深溝村が合併、額田郡広田村が発足。幡豆郡松坂村、豊国村が合併、幡豆郡豊坂村が発足。

1908年、東海道本線幸田駅に合わせ、広田村を幸田村(こうだむら)に改称。

1952年、幸田村が町制を施行、額田郡幸田町となる。

1954年、幡豆郡豊坂村と合併、額田郡幸田町(こうちょう)となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花:ツバキ」が描かれています。

昭和34年7月14日制定の町章は「幸田町の頭文字「Kota」をイメージしたもので、 町の人々の円満融合と団結を表しています。」公式HPより

幸田町:旅の御意見帳キャラクター『大久保彦左衛門』。実はここ幸田町は三河の戦国武将で、家康・秀忠・家光の三代に仕えた天下の御意見番「大久保彦左衛門」ゆかりの地なのです。

撮影日:2011年9月22日

 

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蒲郡クラシックホテル in 愛知県蒲郡市

2016年11月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

三河湾国定公園内の景勝地「竹島」の対岸、海沿いの標高30mほどの高台に建てられた「蒲郡クラシックホテル」。公式ホームページに「明治45年(1912 ) 名古屋の織物商 瀧信四郎氏が 蒲郡クラシックホテルの前身「料理旅館 常磐館」を創業。昭和9年(1934 )、元鉄道省の建築家 久野節氏と村瀬国之助技師の設計、大林組の施工により蒲郡ホテル完成。鉄道省国際観光局より 第1回 国際観光ホテルに指定。」

その後、幾多の歴史の波にもまれながらも、昭和32年には天皇皇后両陛下のご宿泊を賜り、2007年に経済産業省により「近代化産業遺産」に認定。2022年には、ホテル本館・六角堂・料亭竹島・鶯宿亭が、国の登録有形文化財として、また蒲郡市の景観重要建造物 第1号にも指定されました。

風雅な佇まいの六角堂は、常磐館時代の「聚美堂」

文化遺産オンラインに「ホテル本館へのアプローチ脇に位置する元物販所。木造平屋建の6角形平面で、6注造屋根に瑠璃瓦を葺き、頂部には宝珠を掲げる。3箇所に入口を開け、内部は無柱の1室で折上天井とする。現在は4室に区画して活用。和風の国際観光ホテルの玄関口をつくる。」

ホテルの客ではない私たちには何となく敷居が高くて、これ以上近づく根性がありません(^^;) 折角の美しい建物なのに遠目から画像に収めるのが精いっぱいという根っからの「ど庶民」なのです(笑)

1997年に常磐館跡地に建てられた「海辺の文学記念館」。館内には、常磐館で実際に使われていた照明器具や100年前から使われている置時計などが飾られている他、「川端康成」や、蒲郡市出身の直木賞受賞作家 「宮城谷昌光」、芥川賞受賞作家「平野啓一郎」の作品なども展示されています。

敷地内に建立されていた文学碑。【 漕ぎ出て 遠き心や 虫の声】(臼田亞浪)【 流灯の 沖一線に よき東北風 】(市川丁子)【 千年の 楠の大瘤 ひこばゆる】(神尾朴水)。碑には三河会の師弟3名の句が刻まれています。

竹島橋から見る「蒲郡クラシックホテル」。かってその高台には鵜殿氏が築いた府相城があったそうですが、今はその片鱗も残されていません。

ラストの画像は、マンホール探しで入り込んだ路地の一画で見かけたレンガ造りの建物。頑丈な鉄の扉から想像するに倉庫の類だろうとは思うも、実際に収められているものが何なのか不明。

訪問日:2018年3月19日

 

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八百富(やおとみ)神社 in 愛知県蒲郡市竹島町

2016年11月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

蒲郡市竹島町に鎮座される「八百富(やおとみ)神社」。御祭神は『竹島弁財天(市杵島姫命)』

由緒「安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建と伝えられる。これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天を勧請せられたことから始まったとされる。また、元文元年(1736)の仲夏書には「江州竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えた」との記述があり、その事から「竹島」と名付けられたとも伝えられる。公式HPより

御本殿

境内社「八大龍神社」、御祭神は海の神である『豊玉彦命』

「藤原俊成卿の夢で「この海底で年月が経過すること数百年に及んでいる。この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」との託宣があり、その通りに海底に綱を入れさせたところ、龍神の御尊体が現れたという言い伝えがあります。」公式HPより

龍神の松

八百富神社の「記念杉」。かって雷がこの杉に落ちて八百富神社の御本殿を守ってくれたと伝えられており、上部は伐採されましたが、今も濃い緑の影を境内に落としています。

境内社「千歳神社」、御祭神は『藤原俊成(しゅんぜい)卿』。久安元年から同五年(1145~1149)、三河守の任にあたられた際、風光明媚な竹島に、江州竹生島より弁財天を勧請されたことが八百富神社の起こりになります。

千歳神社鳥居の左手に建立された『佐佐木 信綱』歌碑

【 歌人の 国の司のみたまやとり  千歳さかゆる これの竹島 】

御神馬:腹掛けの御神紋は「五七桐」

注連縄の結界で守られた「蛇穴(じゃあな)」 には、弁財天の守り神である「白蛇」が棲んでいるとか。

四体の力神は、その容から手水鉢を支えていたのではないかと想像されますが、特に何の説明もない為、実際の所は不明。

鳥居近く、向かって左手に建立された「八百富神社」社号標。参道石段の横は竹島遊歩道になっており、裏手の龍神岬まで行く事が出来ます。

鳥居の右手方向には、竹島八景のひとつ「常磐の磯」

参道石段の左手には、竹島八景のひとつ「甑嶋(こしきじま)」が案内板の柱の間にチラリと・・・きちんと画像に残すのを忘れたようです(^^;)。

竹島対岸に設けられた「篠津遥拝所」

宝永2年(1705)旱魃による大飢饉の際、領主:松平義尭が雨乞いの祈願を行い、念願成就した事で和歌を奉納。元文3年(1783)には石鳥居を寄進し、その後、松平守惇により遥拝所の造営が行なわれました。屋根と柱のみの構成で壁が無く、正面に竹島を望む事が出来ます。

篠津遥拝所西側に建立された句碑:二基

【  ふくらめる 芽をいたわりて みくじ結う  】牛歩

【  初凪の 海をへだてて 伊勢の国  】半風子

竹島橋のたもとに建立された『藤原俊成卿』の像。台座の左には百人一首で有名な【 世の中よ みちこそなけれ 思ひ入(い)る  山のおくにも 鹿ぞ鳴くなる 】、他一首が刻まれています。

篠津遥拝所近くに建立された「献額之碑」

「竹島の総面積は約5800坪、島の周囲620m、島の高さ24m、陸地からの橋の長さは387m。この島には昭和7年までは橋がなく、船で行き来をしていました。竹島には草木が密生し、ことに常緑樹が多く、対岸のクロマツ林とは全く景観を異にします。この植物群を保護する目的で、昭和5年8月25日、国の天然記念物に指定されました。」公式HPより

参拝日:2018年3月19日

 

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形原(かたはら)神社 in 愛知県蒲郡市形原町

2016年11月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

蒲郡市形原町八ヶ峰、大沢山の東麓に鎮座される「形原(かたはら)神社」。三河国宝飯郡六座ノ内で延喜式内社。御祭神は『埴安大神(はにやすのおおかみ)・朝廷別命(みかどわけのみこと)・品陀別命 ・豊受姫命 ・天児屋根命』

社伝によると「欽明天皇(630~641)の時、東夷鎮定の大将藤原千方公がこの地に駐屯し、将校以下士卒をして荒地を開拓し山麓に埴安神を祀る。千方公、都に帰った後も例年祭料二石を奉献する。皇極天皇の時、形原神社の社号を賜り村落を雲見宮内の庄と称した。」公式HPより

『朝廷別命』は今回の参拝で初めて遭遇した御祭神。第9代開化天皇の皇子である『日子坐王(ひこいますのきみ)』の子で、四道将軍として丹波に派遣さ れた『丹波道主命(たにはみちぬしの みこと)』の父。「古事記」にも「三川の穗の別(わけ)の祖」として登場します。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和8年奉納の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬の上に手を重ねた姿勢。頭に置かれた手が重いのか、仔狛さん・・かなりのブーたれ顔(^^;)

境内末社「白山社」、御祭神は『天照皇大神・白山姫命』。丁度この神社をお世話される方がおいでになり、色々な話の流れから、社殿内に入らせていただき、直接参拝させていただく事が出来ました。

白山社とありますが、実際には「護国社」、もしくは「招魂社」とお呼びする方が正しい気がします。

拝殿の壁一面・・許可を頂いて残させて頂いたお写真はいずれも若く凛々しく・・理屈も何も無く、私たちはただ頭を垂れて現状の幸せを感謝し、殉国の御霊の安らかをただ偏に願います。

境内の一画に建立されていた忠魂碑。この高台からだと青く美しい三河の海がきっと良く見えますね。

神社の西側に建立されていた「わすれじの碑」。昭和20年1月13日 に発生した三河地震 から33年目を迎え、「犠牲者の霊を慰め、且つまた、後の世の戒めともしたい」との願いをこめて昭和52年の同日に建立されました。

社殿左手、「昭和天皇」が昭和32年に蒲郡に行幸された折にお読みになられた御製碑。

 【 引き潮の 三河の海にあさりとる あまの小船の 見ゆる朝かな 】

参拝日:2011年9月22日

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御祭神一口メモ

『埴安大神』、田畠の土の神、陶磁器の祖神とされる。男女神に分けて『埴安彦神』『埴安姫神』と称される事もある。

『朝廷別命』、穂国(三河国東部東三河)を支配した国造の祖とされる。

 

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ご当地マンホール in 愛知県蒲郡市

2016年11月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

蒲郡市(がまごおりし)は愛知県の東三河地方、渥美半島と知多半島に囲まれ、三河湾に面する南部の沿岸一帯が三河湾国定公園に指定された観光都市です。地名は1878年に蒲形村と西之郡村が合併したさい、「蒲」と「郡」を一字ずつ取って命名されました。近代から名古屋市近郊の保養都市として開発された歴史を持ち、西浦温泉、三谷温泉、形原温泉、蒲郡温泉の4つの温泉街や、温室みかんで知られる蒲郡みかんの産地としても知られています。

1889年(明治22年)、 町村制の施行により宝飯郡蒲郡村・豊岡村・静里村・神之郷村・三谷村・塩津村・大塚村・形原村が発足。

1891年、蒲郡村が町制を施行し、宝飯郡蒲郡町となる。

1894年、 三谷村が町制を施行し、宝飯郡三谷町となる。

1906年、宝飯郡豊岡村、静里村、神之郷村を編入。

1924年、形原村が町制を施行し、宝飯郡形原町となる。

1944年、西浦村が町制を施行し、宝飯郡西浦町となる。

1954年、宝飯郡蒲郡町、三谷町、塩津村が合併し、愛知県15番目の市・蒲郡市となる。

1955、宝飯郡大塚村:大字大塚、大字相楽を分村合併により編入。

1962年、宝飯郡形原町を編入。

1963年、宝飯郡西浦町を編入、現在に至ります。

マンホールには、「三河湾」を背景に「カモメ」、島全体が天然記念物である「竹島」と「竹島橋」が美しくデザインされています。

愛知県下水道科学館:展示マンホール

「竹島」と「竹島橋」

もう一種のマンホールには上下に「マリンメディアポリス」「海も川も美しく」の文字と、「三河湾」を背景に「カモメ」「市章マーク付きのヨット」「市の花:ツツジ」がデザインされています。

1955年(昭和30年) 7月20日制定の市章は「徳川の親系、蒲形松平家の家紋である「丸に一の字」を図案化したものである。」公式HPより

親子タイプ仕切弁

消火栓

空気弁

制水弁

竹島園地に出没した謎のキャラクター。謎なので名前は不明(笑)

撮影日:2011年9月22日&2018年3月19日

 

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