車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

寺町諏訪(てらまちすわ)神社 in 石川県金沢市寺町

2017年08月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市寺町に鎮座される「寺町諏訪(てらまちすわ)神社」。御祭神は『建御名方命、誉田別命、応神天皇』

由緒「当神社の発祥は、室町時代の初期、正長2年に当時の豪族、富樫氏の周遊の地、泉野領桜畑に同氏の起請によって創建された『八幡宮』に起源する。加賀藩主、前田利常公の時代に信州・諏訪の神(鷹の守護神)を鷹匠頭、野村宗順(食禄二千石・寛永元年没)、大平右京らが勧請併祀して、鷹の祈祷を修めたと貞享2年の由来書に載せられている。御社名は、明治初年ごろまで通称『諏訪八幡宮』と一般に呼ばれていた。」石川県神社庁HPより

参道途中より神域を守護されるのは明治二十二年(1889)四月奉納の加賀逆立ち狛犬の吽形さん。立派な角を持ち、足裏の毛並みまで丁寧に彫り込まれた狛犬さんを見るのは理屈抜きで嬉しい。

構えの姿勢の阿形さん、右前足に大きく崩れが見えるのは、何かが剥落したのか、それともその部分に大きな力が加わった故なのか・・・

この日は境内に軽トラックが入り、人の出入りが慌ただしかった為、境内のあれこれをゆっくり見て回る事が出来ませんでした。もしかしてお祭りの準備かもと思いながらも、邪魔をしてしまっては・・とつい気後れして、何も聞けなかった事が心残りです。

参拝日:2011年10月13日

 

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ぶらり金沢~街歩き in 石川県金沢市

2017年08月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

加賀百万石のお膝元だけあって、市内にはそこかしこに「おおっ!!」と思わせる建物や史跡がたくさん残されています。街歩きのラストは金沢市長町の「金沢市老舗記念館」。と・・他、エトセトラ(笑)

「老舗記念館は、藩政時代からの薬種商であった「中屋薬舗」の建物を昭和62年、金沢市が中屋家から寄付を受け、伝統的町民文化の展示施設として1989年4月1日に開館。中屋家は、天正7年(1579)に彦兵衛が薬種業をはじめ、藩政初期から南町に店舗を構えた代表的な老舗で、特に五代藩主綱紀から御殿薬の処方を拝領し、以後代々町年寄り等をつとめた格式の高い家柄です。移築前の建物は、明治11年(1878)明治天皇行幸の際に御在所とともに建築され、大正8年(1919)改築されました。」公式HPより

座敷から見るお庭

藩政時代の商家の面影を残す「店の間」では中屋薬舗の店の様子を再現。薬にまつわる面白珍しい資料などが展示されています。

不思議な形をした道具は、江戸時代に薬油や酒類などを蒸留するのに用いた「蘭引(らんびき)」「羅牟比岐(らむびき)」とも表記されます。

中屋家の先祖は山城(現・京都府)出身とされ、天文年間(1532~1555)に戸室山に移り住み、その後金沢御堂の町地で薬種商を始めたとあります。自分たちの地元出身と聞いて、不思議な親近感が湧くのはきっとよくある事 (〃∇〃)

二階部分は展示コーナーになっており、金沢ならではの様々な伝統工芸を見る事が出来ます。

この満開の花・・実は全部食べられます。「工芸菓子」と呼ばれるもので、枝先に慎ましく匂う花、百花の趣を見せつける牡丹の花びらの繊細さ。お菓子の花神輿に魅入り、しばし時を忘れる。

伝統工芸と言えば、江戸時代前期に誕生した日本を代表する色絵陶磁器の「九谷焼」。「金沢老舗百年展・展示コーナー」には、仲良く並ぶ九谷焼「ビリケンさん」。関西人には馴染みが深いアメリカ由来の謎の神様ですが、何故ここにビリケンさんが??(^^;) 

ラストはお嫁入に合わせて納められる結納の数々・・・美しく飾られた水引は特に「加賀水引と呼ばれ、石川県金沢市の希少伝統工芸の一つ とされています。

先様へお納めする御結納を結ぶお飾りとして創案された立体的な水引細工。大倫の真っ赤な牡丹には、納める側、受ける側それぞれの思いが込められているようで、はるか昔を思い出し胸が熱くなります。

花嫁暖簾が掛けられた座敷一杯に広げられた豪華な結納の数々。大正4年
(1915)頃、金沢市の『津田左右吉』が、立体的な和紙の包み方(折型)と、
鶴亀や松竹梅などの立体的な水引細工を考案し、結納や金封に飾るようになったのがはじめとか。現在は四代目と五代目によって、加賀水引が継承されているそうです。

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老舗記念館を出て犀川沿いを歩いていると、思いもかけない場所で思いもかけない素敵な建物に出会います。その建物が何と言う名前の建物なのか、それは単に普通の住いなのかそれすらもあやふや。

金沢市片町に門を構える「養智院」には、『弘法大師』作の「加賀延命地蔵菩薩」立像が納められているとか・・

寺暦では、天長元年(824)淳和天皇の勅命により、「大聖歓喜天」を勧請して創建されたという由緒ある寺院。お堂の前には鳥居が設けられています。

お堂の一画に見つけた「二股大根」の彫刻。これは夫婦和合を現していると言われています。じっくりと見て・・・思わず納得してしまったJさんと私。ちょっと大人の話です (〃∇〃)

金沢市清川町にある「金沢ステンドグラス美術館」。美しいステンドグラスのパンフレットに惹かれて入館したけれど、スタッフの対応のばらつきがいい加減過ぎて、あまり良い思い出にはなりませんでした。

訪問日:2009年8月14日

 

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浅野川(あさのがわ)神社 in 石川県金沢市並木町

2017年08月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市並木町、浅野川沿いに続く「鏡花の道」に面して鎮座される「浅野川(あさのがわ)神社」。御祭神は『宇迦之御魂神、大山咋神、崇徳天皇、菅原道真、天照皇大神、豊受大神』

由緒「創立年代は明記を欠くが、富樫時代とも伝えられる。俗称として浅野川稲荷神社と云われる。」石川県神社庁HPより

社殿の前左右より神域を守護されるのは『石工・治右ヱ門』による、嘉永元年(1848)4月吉日建立の狛犬さん一対。阿は口中から僅かに舌を覗かせ、足元に小さな仔狛を縋らせています。

痛々しいほど欠損が進んだ仔狛さん。それでもキリリとした表情は充分に迫力が有りますよ。

そんな阿形さんを見守るような眼差しを向ける吽形さん。前からではさほどに気が付きませんが、後ろから見ると吽形さんの頭にはとっても大きな角が・・まるで烏帽子でも身に着けているような風情。

「宝生紫雪(ほうしょうしせつ)先生終焉之地」

「第15代宝生大夫弥五郎友于(ともゆき)。55歳で家督を子:石之助に譲り、加賀藩の御手役者波吉宮門の世話で金沢に隠棲し紫雪と号し、当時、天道寺といわれた浅野川稲荷神社に居住し、ここで亡くなりました。」

参拝日:2011年10月13日

 

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浅野(あさの)神社 in 石川県金沢市浅野本町

2017年08月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市浅野本町に鎮座される「浅野(あさの)神社」。御祭神は『大山咋神(おおやまくいのかみ)、大己貴神(おほあなむちのかみ)』。「金沢の山王さん」と親しまれ、厄除け開運のお宮として知られています。

由緒「滋賀県鎮座日吉大社を勧請元社とし、長徳3年(997)平安時代に創建『淺野山王社』と称す。一向一揆のため社殿・文書はことごとく灰となるが、その後 再興。春4月の祭礼は神輿が渡御し、秋9月には流鏑馬を催し、その盛況ぶりは遠近に聞こえたりという。藩政時代の馬場は即ちその遺跡にして、浅野川の辺りに門を構えこの川を御手洗として当時は社地2万歩に及んだ。神遣いは『猿』敬意を込め『まさるさま』と言う。 神紋は『麻の葉』拝殿内の額絵は『ひらがな盛衰記』を描いたもので徳田秋声著「穴」にて、淺野神社拝殿の額絵のことが書かれている。」公式HPより

境内の内より神域を守護されるのは、大正三年九月建立・『石工:福嶋伊三次』の加賀逆立ち狛犬:吽形さん。

あまり写真に良い時間帯とは言えませんが、珍しく後姿がしっかりと写せたので・・足の裏の毛並みに思わず触れてみたくなりますが自粛(笑)

そして・・・逆立ちこそしていませんが、笏谷石の質感と美しさを最大限に生かした仔狛連れの阿形さん。

中々大人びた顔立ちの仔狛さんですが、しっかりと阿形さんの足の間で守られているお子様なのです(*^^*)

摂社「淺野稲荷社」。御祭神は『倉稲魂神(うがたまのかみ)』。加賀藩の家来であった弥三右衛門が、狩の途中に助けて逃がした懐妊中の白狐。そこから起こる様々な出来事を経て、この地に霊狐となって祀られる事となった白狐さん。別名「弥三右衛門稲荷」とも称します。

摂社「若宮白山社」。御祭神は『菊理媛神(くくりひめのかみ)』

「室生犀星句碑」【竹むらや やゝにしぐるる 軒ひさし】 。句碑の裏面には犀星からの手紙の一文「厚見君の家を二度ばかり訪ねたが、二度とも夜で秋であった」。碑は犀星とも交流のあった名造園師『植宗』の作で「亀作り」と言う目出度い作りとなっています。

「北川洗耳句碑」。【水音に 火伏せ太鼓も ぬるみてん】第四高等学校に勤務し、淺野神社横の「小橋用水」に沿う水車町に居住していました。

手水舎の扁額には「愛国心」

参拝日:2011年10月13日

 

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宇多須(うたす)神社 in 石川県金沢市東山

2017年08月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市東山に鎮座される「宇多須(うたす)神社」。御祭神は『高皇産靈神(たかみむすびのかみ)、武甕槌男命(たけみかづちのみこと)、大國主神(おおくにぬしのおおかみ)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、八重言代主命(やえことしろぬしのみこと)、少彦名神(すくなひこのかみ)、宇迦之御魂命(うかのみたまのかみ)、豐受大神(とようけのおおかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)』

「金沢五社」の一社。(金沢市に所在する神社の内、江戸時代から神官が守護する「宇多須神社」「椿原天満宮」「小坂神社」「神明宮」「安江八幡宮」の吉田神道の五つの神社の総称)

由緒「本社は通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(今から1250年以上)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治に入り現在の尾山神社として創建され遷座された。明治2年高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、33年10月2日現在の宇多須神社と改め、同35年県社に昇格された。」石川県神社庁HPより

拝殿庇内より神域を守護されるのは、玉眼を持つ「笏谷石(しゃくだにいし)」の狛犬さん一対。

おそらくは神殿の奥深くで神域を守護されていたと思われますが、新たに奉納された一対にその座を譲ったものと思われます。

距離が遠く画像が鮮明ではありませんが、神殿内を守護される神殿狛犬一対。

一の鳥居近く、高い台座の上から神域を守護されるのは、明治二十七年五月建立。『石工:福嶋伊之助』による加賀逆立ち狛犬の阿形さん。

と、同じく、仔狛を足元に大切に抱く吽形さん。

『福嶋伊之助氏』が生み出す仔狛さん、何とも表情が豊かでしかも生意気そうな顔が気に入っています。さて、モデルは何だったんでしょう?

「ひがし茶屋街」の鎮守として建てられた「末社:東山菅原神社」。御祭神は『菅原道真公』

由緒「当社は、東茶屋街の鎮守とされており、文政3年(1820)、犀川、浅野川の領地にはじめて妓桜を設置されることを公許された折に創建され、芸妓たちの鎮守として崇められたという。その後、現在地に遷座したという。」現地駒札より

拝殿前左右より神域を守護されるのは大正15年(1926)奉納の狛犬さん一対。ずっとこの地にあって茶屋街の女性たちに撫で続けられた所為でしょうか? すでに阿吽ともに表情はおぼろになり始めています。

先の狛犬さんよりもさらに鳥居近くにあって神域を守護されるのは、女性が頭を撫でると幸せになれるという狛犬さん一対。欠けてしまったお顔が何とも切なく、また愛おしくさえあります。

参拝日:2009年8月14日&2011年10月13日

(御朱印のみ:2015年5月25日)

 

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重伝建保存地区(主計町&東茶屋街) in 石川県金沢市

2017年08月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

浅野川に美しく影を落とす「浅野川大橋」。3径間連続固定アーチと呼ばれる独特の構造を持つこの橋が架けられたのは大正11年(1922)12月。架橋当時から昭和41年(1966)までは、北陸鉄道金沢市内線が浅野川大橋上を通っていたそうで、犀川大橋と同様に電車の走行にも耐えられる構造となっています。

文禄3年(1594)に加賀藩初代藩主前田利家が北国街道に架けたのが始まりとされる浅野川橋。橋が架かる浅野川を挟んで「ひがし茶屋街」「主計町(かずえまち)茶屋街」があり、「西の茶屋街」とともに、金沢三茶屋街として国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

夕暮れ時になると、芸妓が奏でる三味線と太鼓の音が聞こえてくるという茶屋街の細い路地。格子戸から漏れる光に浮かぶ街並みは、昔映画で見ただけの一場面を思い起こさせて魅惑的ですが、庶民の私にはどこまでいっても想像の及ばぬ世界(^^;)

地元の文豪『泉鏡花』の小説、「化鳥」「照葉狂言」の舞台となった「中の橋」を渡り、これから「ひがし茶屋街」へと向かいます。

中の橋から見る「浅野川大橋」。こうして離れて見ると尚更に美しいこの橋は、歴史的建造物として犀川大橋と同様に2000年12月20日に登録有形文化財に登録されました。

浅野川越しに見る主計町茶屋街の佇まい。しばし現実を忘れてしまいそうな・・不思議な光景に思わず後戻りしたくなる誘惑を振り切って(笑)

金沢市橋場町、浅野川大橋の南側のたもとに建つのは、明治中頃まで存在した木造火の見櫓の復元。右は浅野川大橋の北側のたもとに建つ、大正13年に建設された鉄骨造りの火の見櫓で国登録有形文化財。後ろのビルと一体化して、自分でも画像を探すのに苦労しました(笑)

金沢市東山ひがし、かって「東の郭」と呼ばれていた「東茶屋街」は江戸時代の遊郭に由来する町。浅野川沿いの東山周辺には今も古い町並みが残り、主計町とはまた違った独特の風情が観光客の人気を集めています。

紅殻格子の町家が建ち並ぶ路地を歩いていると、かってそこに繰り広げられたであろう筈の多くの人生が胸の中で勝手に物語を紡ぎ始めていきます。泣いて笑って・・時には恋もして、そこに生きた女性たち・・その数だけの物語。

どこかの建物の入り口で見かけた色鮮やかな暖簾は「花嫁のれん」。花嫁は婚家先の仏間に掛けられたこの暖簾をくぐって婚家の人として生きていきます。廓としての性格を持ったこの場所には、何とも皮肉に思える艶やかさ。

しっとりと流れる時間・・すでに時計の針は六時を回っているけれども八月の季節は、まだ十二分に観光客の目を楽しませる景色を展開してくれます。いや・・もしかしてそう思っているのは私たちの勝手な思い込みかもしれません。

「東茶屋町」は茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しているとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されています。」Wikipediaより

訪問日:2009年8月14日

 

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金沢文芸館・聖霊修道院聖堂・犀川大橋 in 石川県金沢市

2017年08月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市尾張町、東茶屋街・主計町にほど近い橋場町交差点に建つ「金沢文芸館」。元々は昭和4年(1929)に「石川銀行橋場支店」として建てられたものです。

公式HPによれば「風変わりなモダニズム建築。ひと目見ただけでお洒落~!! と声がもれてしまうほど絵になる外観は当時の雰囲気をそのまま生かしています。簡略化された擬ルネサンス様式で、ファサード(正面)をフリーズとコニースと呼ばれる水平の突起が縦にほぼ1対2の割合で上下二層に分けています。1~2Fの5個のアーチ型の窓、3Fの角窓も特徴的です。」

鉄筋コンクリート造4階建てですが、開口部の配置や胴蛇腹の対比から3階建てのようにも見え、また平面は、敷地の形状に合わせながら角部分に曲線を採用することで柔らかな印象を与えます。玄関の両脇にイオニア式の付け柱を配したこの建物は、1993年に「金沢市指定保存建造物」に、2004年には「国登録有形文化財」に指定されています。

文芸館の向って右手の石柱は、道路の起点・終点などを表示する「石川県里程元標」。聞きなれない「里程元標」ですが、明治6年(1873)の「太政官達」により、全国主要街道の県庁所在地且つ、交通要所の起終点に建てられた標柱の事。その隣に立つ「ガス灯」は、明治41年に初めて設置されたガス灯を復元したものです。

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金沢市長町にある「聖霊修道院聖堂」。大正末期から昭和初期に日本に滞在したスイス人建築家マックス・ヒンデルの設計による教会堂建築により、昭和6年(1931)に竣工されました。

木造平屋建。外観は高さを低くおさえるために二層に分け、白く塗られた下見板貼りのロマネスク様式を基調としたデザイン。隅柱や窓枠はこげ茶色に塗ってめりはりを付けています。

内部は見学できませんでしたが、黒漆塗りの柱や群青を用いた壁など、金沢の伝統工芸の粋が凝らされており、昭和初期に建てられた貴重な洋風建築として市指定保存建造物とされています。

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金沢市千日町と片町一丁目を結ぶ犀川中流に大正13年(1924)に架かけられたワーレントラス形式の鉄骨トラス橋「犀川大橋」。車道上部の梁には、当時石川県知事であった長谷川久一が記した橋名板が掛けられています。

この犀川大橋が完成したのは大正13年(1924)、総工費は当時のお金で26万7000円と言います。昭和32年(1957)には石川県による大修理が行われ、昭和51年(1976)に老朽橋となった事で、翌年補修工事が行われています。金沢市中心部と南部を結ぶこの橋は、2000年12月4日、国の登録有形文化財に登録されました。

訪問日:2011年10月13日

 

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旧金澤第二中学校本館 in 石川県金沢市飛梅町

2017年08月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市飛梅町にある「金沢くらしの博物館」。見た瞬間に学校の校舎みたいと思ったのも道理。ここは明治32年(1899)に石川県工師『山口孝吉氏』の設計によって建てられた「石川県立第二中学校」なのです。

国重要文化財指定の校舎を利用した館内では町家の座敷が再現され、金沢の風物詩や料理、昔の生活用品や家電、伝統工芸・産業の製作用具などが紹介されています。

木造2階建て、寄棟、桟瓦葺き、基礎立上り部煉瓦積み、外壁下見板張り、縦長の上げ下げ窓に車寄せが設けられた玄関部分。

左右両翼の尖塔と塔に見立てた中央の屋根を加えて「三尖塔校舎」の愛称で今も市民に親しまれている「旧石川県立第二中学校」。この立ち位置からではどれも部分的な画像なのが残念。。

でもお気に入りの車寄せに入って校舎を見上げる事も出来たし、上手に写真が写せないのは、立ち位置の所為ばかりでも無いとわかっているし(^^;)これはこれで、十分に満足。

校庭の芝生に置かれていた石灯籠、まるで唐笠お化けみたいな形ですが特別な名称があるのかな? 右の一基には「石川県 金澤第二中学校 発祥之地」の刻。

訪問日:2011年10月13日

 

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加賀百万石城下・ぶらり街歩き in 石川県金沢市

2017年08月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市下石引、辰巳用水沿いに建つ加賀藩家老の八家、通称「加賀八家」のひとつである「奥村家屋敷跡の土塀」。残念ながら残されたのは土塀だけですが、その総延長は数百mに及び、加賀藩百万石の家老屋敷の繁栄が感じ取れます。

まちなかの用水を潤す水源として、金沢の景観を織りなす歴史遺産として、今も重要な役割を担う「史跡:辰巳用水」

金沢市長町、都会の喧騒に溢れた表通りから一歩裏通りに入ると、土色の空間「長町武家屋敷跡」。加賀藩の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねた土塀と石畳の路地は、伝統環境保存区域・および景観地区に指定されており、今も趣のある景観が維持されています。

敷地周辺に土塀を巡らした「大屋家住宅」は、藩政時代の直臣・平士級の武家屋敷の遺構。間口7尺規模の棟門で土塀にむけて袖塀を従え、緩やかな起(むく)り付きの桟瓦葺、切妻屋根に特色があります。

正面に高く広い妻面のあるアズマダチの屋根は、元々は板葺き石置き屋根でしたが明治時代に瓦屋根に葺き替え。武家屋敷を構成した主な要素を全て残している貴重な遺構として、2003年に金沢市保存建造物に指定、国登録有形文化財にもなっています。

金沢市長町に残る「旧加賀藩士高田家長屋門」。禄高550石の平士であった高田家の屋敷跡で、間口9間半(約17メートル)、奥行き2間(約3.6メートル)の大きさがあります。門の間口は1間半、向かって右手に武者窓があり、右側3間は仲間(ちゅうげん)部屋、左側5間は馬屋と納屋として使用されていました。

敷地内の入場は無料で、門内には池泉回遊式庭園が広がっており、ゆっくりとした時間を楽しむ事が出来ます。

「足軽資料館」は藩政時代の貴重な「高西家と清水家」の足軽屋敷2棟を移築再現した建物で、加賀藩の足軽の生活に関するを資料が展示されています。今回は門の外から見ただけ(^^;) (塀の奥の屋敷は「高西家」)

藩祖『前田利家』が築いた金沢城の石垣。大小さまざまな岩石で組み上げられた「石垣」は緻密にして堅牢、長く城を支えてきました。

遠目からの景観が続きます。金沢市兼六町、文久3年(1863)に十三代藩主『前田斉泰』が母の隠居所として建てた「成巽閣(せいそんかく)」。高価な「瑠璃」をふんだんに使った「群青の間」・・・隠居所の言葉からは程遠いイメージ(笑)

昭和13年に旧国宝、昭和25年に重要文化財に指定された「成巽閣」。後に内部の仔細を見るに付け、遠目から見ての素通りが悔やまれる・・。

訪問日:2009年8月14日&2011年10月13日

 

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尾山(おやま)神社 in 石川県金沢市尾山町

2017年08月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市尾山町に鎮座される「尾山(おやま)神社」。御祭神は『藩祖:前田利家公・正室松の方』。

由緒「慶長4年(1599)『前田利家』が没すると『前田利長』は、その霊を祀ろうとしたが、外様大名の立場で幕府の許可なく公然と祀るには憚る処があった。そこで守護神としていた越中国射水郡(富山県高岡)の「物部八幡宮」「榊葉神明宮」を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀。廃藩置県後の明治6年、旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築し社号を「尾山神社」とした。1998年に正室「お松の方」を合祀」公式HPより

木々の間からわずかに垣間見る三間社流造の御本殿。本殿に向かって右側面の玉垣は、金沢ではここが最初と言われる珍しいレンガ造りで、剣梅鉢のご紋すかしとなっています。

一の鳥居を潜って石段参道の先より参拝者を迎えてくれるのは、国重要文化財指定の神門。

オランダ人ホルトマンの設計、棟梁『津田吉之助』の施工により、明治8年(1875)11月に完成。洋風建築を模した擬洋風建築の中に中国風も混入させた数少ない例の一つで、一階を木骨煉瓦造石貼付の3連アーチとし、二~三階は、木造漆喰塗り仕上げ。三層目には四面五彩のギヤマンがはめ込まれ、頂上には日本最古の避雷針が設置されています。

煉瓦造り三連アーチ、注連縄の向こうに見える拝殿・・何とも不思議な、それでいて美しい景色。

参道真っ直ぐに入母屋造瓦葺の拝殿。画像はありませんが中央格天井は旧金谷御殿から移築したもので、各間毎に岩絵具による極彩色のうどんげの花が美しく描かれています。

拝殿下、左右より神域を守護されるのは護国タイプのブロンズ製の狛犬さん一対。無駄な肉を全て削ぎ落した体は、厳しく・・けれど美しいものにも見えます。

赤母衣(ほろ)を背に戦に赴く「藩祖前田利家:騎馬像」

「正室:お松の方」

雅楽の楽器を模したとされる県指定名勝の神苑は「旧金谷御殿」からの移築。池にはそれぞれに楽器の名前がついた石橋が架けられています。

池に架かるレンガ積みアーチ橋「図月(とげつ)橋」

左手奥の滝石組は「響音瀑(きょうおんばく)」。聞くところによると水流が音をたてて池泉へ流入するそうですが・・二度参拝して一度も見た事が有りません。

神苑に水を引く為に使われていた「辰巳用水の石管」

拝殿横の並べられているのは「旧藩主前田家よりの拝領石:さし石(力石)。一般に「番持ち石」とも呼ばれ、古くより若衆たちがこの石を担いで力と技を競った。これにちなんでこの石に触ると健康になると言われている」・・健康で居られますように(^▽^)/

登録有形文化財の東神門はもと金沢城二ノ丸唐門。明治3年以来旧卯辰山招魂社前にあったもので、昭和38年に尾山神社境内地に移築されました。

本殿玉垣の近くに昭和56年(1981)、彫刻家『平野富山』「日本不老協会」によって造られたブロンズの「母子順風の像」

ステンドグラスの神門が描かれた絵馬。上は2011年、下は2015年当時のものです。

『前田利家』着用と伝える「鯰尾兜(長烏帽子形兜とも)をデザインした勝兜絵馬と「鯰尾兜像」。

参拝日:2009年8月14日&2015年5月25日

 

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